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狼少年の怪異事変。  作者: 睡眠戦闘員
五章:ヤクザと女優
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92.置いていくな!

 



 暗い地下のスポットライトからカメラのフラッシュへの変化はなかなか慣れないものだったが、人間というものは高い順応能力を持っているらしい。戸惑いはいつしか日常となり、フラッシュの特性も、タイミングも把握できるようになった。


 そう、人間にとって非日常はすぐに日常になる。


「あなたは……名前とか聞いてもいいの?」


 そう問いかけると、彼女の目の前にいる少年は、顔につけた貼り紙を揺らして首を横に振った。


 何度か仕事で海外の人間と様々な言語でコミニュケーションをとってきたが、言葉を一切話さない相手との交流は初めてだ。


 女優歴六年の望月(もちづき)笹美ささみは、すぐ側の非日常に対してどう接しようか悩んでいた。


 笹美は、楽屋の差し入れからチョコレートを一つ取り出して一口かじる。糖分が甘さとして舌を刺激し、頭の働きが活発になる。透き通った頭の中で、昨夜のことを思い出した。


 先日結婚報告をしたばかりの笹美なのだが、昨夜仕事終わりの帰り道に謎の男に襲い掛かられた。幸い、人通りが多かった通りでの出来事だったため、すぐに笹美は通行人に助けられてことなきを得たものの、男は逃走。警察の話だと、結婚報告にショックを受けた過激派ファンの犯行ではないかと言われたが、男が捕まるまで真相はわからない。


 夫は笹美の身をかなり心配していたが、責任者である職務上ずっと彼女のそばにいることは難しい。……が、その代わりに強力なボディーガードを用意してくれた。それが、今目の前にいるこの少年だ。


 少し寝癖のついた短髪に、外套を羽織ってほとんど見えない体、そして顔には顔に貼り付けた奇妙な文字が書かれた紙の面が揺れている。ボディーガードにしては若すぎる見た目をしているが、外套の下に提げているのが見える棒状のものは、時代劇のドラマで使用した経験のある刀だったような気がする。


 夫は一体どんなツテでボディガードを雇ったのだろう……と、笹美は当初()悩んでいた。しかし、一日を終えようとしている今となっては、彼は「ワタシのボディガード」として頭の中に定着していた。なぜか彼の存在が誰も見えていないだとか、一度ペットボトルを宙に浮かせているところを見てしまったりだとか。多少の“不思議”はあるものの慣れてしまったものは仕方がない。


 楽屋の入り口が開き、スタッフが呼び出したタクシーが到着したことを告げられた。。笹美が荷物をまとめて立ち上がると、少年もひっそりとした動きでついてきた。


 廊下ですれ違ったスタッフや今日の撮影の共演者に挨拶を済ませてエントランスを出る。昨夜の事件を聞きつけた報道陣がいるのではないかと心配していたものの、事務所のスケジュール調節をしてくれた甲斐があって、プライベートは守られそうだ。


 安心してロータリーに停まっているタクシーに向かおうとして――少年に止められた。


 いつの間にか真横に出てきていた少年が笹美の前に腕を出してきていた。その視線は真っ直ぐ前方を見つめていた。


「どうしたの?」

「……何かいます」


 ――返事した!


 笹美は少年の言葉よりもそこに驚いてしまった。


 昼間はただ側に立っているだけで、意思が薄いような印象を受けたが、今は笹美を守ろうとする明確な意思を感じる。呆気に取られていた笹美だったが、ざり、という土を踏み締める音を聞いて頭を跳ね上げた。ここは都会のど真ん中。このコンクリートジャングルで土を踏むことができる場所は限られている。


 少年の視線を追って――すぐにその何かを見つけた。ロータリーすぐ横の街路樹の裏から痩身の男が頭だけを傾けて出し、こちらを見ていた。カメラや携帯なども手に持っておらず、ファンにしては静かで落ち着きすぎている気がする。ぼんやりとそう思っていると、男がぬっと鈍い動きで木の裏から出てきた。


 明らかに様子がおかしい。頭はまるで重りでも入っているかのように大きく傾いて、片耳がべったりと肩についてしまっている。血の気も感情のない顔はだらしなく口が開け放たれ、唾液が垂れている。転ばないのが不思議なくらい不規則にむ乱される脚の膝に、だらっと下げられた腕が蹴っ飛ばされて揺れている。


 その全てに見覚えがあった。なにしろ、特徴がありすぎた。昨日(・・)の今日で忘れるわけがない。


「あの人……昨日襲いかかってきた……』


 そこまで口に出した途端。真横にいた少年の姿が消えた。


 あっと声を上げた時には少年が男の前に現れ、腰から引き抜いた刀を男に叩き込んでいた。ギョッとしたが、よく見れば、刀は鞘に収められたままで男の首筋にめり込んでいた。


 ブンッと振り抜かれた刀に合わせて、男の体は地面になぎ倒される。そこから一度バウンドすると、ピクリとも動かなくなった。呆気に取られて目で追っていた男から顔とともに視線を上げ、笹美が少年を見ると、彼は刀を腰に下げ直しながら「あっ」とこぼした。


「完全に斬ったほうがよかったですか」

「ええ……? いや、それくらいで大丈夫……かな?」


 物騒なことを聞いてくれた少年に、疑問形で返してしまう笹美。


「……あら?」


 うつ伏せに倒れている男の顔に違和感。最初は勘違いかと思ったが、見れば見るほどに昨夜の記憶が蘇った。


「この人……昨日襲いかかってきた人じゃない、かも」


 笹美がポロリとそういうと、少年は「えっ」と声を漏らした。仮面の下では目を見開いていたに違いない。彼は呆気に取られて男の背中を踏みつけていた脚を退けた。


 改めてその顔を覗き見ても、やはり昨夜の男とは顔が全く違った。どうしてそんな大きな勘違いをしたのか。理由はすぐに思い浮かんだ。


 “仕草”と“歩き方”だ。あの不規則で不安定で、正気を感じられない――ゾンビ(・・・)のような出立が恐ろしいほどにそっくりだったからだ。


「あの」


 背後から声がかかり、少年と笹美は同時に振り向いた。そこにいたのは帽子と白手袋の運転手らしい男だった。一瞬疑問符が浮かんだが、運転手の背後にドアが開いたままになっているタクシーが見えた。


「だ、大丈夫ですか望月さん? 不審者が見えたので、さっき警察を呼びましたから……あれ?」


 笹美がお礼を言おうと口を開きかけたところで、タクシー運転手が笹美から視線を外した。


 ハッとして笹美が振り返ると、つい今さっきまで地面に伏していた男が消えていた。少年が慌てて周囲をキョロキョロ見渡している。どうやら襲撃犯を逃してしまったらしい。


 どうすることもできないまま、笹美は遠くから聞こえるサイレンに耳を傾けていた。




 ・ ・ ・ ・ ・




 妖魔界の生活はすぐに慣れた。


 晴れて妖魔界ウォルツィに人間部隊として採用された鮭六個噛み付き隊は、当初の報酬の通りに狼城の敷地内の閑静な場所に部隊員共同の居住地を与えられた。


 そう言っても、彼らはまだ学生であり、現世での活動が主となるため、彼らの感覚的には家族の誰にも侵されない自分の部屋が一部屋増えたくらいの感覚にしかならなかった。しかし、本人たちはかなり満足しているようだ。


 今は絶賛夏休み真っ最中。家にいなくても家族にそれほど怪しまれないという絶好の期間を生かして、ロクとコカはその共同居住地「ムーンハウス」で寛いでいた。


「……で、なんでコカがガチ泣きしてんの?」

「う゛ああああああああっ! ロクくんなんか嫌いだあああああああ!」

「ビビり」


 サホがムーンハウスの中の自分に割り当てられた部屋で荷物を解き終わって共同の居間に出てきたときには、目の前の大惨事が広がっていた。


 居間は解放感のある空間で、中央に王からプレゼントされたソファが設置され、今はど真ん中に脚を組んだ録画どっかりと座っている。その正面にはロクがコンから巻き上げてきたという超大型テレビ。そこには特にマニアでもないサホでも知っているような世界的パンデミック映画が流されていた。ちょうど今、主人公の仲間らしき女の首をゾンビが噛みちぎったところだ。


 コカがそのブチっという嫌な音を聞いて、ソファに押し付けていた頭をいやいやと激しく振った。上質な生地でできたソファの表面がコカの涙で所々大きなシミを作っている。


 コカは左手で片耳を塞ぎ、右手で横に座るロクの膝をこれでもかと叩いていた。よく見ると、その手が届くか届かないかというところのロクの膝の横に、テレビのリモコンが置いてあった。ロクが大人気なくそのリモコンを取らせないように邪魔をしているらしい。


「ぞんびやだああぁ!! ロクくん、テレビ消してよ消してーーーー! 」


 無表情で惨劇の起こる画面の先を見るロクに、コカの泣き声ビックボイスが襲いかかる。


 サホは顔をしかめて耳を塞ぎかけたが、ふと彼女の言葉に違和感を覚える。


「え。なに? コカが……ゾンビ嫌い(・・)?」


 サホは聞き間違いかと自分の耳を疑うが、コカの怯え様からしても、その言葉は間違っていないらしい。


 コカがオカルト部の部長であり、だいのオカルトマニアであることはとっくの昔から周知の事実だ。見た目が多少エグくても、珍しさと好奇心で突撃インタビューをするほどの怖いもの知らずの彼女が、ストーリー上にしか存在しない架空の怪物に怯えるなど、いったいどういうことなのか。


 サホの言いたいことを察したらしいロクが、画面から目を離さずに鼻を鳴らした。


「こいつ、本物の霊とか妖怪とかは平気なくせに、作り物(・・・)は怖ぇんだと」

「はあ……そんなことある?」

「ん゛ーーーッ!!」


 サホが「マジ?」という顔をしている中、コカは決死の覚悟でソファから顔を離し、リモコンに飛びついた。しかし、ヒョイっとロクに取り上げられてしまう。さらには、リモコンはポイッと投げられ、テレビの真っ正面の床に落ちた。


「ぎゃああああ! ロクくんのバカああああ!!」


 そのリモコンをうっかり目で追ってしまい、ついでにその“良い目”でしっかりとゾンビの惨殺シーンを見てしまったコカは、背中を高速でエビ反りさせて両目で目を塞いだ。


「大神くん鬼畜~」

「それほどでも」

「ううっ……グスッ、二人がいぢめる……」


 もはやこの空間で自分はドS組のいい玩具になっていると悟ったコカは、テレビの画面を見ないように地面を這って進む。ようやく自力でリモコンを手に入れてスイッチをオフにした。


「いいとこだったのに」

「どこが!!」

「ゾンビがこう……ボブの頭蓋骨を」

「ボブ! 言わなくていい!!」


 普段はまあまあ温厚なコカも、今日ばかりは激怒している。


「でも以外ね~。コカはなんで作りもの……映画ってこと? だと、怖いわけ?」

「ホラー映画は、怖がらせるために作ってるんだから怖いに決まってるでしょ! もう!!」

「何嘘ついてんだよ……ちがうだろ」

「ぎゃ!」


 必死に弁明するコカの両肩にロクの体温の低い手が乗せられ、その冷たさにコカは飛び上がった。ロクはその肩に顎を乗せ、無表情のままなのにもかかわらず、嫌らしく笑っているとしか思えない声色で続けた。


「お前、ホラー映画だけじゃなくて、アメリカン(・・・・・)なホラーは全部ダメだもんなァ。チュパカブラとか、エイリアンとか、フランス人形とか……日本人形は大丈夫なくせに」

「へえ~!なんだ、コカって結構鋼メンタルなところあると思ってたのに、結構可愛いとこたくさんあるじゃん!」

「むぐ……!」


 部長としてらしくないと思い、サホには隠していた秘密をあっさりとバラされてしまった。恥ずかしさと怒りが混ざり合い、どちらを先に吐き出せばいいのか分からなくなった。結局再び、涙でグショグショのソファーに再び頭を突っ込んだ。


 ロクはパッとコカから手を離して同じようにソファに座り直す。


「あ、そういえば神里くんは?」


 ふと、いつもならこんな状況なら一発や二発ツッコミを入れてくる眼鏡がいないことに気がつき――というか、最初から気にかけていたようだったが、言うタイミングを逃したらしいサホがキョロキョロとあたりを見渡した。


「依頼。あいつの番」

「……あっそ」


 簡潔なロクの言葉を聞いて、途端に機嫌が悪くなったサホ。その姿を見て、ロクはスマホを取り出し、わざとらしく日付を確認し「ああ~」と声を出した。


「もう八月だなァ」

「だ……だから?」

「誕生日宣言したんだ。そりゃあ気になるわなァ」

「へ、へぇ~……大神くん、アタシの誕生日覚えてるんだ。そっちの方が意外って感じ~」

「コカが散々言ってんでね」


 またロクが鼻で笑い、サホは落ち着かない風に忙しなく横髪を触る。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 両者は一言も話さず、睨み合った。絶対に相入れない犬科と猫科の言葉の裏での煽り合い。一触即発の雰囲気だがコカは全く気がつけない。


 先に動いたのはロク。


 メッセージアプリを開いて、ミツキとのトーク画面をタップ。テキストボックスに高速で「サホの誕生日は何か考えたか」というようなメッセージを打ち込んだのを見て、サホが遅れてその腕に飛びついた。


「大神くん、ちょっとォ?」

「なに」


 メッセージ送信寸前で、それを阻止したサホは額に青筋を浮かべた笑顔でロクを睨みつける。


「いったいなにをしてンのかなあ?」

「俺、お友達思いだから?」

「あはっ、大御所女優の息子がそんな大根演技してんじゃね~~~わよ」

「安心しろ、俺が手引きして逢引させてやるって」

「面白がってんじゃ……ちょっと待った」


 思わず猫パンチが飛び出すと言ったところで、サホはロクのその言動に「まさか」という疑いを持った。


「ちょっと……大神くんに神里くんのこと(・・・・・・・)言ってないと思うんですけど……?」

「あ」


 びくり。ソファ突っ伏して必死に存在感を消そうとしていたコカの肩が跳ねた。


「………コカ?」

「あ、あは」


 サホを見ずとも言葉から威圧を感じ取ったコカは、ソファから顔を上げられない。彼女の代わりに、その主人が憎たらしいほどの無表情で答えた。


「俺がさっきのゾンビ映画で脅して聞き出した」

「おいこらクソ犬」

「狼だ」


 カラッとした調子で応えると、ロクはベッと舌を突き出した。


 元々無法地帯のロクと、アストラという無法地帯の概念を植え付けられたサホ。似た者同士の馬は恐ろしいほどに合いそうにない。


 そもそも、ロクに対しての口が天使の羽よりも軽いコカに秘密を教えるということ自体が自殺行為なのだが、コカの取り扱い初心者のサホにはわかるまい。


「『アタシもう神里くんに身合う女だとは思えないのよ~』ってか」


 ボッとサホの顔が沸騰したように一気に赤くなる。


 ロクの演技力は完璧な声真似さえもカバーしている。さらには一度変装した経験のあるサホの声を出すなど余裕すぎた。


「『もうやだ、人生詰んだ。もうイケメンと結婚できない。トラウマ。生まれた時からやり直した――』」

「シャアア゛ア゛ア゛ア゛!」


 止まらないロクの煽り祭りに我慢の限界を迎えたサホは、ロクの手からスマホを取り上げ窓の外に放り投げた。


「あ゛? やんのか?」

「あのねえ。アタシ、アストラの方にいたとき結構技とか習って強くなってるわけ……降参するならいまだけど?」

「通用するわけねえだろ、このアマ」

「あら~? 一回アタシに転けさせられたの誰でしたっけ!? この短足!」

「あばばばば……」


 いつの間にか自分のせいでヒートアップしてしまった喧嘩が、そろそろ殺し合いに発展しそうになっているのを見てコカは慌てる。口を挟もうとロクの方へ歩み寄ろうとしたが、早々に捕まえられて、ぽてっとソファの方に投げ返されてしまった。


 今度はどちらからともなく始まった。


 サホの姿が蝋燭を吹き消すように消え、ロクがソファの下に隠してあった白い刀を引き摺り出した。


 ロクの抜刀と同時にサホの詠唱が虚空から聞こえ、不可視の斬撃が死角から飛来。ロクはそれをチラリと見もせずに刀で弾くと、その軌道のままに何もない空間に刀を一振りした。その剣撃をバク宙によって寸前で回避したサホが姿を表し、壁にとんっと足をつける。そのまま屈伸してから、脚を一気に伸ばしてロクへ飛びながら姿を消した。


 ロクはそれを迎え撃つことはせず、一拍開けてから背後の空間を蹴っとばした。呻き声が聞こえ、脇腹を抑えたサホが再び姿を表す。しかし、背後からの奇襲を回避したと思ったのも束の間、ロクは刀を握る手の不自然な震えに気がついた。背中の二箇所の違和感に気がついて、例の胡散臭いツボを押されたことを察する。


 その隙にとサホが追撃を行おうと脚に力を入れたが、カランと刀が転がった音が聞こえ、ハッと顔を上げる。そこには、何かを投げた直後のような体勢のロクが――


 次に瞬きした時には、サホは投擲された(・・・・・)ソファの下敷きになった。


「ぎゃーーー!? サホチャン!!」


 その光景を見て、ようやく自分が隠れていたソファがなくなっていることに気がついたコカが悲鳴を上げた。よく滑る床でスリッパを履いた足を何度も空回りさせながらソファに駆け寄る。


「なな、何してんのロクくん!!」

「ぶっ飛ばした」

「知ってるよ!!」

「じゃあ聞くな」

「そういうことじゃないよお!!」


 女だろうが子供だろうが自分を舐めたものは許さないロクの性格は十数年の付き合いでわかっていたが、不死身のミツキとの相手でもないただのサホとの喧嘩でここまでの本気を出されると流石のコカでも焦る。


 死んでしまったかと恐る恐るサホの様子を伺おうとして――その姿が見えないことに気がついた。確かに動体視力に秀でたコカの目はサホが押し潰される直前までを捉えていたはずだったのに。


 床に顔をつけてソファの下を覗き込もうとしたコカの背をロクが軽く叩いた。顔を上げると、いつの間に外から取ってきたらしいスマホから目を離さないまま、空いている方の手でどこかを指さしていた。


 その指を追ってその方向へ視線を移すと――猫がいた。


 薄型テレビの上に器用に座って、その艶の良い黒い毛皮の乱れた部分を舐めている。


「ネコチャン……じゃない! 人間!?」


 あまりの可愛さと場違いさにコカは思わず飛びつきそうになる。が、コカの“良い目”はしっかりとその猫の本性を見破った。


 心なしか、小さく微笑んだ黒猫は軽い調子でテレビから飛び降りる。着地の瞬間、その全身が煙に包まれた。驚いたコカが固まっている間に、その煙はむくむくと膨らみ、あっという間に人型を作った思うと、一瞬で晴れ、中からサホが出てきた。


「……アタシ悪いところ一個もないのにソファ投げられるのはおかしくない?」

「俺を怒らせた」

「ほんっとクソ。絶対恋愛対象にはならないわ~」

「ちょいちょいちょーーーーーい!!」


 急に地球二週分ほど話に置いていかれたコカは、慌てて二人にブレーキをかけさせた。


「ど、どどどういうこと!? なんでサホちゃんが猫ちゃんになってるの!?」


 コカが腹の底からの疑問をぶつけると、二人はさっきまで命の取り合いをしていたとは思えないほど息の合った動きで顔を合わせて首を傾げた。


「なんでって……覚醒したんじゃね? たぶん」

「それ以外にねぇだろ。知らんけど」

「え!? なんで!? なんで二人ともそんなあっさり受け止めてるの!? え、今の覚醒なの!? 地味だよ、地味すぎるよサホちゃん! 薄ら影すぎる!!」


 何をそんなに驚いているんですか? とでも言いたげなおとぼけ顔をこちらに向けてくるロクとサホに若干の恐怖すら感じる。


「それに今までのロクくんたちとは違って全身猫ちゃんになっちゃってるし!ロクくんとミツキくん見習って、『今から覚醒しますよ』感出してもらわないとわかんないよお! イレギュラーすぎるよお!!」


 ――ああ、ミツキくん。キミはいつもこんな未知でふざけた相手をツッコミで捌き切っていたんだね。ごめん、これからは自重する。


 コカは心の中でそう誓いながらも、珍しく焦っていた。理由はミツキがいないため自分がツッコミをしないといけないという状況のため。


 そして――


「――っていうか、もう覚醒してないのワタシだけじゃん!!??」


 長い付き合いの友達に置いていかれてしまったという状況のためだ。




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