アナタの可愛い女子生徒
「先生、アナタの可愛い女子生徒が遊びに来ましたよ」
13時。外は蝉の鳴き声で埋もれていた。シュワシュワと鳴く音が、まるで夏の太陽が鳴らしているように錯覚した。
扉の前で、寝ぼけた笹峰はボリボリと頭を掻いた。そのまま、顎に生えた無精髭をポリポリと掻いた。
「可愛い……? 女子生徒? 見当たらないけど」
眠気まなこを擦りながら、ようやく吐いた台詞がそれだった。
まだ寝ぼけているようだから、私の手も使って目を擦りつけてやろうかと考えた。だけど、それは危険だからやめた。失明なんかされたら困る。
笹峰は大きく聞こえるように、溜息を吐いた。
衣世はそれを無視した。きっと良い意味ではなかったから。
「ホントに好きだねぇ、君も」
「うん」
何が好きかは敢えて言わなかった。言えなかった。
ただ、同意するだけでも、こんなに心臓が早くなる。
こんなにも不安になる。会えて嬉しいのに、声を聞けて幸せなのに、嫌われたくなかった。
ただ、隣にいてほしかっただけなのに。それ以上を願ってしまった。願いのキャパが超えてしまった。ただ、それだけなのだ。だから、上手くいかない。
「仕方ない。今日はいいや。近くに公園あったろ? そこ行くよ」
笹峰は玄関に置いてあったシャボン玉のセットを手に取った。
「先生、それどうしたの?」
「この前のお祭りで当たった。一人でシャボン玉で遊ぶ23歳って流石にヤバイでしょ? 捨てるのもなんか嫌だから、これで遊ぼう。誰かに見られても科学の実験してたって言えばいい」
「……そう……だね」
あぁ、ダメだ。望みすぎた。だから、こんなにも悲しい。
*
夏の公園は、周りに青々とした木が並んでいて、地面は蒸し返すような暑さだった。遊具は熱を帯びて、触れるだけで火傷してしまいそうだった。
木の下に設置されているベンチに二人で並んで座る。
そこは、ちょうど影になっていて心地良かった。
気がつけば、汗が静かに流れていた。笹峰は衣世の隣で暑さで歪んだ公園を見ていた。まるで、蜃気楼でも見えそうだった。
先生はさっさと用意を始める。いつの時代も変わらない緑色の吹き口は、もう私の手のサイズには合っていなかった。
「始めるぞ」
吹き口の外側に膜を張った石鹸水は、高速で回転しながら段々大きくなっていく。頃合いを見計らって、ふっと強めに息を吹いた。すると、シャボン玉は宙を漂う。ゆっくりと、私たちの元から離れていく。
そしてすぐに、音もなく液体になって地面に弾けた。
私も吹き口を持って、軽く息を吹きかける。私のシャボン玉はポポポポ、と刻み良く小さな球体を幾つも生み出し、景色を彩った。それは、大きいものよりも長持ちで、気持ちくらいの差だけど、確かに遠くまで離れていった。自分の手が届かないとこまで飛んでいって、すぐに破れた。
シャボン玉が、生み出されては消えていった。同じような色と形だった。本当は先生が生み出したシャボン玉を全部覚えておきたかった。二人で作ったこの光景は、私にとってあまりにも綺麗で大切だったから。
でも、どれも同じだった。端から見たら特別なんてものはないんだ。
それは自分の気持ちみたいで、シャボン玉が弾けるたびに、泣きそうになった。だって、これは私にとっては特別でも、他の人から見たら、ありふれた感情に過ぎない。
特別であってほしかった。特別だったら先生はずっと、そばにいてくれたのかな。そんな理由を作って逃げることしか出来ない自分が嫌だった。
気付けばシャボン液はなくなっていた。片付けをしている姿を、ただぼんやりと眺めた。
「先生……」
「んー?」
「好きだよ」
「……ごめんな」
「うん……」
「……ありがとう」
「う……」
笹峰は、衣世の頭をいつもにように撫でた。衣世は、笑ってみせた。泣くことは帰ってからでも出来るから。でも、好きな人の前で笑うことは、今しか出来ないから。
……もう二人で遊べないから。
ずっと、分かってたよ。
この気持ちは手渡したら破れてしまうものだってこと。
シャボン玉は、いつだって、宙にまって、消えちゃうんだ。
それは何も、特別なことではない。
「先生……好き」
堰が切れたように、言葉が零れていく。伝えたかった。全部は難しいかもしれないけれど、それでも、だって。
「好きなんだよ」
「……うん」
「ねぇ……先生は好きって言葉の意味を知ってるの?」
「……うん」
「付き合ってほしいって意味だろ?」
「違うよ……。ずっと、そばにいてほしいって意味だよ」
「どっちにしろ、ごめんな」
「先生は私のことが嫌い?」
「好きだよ」
「……それはどういう意味?」
「そばにいれたらよかったなぁって意味だよ」
「……それなら意味は知ってるよ」
笹峰は、衣世を肩に抱き寄せた。小さな体は、すべてを預けた。半袖から見えている腕と腕が触れ合う。汗ばんでいて、気持ち悪いのに、嬉しかった。
蝉の声が遠くなっていく。
「どう考えても、付き合うのは無理だろ。捕まるし、仕事もなくなる」
「……こっそりしたらバレないよ」
「いや、流石にバレる」
「……なんで?」
「隠し通せる自信がない」
笹峰は相変わらず遠くの方を眺めている。表情から心理は読み取れなかった。ただ、声色は優しかった。
「先生は私のことが好きなの?」
「好きじゃない」
「う……」
「ただ、気にはなってる。今はそれだけじゃダメか?」
「……いいよ」
今はそれだけで、よかった。
先生の匂いは、男の人の匂いがした。
「変態ロリコン犯罪教師……」
先生の名前は、これでもかというほど形容詞がつけられた。