ちゃんと幸せになるんだよ
ガチャガチャガチャ。ちゅど〜〜〜〜ん。
「……なんで当たり前のように毎日ゲームをやりにきてるんですかね。この子は」
「だって、この前のテストで8割以上とったも〜ん」
「毎日来ていいとは言ってない」
「だって、一日だけとは言ってないも〜ん」
俺がご飯食べれなくなったらお前のせいだからな。と後ろでボヤいている。温かい紅茶を口に運び、衣世のプレイ画面を見ている。たまに授業で使う資料を予習したり、プリントを作ったりもしている。
「先生も予習したりするんだね。先生って、最初から全部理解してるんだと思ってたよ」
「理解しているように見せているだけだ。本当は分からないことだらけだけど、先生はみんなの前にたって見本にならないといけないからな」
「ふぅん、大変だね」
「大変だよぉ〜。何故か毎日僕の部屋に上がり込んできて、勝手にゲーム進めちゃうような生徒がいるんだからねぇ」
「ふぅん。そりゃあ大変だね。……あっ、また死んだ」
「もう遅いから帰りなさいよ」
「もうちょっとだけ……。ねぇ、先生って彼女とかいんの?」
「……いるように見えるかな?」
大袈裟に両腕を広げてアピールしてみる。確かに、彼女がいる要素は、先生の体中を探しても、部屋を見渡しても見つからなかった。
「ごみんね」
「はい」
「じゃあ、好きな人はいるの?」
先生は私の顔を見ると、一瞬の間のあとクスッと笑った。
「……内緒な」
ズキン。と胸が痛んだ。音は鳴らなかったから、気づかれなかったと思う。たぶん、相手のことを思い出したのだろう。先生は、今までに見たことのないような優しい微笑みを浮かべた。それは、生徒に向けるものではなく、対等に接することのできる、信頼と信用を築いている人間に向ける類のものだった。今、私に向けられているそれは、私のためのものではない。
あぁ……。そっか。先生も人間なんだっけ?
好きな人の一人や二人くらい、いるよね。
この胸に響く鈍痛の理由はなんだろう。
「……きもい」
「……あ?」
「今、その人のこと考えてニヤついてたでしょ! キモいから気をつけたほうがいいよ」
「うっそ。マジか。……気をつける」
「塩原はいないの?」
「……いないよ。よく分かんないや。人といることが基本的に得意なほうではないから」
「そうかな。塩原は接しやすいと思うけどな」
「あっそ。もう帰るね。おやすみ」
なんなんだ。コイツは。
それでなんで少し傷ついているのだ。私は。
*
一学期の期末テストが終わり、夏休みまであと少しとなった。日々、校舎に射し込む斜陽が、強い光を帯びていく。
あ、笹峰だ。生徒に囲まれている。相変わらず一部の生徒には大人気だな。噂では、誰かが告白したらしいが、あくまで噂だから誰かまでは知らない。
みんな恋だなの愛だの盛ってるなぁ。あぁ、そっか。もうすぐ夏だからか。夏休みは楽しく過ごしたいもんなぁ。恋人と夏祭りや花火やらデートしたいもんなぁ。夏休みだから、頑張ったら旅行とかもいけるもんなぁ。
私には縁のない話だなぁ。
白い廊下の壁が、一層深く白く見える。眩しくて思わず、目を細めた。生温い風は、湿気を多く含んで私にまとわりついていく。
「衣世ちゃん」
「どうしたの? 由香里ちゃん」
「あー、なんかね。さっき……伝言を頼まれたの。放課後、体育館の西口に一人で来て欲しいってさ」
一人で……、体育館の裏口……? もしかして私また虐められる?
「あー、なんか私の口からは言いにくいんだけど、大丈夫だと思う……。えーっと、ほら、一組の大山くん……」
真っ青になった衣世の顔を見て、由香里は慌てて補足を加える。それを聞いて、衣世は安堵の表情を浮かべた。
「大山君かー。私はてっきりまた何かヘマをやらかして集団リンチでもされちゃうのかと思ったよ……。でも、なんだろう。一年のとき同じクラスでたまに話したこともあるけど、なんのようかな」
「そ……、そりゃあ衣世ちゃん……。1つしかないんじゃない?」
「え……? なんだろう。ま、まさか……」
*
「俺と付き合ってくんね?」
……うそぉ。
大山君。フルネームが確か大山龍平君。一年生のときのクラスが一緒で学園祭をきっかけで少し喋るようになった友達と知り合いの間くらいの関係。
身長は170cmくらい。体重は不明。髪は短髪で爽やかボーイ。部活は陸上をやっている。足がめっちゃ早い。顔は中の上くらい? スポーツを頑張ってるから引き締まって見える。
そんなスポーツマンが、私に告白? ははは。カメラどこかなぁ?
「……聞いてる?」
「えっ!? あっ! はいぃ!」
「ぷっ。なんで告白された側がそんなに緊張してんだよ」
「え〜っ、いや。だって。そりゃあ……」
告白されるのなんて生まれて初めてなのだから仕方ないじゃないか。
「すぐに返事出来ない感じだよね?」
「あー、うん」
「じゃあ、夏休みに入るまでに返事もらってもいいかな? それまで待つよ。 期限があった方が返事しやすいっしょ?」
「……分かった。そのときまでに決めるね」
「あ、じゃあ連絡先交換しようぜ。俺この前ようやくスマホ買ってもらえたんだよ」
QRコードを見せ合い、お互いの登録が完了した。
そういえば、何気に同級生の男子の連絡先って初めてじゃないか? 女友達はいても(少ないけど)男は初めてのような気がする。
登録者一覧の画面を人差し指でスイーっと動かしてみる。あぁ、うん。ないね。
「あ、あにょう」
噛んだ。
「ん? なに?」
「大山君は、どうして私のことを?」
大山は少し照れ臭そうに、頭をかいた。決心したのか目線を衣世に合わせて言う。
「学園祭のとき、初めて俺ら話したじゃん? 覚えてる?」
「あっ、うん。覚えてるよ」
「俺さぁ、実はあのとき学祭のことでクラスの奴とぶつかってしまってたんだ。で、クラスに戻るのもちょっと気まずいから廊下で一人で座ってたんだ。そこにたまたま通りかかった塩原が声をかけてくれたんだ。大丈夫? しんどいの? って。クラスが同じでも話したこともない奴に、そうやって声をかけれる塩原のこと、なんかいいなぁって思って。そういう優しいところ、好きだなぁって思って。2年になってクラスが変わってしまって、話す機会も本格的になくなってしまって。それが嫌だなって思った。だから、告白した。もちろん、付き合いたいから、今こうして言ったんだけど、それと同じくらい、あのときのお礼が言いたかったんだ」
大山の言葉を、一言一言取りこぼさないように、衣世は真っ直ぐ大山と目を合わせていた。
「だから、あのとき、ありがとう。塩原にとっては、なんでもないことだったかもしれないけど、嬉しかった」
言い終わるとタイミングよく、大山のスマートフォンが二回震えた。それを確認すると
「そろそろ部活始まっちゃうから、またな。聞いてくれてありがとう」
部活の荷物が入っているであろう大きめのエナメルバッグを肩にかけた。衣世は何故か動けなくて離れていく大山の背中を見ていた。衣世の頭に笹峰の言葉が蘇る。
『お前のいいところは、優しいところ』
『お前のことを必要としてくれてる人がいる』
グッと空気を吸い込んだ。肺いっぱいに吸い込んで、姿が小さくなった大山に聞こえるように叫ぶ。
「おおやまぁーーーーー!」
たぶん、学生生活の中でここまで大声を出したのは初めてなんじゃないだろうか。大丈夫。皆が好き勝手に雑談している放課後なら、私のことを気に留める暇な奴なんていやしない。衣世の声に気付いた大山は、驚いた表情で振り返る。
「ありがとね」
大山は、衣世に見えるように親指を立てて掲げた。満面の笑みは斜陽で照らされてより一層光を増した。陰から見ていた衣世にとって、それは本当に眩しい存在だった。
*
一学期終了。夏休みに入った。なんとか赤点をとることなくテストを終えることが出来たので、心置きなく夏休みを満喫出来る。
「先生は、学生時代彼女とかいたの?」
夏休みに入っても二人の関係は変わらずに続いていた。難易度が高いゲームだけあって、一日一時間ほどのプレイじゃなかなか先に進めなかった。
「いたよ」
「どうだった?」
「大雑把な質問だな」
「じゃあ、付き合ってよかったと思う?」
「うん」
「私、告白されたの」
笹峰は飲んでいた紅茶をプリントの上に吹き出してしまった。変なところに入ってむせている。それが落ち着くのを待って、衣世は続けて口を開く。
「それで、付き合うことにしたの」
「よかったじゃん」
「でもさ、難しいね。付き合うのって何したらいいのかな?」
「そんなもん、人に言われてするもんじゃない。正解も不正解も二人で決めることだ。自分たちがやりたいことをしたらいいよ」
「……ないの。だから困ってるの」
フッ、と笹峰は笑った。ポンポンとゲーム中の衣世の頭を撫でる。
「先生、手元が狂います」
両手が塞がっている衣世は頭をブンブンふって、手を振り払う。
「どうすれば、みんなみたいに上手に付き合えますか?」
「……初めから上手に付き合える奴なんていねぇよ。みんな失敗してる。たくさん失敗して、好きな人を傷つけたり、深い傷を負ったりしてる。楽しいことも多いけど、同じくらい辛いことも多い」
「辛いことも同じくらいあるんですか。不思議ですね。みんな幸せになりたいから、付き合うんじゃないんですか?」
「幸せになるってことは、辛いことがなくなるってわけじゃないんだ。楽しいことも苦しいことも全部合わせて、それでも大切にしたい気持ちを、幸せと呼ぶんだ」
いつの間にか画面は真っ赤な血文字で「YOU ARE DEAD」と表示されている。衣世は手を止めて、笹峰のほうを見ていた。
「……私、彼のことを大切に出来る自信がないです。彼と幸せになりたいって、まだ思えないんです」
「……そりゃ、だって付き合ってまだ一週間くらいだろ。そんな早く答えを出す必要もないんじゃないか? 少なくとも塩原と一緒にいたいと思ってくれてる人だ。ちゃんと向き合って、そこから先のことを考えても遅くはないよ」
「ちゃんと向き合う……」
「お前は優しいよ。何十人と生徒を見ている俺が言うんだ。そこは間違いない。でも、優しさと弱さを一緒にしたらダメだな。ちゃんと相手を見るんだ。相手の声を、気持ちを、逃げずに受け取るんだ」
「先生、前も似たようなこと言ってたねぇ」
「教えて育てるのが、先生の仕事なんだ。今は育ててる段階」
「そっかぁ。育ててくれてありがとうね」
「うん、あとお前今日から俺んち出禁な!」
「は……はぁ!?」
突然の宣告に、空いた口が塞がらない。
「なん……で?」
「いや、だって彼氏いる奴が毎日他の男の部屋に遊びにきたらダメだろ」
いやだ。そんなの。
「でも、ゲームだってまだクリア出来てないし……、やだよ」
笹峰はゲーム機からディスクを抜き取ると、パッケージにいれて手渡した。
「はい、クリアしたら返してくれたらいいから。ただ出来るだけ早くクリアしてくれよな。俺もまだクリアしてねぇんだ」
「ちょっ、そん……な。やだ。こんな……急に」
「元々、一人で生徒が部屋に来ること自体よくなかったしな。ちょうどいい機会だから」
衣世の必死の抵抗も虚しく、外に締め出された。鍵が閉められる音がした。
え、なに? もう先生と遊べないの?
「ちゃんと幸せになるんだよ」
扉越しにくれた言葉に答えることが出来なかった。そのままなにも言わずに自宅に帰った。僅か数メートルの距離が、果てしなく長い距離に感じた。
行けなくなってようやく気付いた。私はゲームをしたかったわけじゃない。あの空間で、先生と意味のない話を毎日したかった。ただ、それだけだったんだ。それだけでよかったんだ。
当たり前になってしまっていた毎日は、実は絶妙なバランスで成り立っていて、自分のポジションが少し変わってしまうだけで崩壊してしまった。
当たり前だと思っていたことは、当たり前なんかじゃなかったのだ。