小話:8.ブラコンチップ
小話じゃーーーい。
本編とはあまり関係ないのでゆるーく読んでけれ。
実を言うと、コンはプログラミングというコンピューター内データ処理の類は得意ではない。
いつもいじっている機械のほとんどは“カラクリ”であり、魔力を使って念じるだけで動かせるものが多いのだ。
もちろんプラグラミングを全くしないわけではない。簡単な動作をするように命令するプログラムは作れるが、その技術は初心者と同等でなかなか伸びなかった。
しかし、コンは電気製品に妖魔界での革新的な使い道を見い出せるのではないかと目をつけていたため、苦手だからと見切りをつけたくなかった。
妖魔界は妖術の技術が発達してしまったため、電気のエネルギーを使用する道具はほぼないと言い切っていい。しかも、現世の電気製品がこちらの世界に影響や脅威を及ぼさないという楽観的な考えをしてるため、現在は電気製品を使用不可にするという対策は一切されていない。
妖魔界では妖術や魔道具の使用を禁止する区画や施設が存在する。そういう場所は禁止するだけでなく、行使すらできないように術を施されているのだ。
しかし、そこに穴がある。術を行使できないようにする区別をつけるのは、魔力を消費しようとしているかどうかだ。では現世で使われるごく普通の電化製品はどうだろう。そう、全く魔力の消費をしない。そのため使用を阻害されないのだ。
ならば、そこをついてやるのも面白い。コンはそう考えた。
コンの技術と現世の電気製品の仕組みを合わせれば、今の妖魔界に一泡吹かせる面白い機会を作れる。
コンの頭なら、高いプログラミング技術は身につけようと思えばできるだろう。しかし、今はその革新的なアイデアを早く試したく、はやる気持ちは時間を短縮する方向へと思考を行き着かせた。
・ ・ ・ ・ ・
コンが目をつけたのは大神 留維。ロクの兄だ。
当時、大神家にロク以外の人間が住んでいること気がついた時はコンは心底驚いた。
なにしろ、大きな日本家屋にかかわらず、ロクの両親も使用人らしいものも一切見なかったからだ。コンが留維の存在に気がついたのは、大神家に住み着いて一週間が経ってからだった。
それまでは気楽でいいやとロクがいない大神家の廊下を鼻歌を歌いながら歩いていたくらいだ。
気まぐれに大神家の間取りを把握しようと、階段のそばにある開けたことのなかった襖を開けた直後、床に置いたテレビに向かってデレデレと気味の悪い声を発する見たことのない後ろ姿を目撃した時は、さすがのコンも飛び上がった。
留維は、襖が開いた気配に気がついて振り返ったが、コンは瞬時に術で姿を消したので目撃されることはなかった。彼も「最近よくあるなあ」と、扉が勝手に開くという普通なら怪奇現象の類の出来事を一言で片付けて自分で扉を閉めていた。おそらく家の付喪神にいたずらされることに慣れていたのだろう。
留維のことはできる限り調べた。
職業は弁護士。実績は外面と同じくらいいいらしい。収入も良いようで、たまにアホかというほど高そうなゲームやその周辺機材を買って帰ってきていた。
仕事から帰ってきてからの活動時間は、普段なら午後九時から午前二時まで。食事をする時と、ものすごく疲れているときにロクの匂いを嗅ぎに行くという頭のおかしい用事以外は基本的に自室に引きこもっている。
趣味はアニメや漫画のオタクが好むもの全般。そしてゲーム。たまに真夜中に部屋を覗いてみると、歌手が使いそうなマイクを横にセットしたゲーム画面に向かって一人で喋っていたりしていた。流行のオンライン対戦かとも思ったが、どうやら違うようだ。それが興味深くて何度も覗いたが、たまたまいかがわしいゲームをやっている場面に出くわし、その時の留維の浮かべる笑顔がトラウマになりそうだったのでそれ以降は必要な時以外部屋に近づくことすらしていない。
そして特技。そう、これがコンの目をつけたところだ。
彼はコンピューター全般に強い。ゲームが得意というだけでなく、何度かゲームや機械のプログラミングをしているところを見かけた。それに一度だけ、弁護士のはずなのに警察内部のデータベースのようなところを盗み見ているところを見かけた。前々から危ないやつだと思っていたが、ここまでのハッキングの腕前となるとむしろコンを唸らせた。
この留維の特技を利用する。しかし、正面からお願いするのではない。コンはあんな変態に正体を明かしてまで協力を仰ぐつもりは一切ない。
協力を仰がずして力だけを利用する。それを可能にする発明をコンは既に済ましていた。
コンは留維の部屋の前まで来て、懐を探って中のものを取り出した。
それは一見注射器のようなものだったが、本来薬や血液が入る円柱の部分はゴルフボール大に丸く膨らんでいて、中には紫色の煙が漂っている。つまりは、ただの注射器ではない。コンは気配と姿を消して、留維の部屋の中にすり抜けた。
「ふうん……はー」
留維は机の上のパソコンに向かっており、マウスを黙々と動かしていた。裁判の資料などが散らばっている床を慎重に歩いて近寄ってみると、パソコンの画面にはネット通販の検索結果が表示されている。
珍しくエロゲーをしていない……と思いきや。サイトの検索ボックスには正気とは思えないいかがわしい単語が連なったゲームタイトルらしきものが打ち込まれており、検索結果でズラッと表示されている商品は全て半裸、または全裸の人間が表面にプリントされたもののみだった。それを真顔でスクロールして品定めをしている留維。軽くホラーだ。
コンは画面から目を逸らして、注射器の狙いを定めた。一思いにブスッと留維の首筋に針を突き刺す。
「はぎゃッ!?」
留維は奇声と共に体をのけぞらせ、一度痙攣してから白目を剥いて気絶して机に突っ伏した。
コンは留維から注射器を引き抜き、その球体部分を見た。薄い煙のみだったその中身は濃い青色の煙で先が透けないほどに満たされていた。
コンは満足げな顔をしてうなずき、留維の部屋を出て自室に戻った。
この注射器は血を吸うものではない。針で刺した対象から「その者の特徴を複製したもの」を取り出すことができる装置だ。ここでいう「特徴」は概念であり、性格だったり特技だったり、時には見た目だったりと、まさに特徴と言えるもの全般だ。
これで刺された際の副作用はほとんどない。刺された瞬間の記憶がなくなるのと、数十分は魂が抜けたようにアホヅラをかまして動かなくなるくらいだ。そのあとの生活に問題は残らない。ミツキ、ロク、コカの順で既に実験済みだ。三度しか試してないがまあ大丈夫だろう。
こんな素晴らしいものだからこそ、制作に必要な材料も恐ろしく貴重なものばかりだった。
今コンは留維の「特徴」を取り出した。これをこれからまた自作の機械にかけて、特徴を分別する。今回は留維の「プログラミングが得意」という特徴だけを抽出するために、機械のバロメーターを調節した。そして、抽出した成分を小さなチップに取り込ませる。これで完成だ。
コンは一辺が五ミリの正方形のチップを眺めてニンマリと笑った。
これを使えばプログラミングの勉強をせずにプロの腕前のプログラミングができる。機材などはすでに揃えた。あとは実行するだけだ。
使い方は簡単だが少し変わっている。このチップを口に含むのだ。体内にあればいいので飲み込んでもいいのだが、あんな変態の一部を長くは口に入れておきたくはない。
意を決して、コンはひょいとそのチップを舌の上に乗せて口を閉じた。
別に急に視界が澄んだりパワーアップの感覚が溢れてくるわけではない。しかし、確実に何かは変わっている。
コンは試しに警察のデータベースへの侵入の仕方を頭の中で作戦立ててみた。一瞬で立案し、脳内シミュレーションは証拠隠滅に至るまで恐ろしいほどにうまくいった。手順も一つ一つが流れるように思い浮かぶ。知ってはいけないものを知った気がしたが、自分の発明が成功した手応えを感じられた。
コンは一人でガッツポーズをした。さっそく念願の複雑なプログラミングに取り掛かるため、パソコンとその他周辺機器を作業机の周りにどっさりと置いて、画面の向こうの世界に没頭した。
・ ・ ・ ・ ・
「おい、このクソ野郎! いいかげん出て来いッ!」
怒号が聞こえ、コンはようやく自分が呼ばれているのだということに気がついた。
画面から身を離して体を伸ばした途端に体の節々が音を立てる。作業机の端に置いたデジタル時計を見ると作業開始から既に一時間――いや、日付が変わっているので、つまり十二時間以上が経過していた。
ここまで全く休憩を挟んでいない自分の集中力に驚いた。いや、もしかしたらこれは留維の「特徴」なのかもしれない。「特徴」を分別するあの機械は、分別する事柄を数十個に及ぶ別々のバロメーターを見て手動で調節するため、たまに手違いで別の特徴が分別されずに抽出されてしまうことがある。今回は「並外れた集中力」という特徴をたまたま分別し忘れたわけだ。これはいい誤算だ。
「おい、コン!!」
そんな考察を頭の中でしながら、コンはのんびりとした歩調で怒鳴り声が聞こえてくる自室のドアを開けた。
目の前には、天使がいた。
――は? そんなものはいない。
一瞬心に浮かんだ何かをコンは自身で否定した。
きつく瞬きをして、もう一度前を見た。コンの自室のドアの前、寝室側に立っていたのは紛れもなく怒り心頭で目つきを鋭く尖らせたロクだった。
今の謎の現象に戸惑いつつ、コンはいつも通りの態度を装う。
「どうしたクソガキ?」
「テメェ……俺の鞄の中に細工しやがったな!!」
「細工? ……あー、そういえばしたな」
記憶を掘り返してようやく思い出した。そういえばロクのリュックの横ポケットに、手を突っ込んだ瞬間に固まる接着剤を仕込んでいた。微妙な位置に仕掛けていたためかロクがなかなか引っかからず、数日が経過していたために忘れていた。
無理やり引っ張って手を解放したのだろう。ロクの右手は半透明の接着剤のかけらがつき、少しだけ千切れた布が付着していた。おそらくリュックのポケットの生地が残骸となったものだ。
その手を掲げて怒るロクを見下ろして、コンは一笑した。こんな弟を持ってオレは大変だな、と。直後に違和感を覚え、頭を振った。違う、ロクはコンの弟などではない。どうしてそんな勘違いをしたのか。
しかし考える前にコンの体は勝手に動いていた。ロクの接着剤塗れの手を片手で握手をするように握り、パッと離したときには接着剤はその手から消え去っていた。ロクの表情から驚きと少しの引きを感じた。
「え……お前なんで今日素直なんだよ」
「当たり前だろ?」
「はあ……? キモいな。まあいいか」
ロクは不審に思いながらも、頭の熱は引いてしまったようでコンから逃げるように部屋へと踵を返した。
コンの頭はぼうっとしており、思わずロクの後を追おうとして足を自分の足首に引っ掛けた。バランスが崩れて体勢を支えるためにガクンととっさに足を踏み出した。その拍子にゴクッと喉が動く。
その時、口に含んでいたチップのことを思い出し、コンの頭が一気に覚醒した。舌の上に乗せていたチップがない。集中して作業している間に無意識に動かしてしまったのか。それとも今の衝撃で飲み込んでしまったのか。
(まずい……)
コンの体はバランスを取り戻すと、勝手に動き始めた。向かう先は、機嫌が良くなってベッドの上で寝る準備を済ませたロクだ。だんだんとその姿が魅力的で愛すべき対象に見え始めている。
(マズいマズいマズい!)
おかしなことが起こっているのは明らかにわかってる。その原因はどう考えても留維の特徴を抽出したチップだ。
まさか、とコンの頭はコンマゼロ秒もかからずに最悪の可能性を叩き出した。
留維という人間の特徴は「プログラミングが得意」、「集中力が高い」などというものがメインではない。一番であり最大の特徴は「変態のブラコン」である。これはこの数ヶ月で痛感するほどにコンは理解していた。
これはコカの特徴を抽出した時のデータだが、「目が良い」という特徴のみを抽出したつもりが、それをチップにして使用してみたところ、異様にテンションが高くなってしまったのだ。その時はコンは自分のバロメーターの調節ミスで片付けてしまっていた。しかしそうではなかったのかもしれない。
これはコンの推測だが、どんなに他の特徴のみを抽出しようとしても、それにプラスして一番ともいえる特徴が必ずついてきてしまうのかもしれない。
その推測が正しければ、今回留維の特徴を抽出して出てきた彼のいちばんの特徴は「変態のブラコンだ」。間違いない。そうでなければ、地球が終わってでもコンがロクのことを魅力的だとか愛すべき対象などとして見ない。
そうなれば、その本能に従ったコンの体が今何をしようとしているのか予想は容易い。
一歩、また一歩と勝手にコンはロクへと近づいていく。視線はロクと、その上にかけられたタオルケットに向けられていた。ロクはもう既に横になって寝息を立て始めている。
その動作を自分で実感したとき、コンの中にいつかの記憶が蘇った。留維がものすごく疲労した仕事帰りに、ロクのベッドに潜り込んで匂いを嗅ぎに来ていた時のことだ。
今の状況を思い返した。コンは二十四時間以上にわたる脳の酷使で疲れていた。そして心はいつもならあり得ないことだが、癒しを求めている。ロクという癒しを。なんと酷似した状況だろう。
まさか、と今自分の体がしようとしていることに気がつき、コンの内心の表情が青ざめる。しかし体が言うことを聞かない。気がついてよかった。しかし、気づきたくなかった。
(やばいやばいやばいやばい)
突然開催される脳内のヤバイ祭り。
自分のメンツとプライドがその行為をすることを許していないのに、まるで本能に従っているかのように、脚だけでなく腕も勝手に持ち上がり、こちらに背を向けて眠っているロクの体に触れようとしてる。
(あンの変態ぃぃッ!!)
コンは内心で彼へ激怒した。
もう、あと数センチでロクの背中に触れてしまう。そのあとは何をするつもりなのか、全く持ってコンは知りたくない。
もう触れる、触れるな、もう触れる――
触れた、直後にコンの体がくの字に折れ曲がった。空気を口から砲台のように吐き出し、体が全身に吹き飛ぶ。
壁に叩きつけられて昏倒したが、視界はすぐに回復した。顔を上げてベッドの方を見る。ベッドへりから真っ直ぐに伸びた足が突き出していた。
「あれ、兄貴じゃなかったのか」
足はすぐに引っ込められ、すれ違いでロクが起き上がった。寝ぼけ眼で壁に寄りかかっているコンを見る。
どうやらロクはコンの腹に蹴りを入れられたらしい。コンは完全に背後から気配を消して近づいていたというのに、さらに様子からすると完全に寝ていたのに、それでも体が反応したというのか。恐ろしい勘をしている。
長年あの変態と一つ屋根の下で暮らしていたのだ。それをいなすほどのの耐性と動きが身についているのかもしれない。
ロクはボーッとコンを見ていたが、やがて倒れるようにしてベッドに横になり、再び寝息を立て始めた。
コンは呆然としながら立ち上がった。そして、自分の体が正常に戻っていることに気がついた。もうロクが可愛く見えるなどという狂気の視界は消え去り、ロクはいつも通りのクソガキときちんと認識している。
ふと、窓から入る月光に照らされて床に落ちた小さな何かが光っていることに気がついた。しゃがんで見てみると、それはコンの唾液に塗れたチップだった。飲み込んでしまったかと危惧していたが、舌の下かどこかに落ちただけだったのだろう。ロクに蹴られたおかげで口から吐き出したようだ。
コンはそれを拾い上げて、深く深くため息をついた。
「あっっっぶねえぇぇぇ」
危ないところだった。本当に。
コンという存在を自ら消し去るほどの大事件になるところだった。今回ばかりはコンは心からロクに感謝した。
留維のチップはものすごくコンの発明活動に貢献できる有能な道具になった。しかし、その代償に恐ろしく癖が強い。貴重なデータは取れたが、この道具の扱いは考えものだろう。
「ろおおおくううううう!!!」
コンは脊髄反射で姿を消す術を自分にかけた。同時にロクの部屋の襖が外から開かれ、黒い影がロクのベッドに飛び込んでいった。変態だ。
「オレやったよ! ネトゲイベントの常連ランカー抜いて一位に食い込んだ! はあ、はあ! ロクの匂い、この匂いは有罪ぃぃ!」
留維はかわいそうなほどに脳が疲れているようだ。メガネの奥の隈を貼り付た恐ろしい目つきでロクの布団を剥ぎ自分の鼻にそれを押し付けてその匂いを嗅いでいる。あれが末路の姿だったかと想像するとコンは無意識に身震いした。
「ッあっついんだよ、ボケ! どけや!!」
留維を無視して眠りに徹していたロクが、体に抱きつかれたことで一気に覚醒した。カッと目を開き、目覚めの一撃で的確に留維の股間を蹴り飛ばした。
悶えながらも恍惚の表情で局部を押さえて床を転げ回る留維を見て、コンはここまでにならなくてよかったと心底思った。