90.誰かのぼやき
四章締めです。
活動報告もあげますんで(多分)そちらもよければ覗きに来てくださーーーーいね。
本物の寺木がまさか発見されるとは誰も予測していなかっただろう。
独愚という性格が底辺まで腐った者になり変わられたのだ。誰もが既に葬られていると思っていた。その本人が城下町の居酒屋の裏で泥酔しているのを発見されるまでは。
話を聞いてみたところ、ミツキたちが妖術演習で出張するということで、二週間ほぼ休みなしだった寺木は久々にもらった休暇頭に朝から居酒屋へ向かったそうだ。そこからすぐにデロデロに酔ったせいで一日の記憶が丸々すっぽ抜けているらしい。
本人だけがこの一日の騒動を知らず、その渦中に巻き込まれていたという状況。王たちは一人残らずぽかんと口を開けて呆れたが、生きていたのなら悪いことはない。
念のため寺木もアストラの検査を受けさせ、正常なことが証明された。独愚は寺木の姿を借りて情報収集をしていたということで落ち着いた。
「ふはっ……」
寺木は病室に入った際の驚愕に染まったミツキとサホの表情を思い出して笑った。記憶をなくすほど酒を飲んだことだけが咎められ、今まで通りに城の敷地内の自由な出歩きを許されたので、ふと思い立って見舞いに行った。正解だったと彼は自画自賛した。
病棟の廊下は人通りは少ないが、無人というわけではない。引きつってしまった口の端を着物の袂で隠したところで、唐突にハイテンションビッグボイスが曲がり角の先から寺木の耳を貫いてきた。
気配を消し、壁に張り付いて通路の先を覗き込むと、休憩室前で不良二人組が機械いじりをするコンに絡んでいる。コカとロクだ。
引きつった口の端が一瞬で眉と共に下がった。寺木は、あの二人が得意ではない。特にコカ。
あの太陽の光を集めたかの如く視線に捕らえられた瞬間に、ぬらりひょんである寺木の自由がなくなる――と、背筋に走る悪寒が予言のように告げている。この二週間コカの姿を見てから全力視力を尽くして彼女の目と勘を掻い潜ってきた。自分の種族の特性にここまで感謝したことはない。それでも数回ほど危なかったが。
ロクもロクで寺木の思想とは正反対の努力の天才という特性が反りに合わないと思い、ずっと直接的な会話は避けてきた。
彼らの意識がこちらに向きそうになり、寺木は自分の気配をさらに薄めてその通路を素通りした。
医療施設の中の病棟部分は小さい。本来は研究の場だからだ。どうして城内にこんなに本格的な医療施設があるのか、寺木は知らない。一教師が知るようなことでもないだろうと気にもしていないその建物を出て、城の敷地からも出た。警備の今日は飲み過ぎるなよとからかうような忠告を受け流し、高く日が上り、騒がしく栄える城下町に出た。
どこへ向かうかは、予定帳に書いてある。これに従うことが寺木のルールだ。
客でごった返す道を涼しい顔で歩きながら、懐に手を突っ込んだ。布の感触が指先に触れ、それを引っ張り出す。
何をしなくてはならないかは、予定帳に書いてある。これに従うのもルールだ。
少し丸まっていたその黒い布を広げて整える。顔に貼り付け、耳にかければ、きちんとしたマスクだ。だんだんと意識が消える。足取りが、誰かに盗られ、勝手に進んでゆく。
誰も寺木を見ていない。気にしていない。
誰も寺木が寺木でなくなる瞬間に気がつけない。
マスクをつけ、三歩目にはもうこの世から寺木という存在は消え去り、マスク越しからでもニヒルな笑みを浮かべているのが読み取れる男に変わった。
身長が違う。顔のパーツが似ているが少しずつ違う。髪の色が少し違う。些細な違いがあるが、その積み重ねで寺木とは全く別人と言っても過言ではない人間が形成された。
「あー……うまくいったかな」
歩きながら撃たれた胸の傷を抑えた独愚は満足げに笑った。
誰も独愚を気にかけていない。当然だ。もともとこの国の舞台に所属していた頃から彼らの存在は機密として扱われ、国民でも独愚の姿を見たことのあるものはほんのわずかだろう。今は別の意味で機密にされているのだから余計だ。
独愚は寺木とは別の粘着質な笑みを浮かべながら路地へ外れた。そこまで深くはいかない。ほんの少し入り組んだところにある知る人ぞ知る名カレー屋。そんな雰囲気の建物の引き戸を開け放つ。
カレー独特のスパイスの香りが押し寄せる。独愚は手で鬱陶しそうにそれをかき分けた。今日は特に辛さを伴っている。犬鼻の独愚にはきつい。
「あいつら」と少々嘲笑を含む声で切り出すと、店内にいた数少ない客が一斉に独愚の方へ視線を集めた。
「あいつら何も気が付かないんだね」
言葉を続けながら店内へ踏み出すと、自分に話しかけられたわけではないと気がついた無関係の客は、頭を下げ、カレーを口へ運ぶ作業に戻った。その中でも顔を下げないまま、先ほどまで読んでいたであろう本を広げてこちらを見るサイドテール兼元ツインテールまで歩む。
用意していたように隣の席が空いていたので、遠慮なくそこに椅子を引いて座った。テーブルの上にはまだ手のつけられていないカレーが冷ますために置かれている。
パテレスはスルッとツインテール欠けた方の房を撫でつけようとして空振り、反対の房を指で弄ぶ。独愚から隠すように今さっき読んでいた本を閉じて懐にしまおうとしたので、独愚はそれをひったくって目の前まで持ってくる。
「そうそうこれこれ。『有体二重人格』ね。あいつら、身内にも一人いるくせに、どうしてボクまでそうだって気が付かないのかな?」
「だって、妖怪で五万分の一の確率だろう?」
パテレスはさらに独愚の手から本をひったくり返した。『有体二重人格に接する五十の注意点』というタイトルの本の表紙を撫でつけ、改めて懐にしまった。
「さらに、人間でなった前例は今まででも片手で数えるほど。そりゃあ、思い付かないよな!」
「だよねえ。ボクだってそうだって気がついたのアストラ機動部隊入ってからだもん。さらに、完全に思考が断絶されてるって気がついたのは、“寺木”の方が勝手に教師に雇われて検査受けてからだし。便利便利」
にやりとマスクの下の表情筋を釣り上げる。
何も知らない大将にはこれからも灯台になってもらう。その下にいる独愚はしばらくは悠々と気が付かれずに伸び伸びと活動できるだろう。
そう思ってニヤついていると、パテレスが比較的真剣な顔で独愚を見ているのに気がついた。
「で、その灯台で見つけられたのか? ……烏間」
「あー、どうだったかな」
独愚は指先でパテレスの髪を救い上げながら勿体ぶる。パテレスは眉を潜めてその手を払い除けた。その自分に向けられる拒否反応に喜びを覚えて身を震わせた。
「ふ……みつからなかった、かな。ただの教師にそんな情報が来るわけないし。医療病棟の関係者の会話も盗み聞きしたけど、とりあえずあの棟にはいないっぽいかな」
その報告を聞くと、パテレスはぐるっと目線を回し呆れた感情を表した。独愚から視線をそらしてテーブルの上で冷ましていたカレーをすくって頬張った。
「ぶふぁあっ!」
パテレスは突然口を開けて炎でも吐き出すかのように空気を吐き出した。独愚が彼女の目を盗んで大量に入れた激辛ペーストはきちんと効いたらしい。パテレスはげらげら笑う独愚を睨みつけながら横に置いていたお冷やをひっつかんで浴びるように飲む。そして間髪入れずにそれを吐き出した。そちらに入れていた強力な味のうがい薬もきちんとパテレスに不意を打ってくれた。
独愚はパテレスが厨房へ駆け込んでいく姿を見てとても幸せを感じていた。それでも何か物足りない。やはり、烏間をからかった時とは得られる快感が比較にはならない。
それでも、パテレスだろうが烏丸だろうが、誰かが自分のそばで嫌悪感を抱いているのが一番の至福の時間だと独愚は内心で確信した。
「独愚、お前!」
厨房から騒がしいパテレスの怒号が飛んでくる。
「覚えてろよ、そのうちまたラブレを連れてきてやるからな!」
「それは勘弁だなあ……できるもんならやってみろよ、バーカ」
言い慣れた罵倒を吐き出してふと顔を上げると、独愚達とは無関係である客が不審そうにこちらを見ていた。ウォルツィでは珍しくない猫の耳をはやした若い女だ。髪型は違うが、もう一人の自分の教え子だったあの少女を思い出す。
にこりと笑ってから立ち上がり、早歩きで彼女へ歩み寄る。そろそろ、また新しい奴隷が欲しかったところだ。
・ ・ ・ ・ ・
『ラウォル。今回のことはどう責任を取るつもりだい?』
『人の子一人救うためだあ、何の問題もなかろう』
何とも悪びれていない声がスピーカーから聞こえてくる。
『遺跡の破壊……勝手に多勢の軍を率いて出撃……アストラと交戦……あと、国営費で私物のマッサージ機購入か……昨日から今日にかけての数時間で一体幾つの違法行為をしていると……』
『……む? 俺が王なのだから俺が法だろう』
『そう言って、智の王のボクが国営費で視察に行くだけで文句を垂れるくせに」
牙の王ラウォルと、セロトの父でもあるアガリオの二人は、付き合いは長いらしいが、仲がいいのか悪いのかわからない。そもそも、五人の仲の最強と知恵の泉を謳う王ふたりがここまでの適当さでいいのかと疑う。
『いいだろう? アストラのザコどもに大きな一撃を与えた。大神も丁寧にあちらへ宣戦布告をしてくれたようじゃあないか』
『それが問題なんだがなあ』
宣戦布告。その言葉は今と同じように盗聴で聞いた言葉だ。遺跡の中は魔力濃いせいで通信障害が発生し、その実際の言葉は聞くことができなかったが、ロクたちの意味深な内輪会議だけでその大体の内容を知ることは可能だった。
『……まだ、あのこと。収拾も解決もしていないんだろう。五十年も放置状態だ。いいのかい? いまアストラに攻められてあの子にもしものことがあったら、どうするつもりだい。あまり……長くは保たなそうだよ』
盗聴器のチャンネルを変えようと伸ばしていた手を止めた。
ラウォルはすぐに答えない。様子を見ることができないのがもどかしい。戸惑っているのか、言い淀んでいるのか。
『まあまあ! そんなこたあいいだろう! こんな堅苦しい会議は終わりにして、国営費で買った酒でいっぱいやろうじゃあないか!』
『あのなあ、きみは——』
すぐにチャンネルを変えた。壊れる勢いでグルンとつまみを回したので、適当なところに目盛りが合う。
『ええ! うそお! なんて言ったのッ!?』
ハイテンションな声がヘッドホンから飛び出した。慌てて、ボリュームのつまみを引っ掴んで一旦消音する。そして恐る恐る一ミリずつ目盛りを調節して、鼓膜にダメージなく会話が聞けるようにした。
『アタシ、神里くんのこと彼氏にするの諦めマス』
『何でェ!?』
一人称と声の感じで、コカの会話の相手がサホだということがかろうじてわかった。コカの声量にボリュームを合わせているせいで普通の声量のサホの声が聞き取りづらい。
『もうさあ、なんかさあ、あの人めっちゃくちゃ女の子に対してはピュアじゃん! なんかそれわかってから話してると、自分が超汚い人間に感じて、めっちゃ惨めになるのよッ! わかるッ!?』
『わかんない!!』
『わかれっ!』
恋話をしているらしい。興味はないが、こういう人の秘密は知っておいて損はない。
『もうさあ、責任取らせちゃったみたいだし、アタシもう神里くんに身合う女だとは思えないのよォッ!』
『サホチャンッ! 泣かないで!!』
『もうやだ、人生詰んだ。もうイケメンと結婚できない。トラウマ。生まれた時からやり直したい』
『サホチャンッ! そう言えばワタシ、サホちゃんがミツキくんのこと好きだったの初耳!!』
いろいろ生産性のないくらい話を聞かされそうになったので、早々にチャンネルを変えた。本命はこれのみだ。
『いつ帰ってくんの……デスカ』
『もういいわよ敬語くらい。親子なんだし』
『はあ』
現代っ子は必ず文明の利器とも言えるスマホを携帯している。それはロクでも例外ではない。繋がりはしなくとも手元にないと気が済まないらしい。それはきっと、あの魔王からの連絡を逃すわけにはいかないからだろう。
自作の盗聴器は優秀だ。受話器越しの語の声もしっかり拾ってくれる。
『今大阪にいるんだけどね。このまま全国ツアー決まりそうなの。日本にいてももうしばらくは家を留守にしちゃうと思うわ』
ロクはその言葉を聞いて多少は喜んでいるようだった。腕輪を通してロクの「家掃除してないから助かった」というだらしのない思考が伝わってきた。思考を共有できるというこの迷惑なグッズがまともに役立ったことはない。ロクが本能で物事を判断する獣頭だからだ。いや、獣の方がもっとちゃんと思考をしている。
『合宿もいいけど、たまには家に帰って留守の家をお願いね。留維は仕事も忙しいだろうし、あと週に一度は電話を……』
『あ、はい……はぁい、ハイ』
いつもの横暴な態度はどこへ吹き飛ばされたのか。ロクは母親には腰が低い。尊敬だとかマザコンだとか、そういう腰の低さではなく、本当に畏怖しているような接し方だ。それでもどこかで母親を出し抜いてやろうという思考だけは通じてくる。文字通りこざかしい。
しばらくもせず、すぐに親子の電話は終わった。ロクは独り言を言わない。誰かに会うことがない限り、何か重要なことを喋ることはないだろう。
しばらく無言でロクの漫画をめくる音に耳を済ませていたコンは、やがて盗聴器受信機の電源を切り、録音モードに切り替えた。
ヘッドホンを外して、物で溢れる作業台の上に放る。
「…………」
そのヘッドホンを見て、コンは自分の耳をさすった。ラウォルや、妹の刻音とは違う人間の耳だ。
コンは、ロクと出会ってから一度も狼の姿になったことはない。尻尾だって、狼らしい毛の一本だって出したことがない。
正確には「ならない」のではなく、「なれない」。
いつの間にか、さするだけでなく耳を掻き毟っていた手を止めた。作業台横の木箱から、空の丸フラスコの丸い部分のみのようなガラスの球体を手に取った。コンのみが作れる術玉の素材だ。
すうっとその表面を撫で、中に魔力を込める。紫色の煙がガラス玉の中に漂い、術玉の生産が成功したことを表した。コンは続けて二つ三つとおなじものを掌で生産していく。それが数十個、数百個と生み出され、床が覆い尽くされそうになった時、ようやくコンは手を止めた。
これら全ての術玉に込められた術はどんなものか? 答えることはできない。そもそも、この術玉の中に入っているのは、ただの魔力だけだ。
コンはぼうっと魔力枯渇で明滅する視界を瞬きで安定させようとしながら立ち上がった。めまいに呻きながら部屋の奥にあるコート掛けにひっかけていたウェストバッグに手を伸ばす。それにあと少しで手が届くところで、自分で床に転がした術玉に足を取られ、よろけた。
とっさに近く壁に手をかけて転倒は免れたが、代わりに今足を取られた術玉がコロコロと転がり、不安定に積み上げられた木箱にコツンと当たってそれをぐらりと傾けた。傾き、盛大にその中身をぶちまけた木箱は、鼓膜を貫く大きな音を立てた。
木箱の中からこぼれ落ちた大量の術玉は、幸い床に広げたままになっていた革の生地の上に落ちたおかげで割れるなどという大惨事にはならなかった。
勢いがおさまらず次々と雪崩のように術玉が流れ出てくる。全て、中身は同じだ。一つ一つ、凝縮された少量の魔力が詰め込まれている。それが、百個、二百個——先ほど生産したものも合わせると、もっとあるかもしれない。
ゴロゴロ、ごろごろとコンがため込んだ術玉が床に広がってゆく。
忌々しい魔力が詰まったガラス玉をぼうっと眺めたコンは、徐に作業台に突っ伏した。
「………」
何度か息を吐き出す。喘ぐように、嗚咽を漏らすようにして口を何度も開閉させた。
自分はいつまでこうしていればいいのか。いつまでこんなことを続けなくてはならないのか。
何万回目とその疑問が浮かぶたびに、コンは解放されたいと願った。
「——……しにたくない……」
その目処は、今のところ立っていない。
明日には恒例の登場人物紹介あげます。