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意味はあったかな


 蝉の声が静まり、夜が来た。

 提灯に明かりが灯り、昼間とは違った賑わいを魅せる。

 遠くまで並んでいる屋台からは、夏の熱量を増幅させる活気が溢れ、人々と混ざり、特別な空間が作り出されている。

 どこかで子供達の笑い声。繋いだ手。どこか妖艶な夜。

 心が開放的になる。誰かの体温に触れると鬱陶しくなるくらい熱いのに、それが嫌ではないのが不思議だ。

 鈴虫の音色は、掻き消される。ここは祭りの場だ。



「はぐれるなよ」

 衣世の手を、優しく握る手の持ち主は、耳元でそう囁いた。衣世はコクリと小さく頷いた。狭い空間を大量の人が行き違う。気を抜くと衣世の小さい体は埋もれてしまう。流されないように抵抗すると、流されてしまう。なので、流れに沿うように二人は歩いていく。同じソースの匂いが幾つも重なっている。

 汗が、蒸気が、湿気が、感情が、纏わりつく。

 付き合って最初の夏。衣世と大山は二人でいた。



「あっ、あれ五組の須藤と中田じゃね?」

「ほんとだ。付き合ってんのかな」

「手繋いでるみたいだからな。そうなんじゃない? 結構他にも来てるみたいだよ。何組か見かけてる」

「そうなんだ。全然気づかなかった」

 知らない他人の顔は影で認識される。ぼやけた残像を残した人たちと数えれらないほどすれ違う。いちいち認識していられないが、見覚えのある顔には、色がつくんだろうな。

 私は大山みたいに、顔が広いわけじゃないから、認識の感度に違いがあるのだ。



 光の中、ぼんやりと眺めた景色。溶けていく真上の星空。

「あっ! レアなもん発見!」

「えー、なになに? 何を見つけたの?」

「ササミンが女連れて歩いてる。アイツも人の子かぁ」

 聞かなきゃよかった。知らなきゃよかった。知らなかったらこんな気持ちになることもなかったのに。

「あはは、笹峰の癖に女連れてるとか生意気だねっ。どんな人だったの?」

 聞くなバカ。聞きたくないことは聞かないでいい。

「なんか大人っぽい。キレーな人だった。浴衣着てて、似合ってた」



 私も着てきたらよかったかな。失敗した。何度も失敗をしてる。そうか、夏祭りってのは浴衣で来るものなんだ。

 衣世の手は引っ張られ、人混みから抜け出していく。いつの間にか静かな公園に着いていた。



「んっ……」

 誰もいないから、キスをしてくれた。

 なんで大山は私をここまで求めてくれるのだろうか。『優しいところが好きだ』って言ってくれたけど、私は付き合ってから優しく出来たかな?

「どうしたの?」



 腕の中で、問われる。問われるのは、問われてしまうことをしてしまっているからだ。自分では気づいていないことも、自分では見ようとしなかったことも、自分のことを見ようとしてくれている人が見れば、その些細な変化に気づいてくれる。



「なんでもないよ……」

 自分の気持ちから目を反らすな。って笹峰が言っていたなぁ。自分のことを見てくれている人がいてくれてる。その人たちのためにも、まずは自分が見て、自分自身を大切にしろって。

 衣世の目から一粒、小さく涙が零れた。大山はそれに気づいて、指でそっと拭った。何も言わずに優しく手を引っ張って、そっとベンチまで誘導する。



「ごめんね、ありがとう」

「俺のほうこそ、ごめん。気づいてあげれなくて」

「あのね、大山くん。私と一緒にいて楽しい?」

 あー、なんかやだなぁ。すごい重たい人みたいなこと言ってしまった。



「楽しいよ。楽しいし、幸せだよ」

 小さくも、心からの声は、私の右耳から入って、頭の中で、心の中で、何度も反響した。

「でも、私ね。たぶん、優しく出来てないよ。大山くんが好きだって言ってくれた私の部分、あげられてない」

「優しくしてくれたことはあくまできっかけに過ぎないよ。俺は優しい塩原のことが好きなわけじゃない。優しくなかったら嫌いになるってわけじゃない。いっぱいあるよ。大丈夫。俺はもうたくさんもらってる。その全部が嬉しいから」

「たくさん……? ほんとに……? なにも出来てないよ?」

「ううん、たくさんもらってるよ。例えば、今日一緒にいてくれてること。俺のどうでもいい話をいつも笑ってくれてること。自分が今、泣いてしまうくらい辛いのに、それでも俺のことを考えてくれてる優しいところとか。たくさんある」

 フルフルと首を横に振った。

「私……そんないい人じゃないんだよ」

「塩原がどう思おうと、俺がもらったことは本当だよ。これは嘘じゃない」

「でも……」

 あぁ、そっか……。これか。私が直さないといけない部分はこれなのか。




 この人の中には、私の居場所があるんだ。

 私だ……。私なんだ……。私が居場所を見ようとしてこなかった。私が自分で自分の居場所を拒否してきたんだ。

 自分にはそこにいる資格はないって、逃げてきたんだ。人よりも上手に生きられない自分は、誰かの居場所で傷つくことを恐れていた。

 誰かと接することで、自分のダメなところを受け入れる自信がなかった。自分の良いところも全部犠牲にしていた。

 だから空っぽだと思い込んでいた。自分にはなにもないのだと。



 違うんだ。そうじゃない。なにもない人間なんていない。

 生きてきたから。生きているから。

 見ようとしなかっただけだ。私は今まで一度だって、私を見ようとしなかった。だから、わからなかったんだ。

 自分の良いところ、悪いところ。

 ちゃんと見なきゃ。ちゃんと聞かなきゃ。

 大切にしてくれる人を、大切にしたいから。

「……大山くん、ありがとう」

「どういたしまして」

「あのね、私ね、恥ずかしながら、子供だった。中学生だから世間から見たらまだきっと子供なんだろうけどね。みんなと比べて子供だったの。でも、今ようやく少しだけ成長出来た気がするよ。大山くんのおかげなんだ。大切にしてくれて、ありがとう……」

 まずは、大切にされていることを自覚しよう。それが私の責任だと思うから。

「いやいや、こちらこそ。いつもありがとうね。大切にしてくれてありがとう」

「……私、ちゃんと大切に出来てる……?」

「出来てなかったら言わないよ」

「そっか……、そっか。うん。よかった」

 その日は、手を繋いで帰った。衣世はその間ずっと考えていた。本当の優しさとはなにか。ずっと、自分が自分に隠していたもの。誰かを傷つけることの優しさを。

 自分の責任を。衣世はようやく幸せを探し始めた。みんなが幸せになるにはどうすれば良いのかずっと考えていた。






 *






 ある夏の夜。鈴虫の声がよく響くくらい静かだった。その合唱に混じって、猫の喉音。

「オリゴー、最近先生はどんな感じですか?」

「私は会っていないので、分かりません」

「オリゴー、あんたはいいね。私はあんたが羨ましいよ。あんたらはお互いの中に居場所があるね。先生にとって、私の中に居場所はないんだよ」

「私の中に、先生の居場所があったらなぁ……」

「ねぇ、オリゴー。本当の優しさってなんだと思う? 最近私はずっとそれについて考えてるよ。おバカな脳みそで、たぶん大人の人が考えたら5分くらいで答えが出そうな問いを、もうずっと考えてるよ。バカでしょう?」



「楽な道のりの先に、大きな落とし穴があるとしたら、それを教えてあげるのが優しさだと思うんだよ。歩いている今が楽しくても、最後に傷ついてしまうなら、私が嫌われてでも止めるべきだと思うんだ。それが本当の優しさかなって思うんだ」

「どうかな? 間違ってるかな? オリゴー教えて?」

 グレーの野良猫オリゴーは、クァアと大きな欠伸をした。ペロペロと自分の前足を舐めている。

「おまたせ」



 大山が家の前に着いた。

「うん、来てくれてありがとう」

 スッ、と立ち上がる。オリゴーは見慣れない大山の顔をじぃーっと見ている。

「グレーの猫って珍しいね」

「そうなの? 私猫のことあんまり詳しくなくてさ」

「珍しいと思うよ。海外ではよくいると思うけど。日本の野良猫ではあんまりいないかな」

「へぇ……」

 オリゴーさん。あんたそんなに珍しい猫だったのかい。

「じゃあ、行こっか」

「うん」




 私たちは歩き続けた。場所は決めていなかったから、夏の蒸し暑い夜を二人で歩いた。今日が最後になるって、なんとなく分かっていたから。

 あの祭りの日。大山くんのおかげで、私は自分のダメなところに気付けた。だから、決めたんだ。

 衣世は大山の手を繋いだ。触れたいと思った。

「あのね、私、大山くんのこと大切だよ」

「俺もだよ」

「だからね、ちゃんと言うね……。あのね……別れよう」




「……なんとなくそんな気はしてたよ」

 大山はそう言うと、力の抜けた声でハハッ……と笑った。

「大切にしてくれてることはちゃんと伝わってた。でも、たぶん俺のことそういう目で見れないんだろうなぁって分かってたよ」

「うん……、ごめんね……」

「謝らなくていいよ。俺だってそれを分かってたまま付き合ってたんだ。本当のことを言うとさ、早く別れなきゃなって、ぼんやり考えてたんだ。でも、会うとやっぱり楽しくて嬉しくて、ごめんな。言えなかった。まだ、もう少しだけいいかなって。……よくねぇのになぁ」

「ううん、私も楽しかったんだよ。本当だよ。大切にされて幸せだった。初めてちゃんと大切にされてることを意識出来た」

「そっかぁ……。なら俺たちが一緒にいたことに、少しだけでも意味はあったんだな……」

「あったよ。絶対にあった。私は貴方に出会えなかったら、好きだって言ってもらえなかったら、一生迷子だったかもしれない。本当に感謝してるの。だから、もう嘘はつけない。大切だから、大切にしたい。貴方の今を私のわがままで傷つけてしまっても、貴方には幸せになってほしいから」




 例え、それで嫌われてしまっても、君が幸せになってくれるなら。最後に笑える道はこっちじゃないから。

「ごめんなさい。私はずっと一緒にはいられない」

 手を繋いだまま、大山は優しく衣世の顔を見つめる。

「……強くなったね。初めて会ったときの塩原は、自分を犠牲にして人の幸せを願ってしまうような人だったと思う。でも、今はみんなの幸せを願えるようになった。そのみんなの中には、ちゃんと自分自身もいる。よかった」

「全部、大山くんが私に教えてくれたことだよ」

「俺は何も教えてないよ。塩原が自分で気付けたことだ」

「そんなことないよ……。一人だったら気付けなかった」

「……なぁ、俺たち、また仲良く出来るかな。今度は友達として仲良くしていけるかな」

「私は仲良くしたいよ」

「……そっか。ありがとう。今はそれだけでいい。じゃ、帰るわ」

「あっ、そこまで送る」

「いや……、大丈夫。好きだった女の子に、かっこ悪いところは見せられないからな」




 震えた声が全てを物語っていた。

 私は傷つけてしまったのだ。傷つけない方法はどこかにあったのだろうか。出会わなければよかったのだろうか。あの時、声をかけなければよかったのだろうか。

 きっと、そうじゃない。私がしなければならないことは、受け止めることだ。逃げないことだ。

 人を傷つけてしまったことを、覚えておくことだ。

「じゃーな! また学校で!」

 最後に見た大山の表情は笑っていた。でも、声色と合っていなかったから作り笑いだったのだろう。それだけ見せると、駆けていった。自分の感情がバレないように。

 衣世をできるだけ傷つけないように。

「……またね」

 衣世はいつまでも見送っていた。

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