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猫のオリゴー


 ゴロゴロゴロ。猫の喉が気持ちよさそうに鳴っている。

 アパートの前で首輪もつけられていないグレーの猫は、笹峰に甘えていた。足元にグルグルまとわりついて臭いをつけたり、目の前でドテンと音を立てて寝転がってみたりしている。

 笹峰は猫の餌をお皿にあけた。グレーの猫は、待っていましたと言わんばかりに食いつく。お腹を減らしていたのだろうか、一度も止まらずに食べきった。

 食べ終わると、自分の体をペロペロとグルーミングし始めた。念入りに頭から腹部、爪先まで丁寧に舐めていく。それを見ながら笹峰は、煙草を一本吸っている。



「わっ、猫だ」

「お〜、おかえり」

「ただい……ま? なんかおかしくない?」

「ん? なんで?」

「だって、私たち家族でも、恋人でも、なんでもないでしょう?」

「いいや、お隣さんって立場」

「あー、なるほど……ね」

「近所のおばさん的なね」

「近所のおじさん、ですね。通報事案ですね。最近流行りの、声をかけるだけで通報されるやつですよ」

「生きにくい世の中になったなぁ……」



 フー…、と長く煙を吐いた。

「先生、もしかして結構煙草吸いますね?」

「一本吸っちゃったら、二本も三本も同じなのだよ」

 こんな奴が大人だなんて、絶対に認めたくないなぁ。

「この猫、先生の?」

「いいや、なんか食べ物あげてたらここに来るようになった」

 そら、あーた。来るでしょうよ。食べ物もらえるんだったら、猫はどこにでも行きますよ。そういう生き物ですよ、こいつらは。

 衣世はグレーの野良猫に手を伸ばす。人馴れしているようで、怖がらない。クンクンと匂いを嗅がれ、受け入れられたのか、ペロンと一回衣世の指を舐めた。ザラザラした猫の手はなんだかこそばゆい。

「名前は……?」

「笹峰武雄……?」

「先生の名前じゃなくてね、この子の名前」

「あ、あぁ……。知らない」

「決めてないのね」

「俺は猫って呼んでるよ」

「じゃあ、私が名前つけてあげる。君の名前はこれからオリゴーだよ。オリゴー返事しなさい」

 衣世の言葉を聞いたのか、グレーの色の猫はオリゴーという名付けに対して、ニャーンと高めの声で返事をした。



 首元をかいてあげると、もっとしてくれと言わんばかりに顎をあげる。笹峰以外にも餌をあげているのだろう。野良猫の割にふくよかだ。人に甘えて餌を貰う術を身につけているのだろう。

 自分もオリゴーくらい、世渡り上手だったらもっと悩み事とかも少なく生きれただろうなぁ、と衣世はオリゴーの背中を撫でながら思った。

 そのまま10分くらいオリゴーと遊んでいると、オリゴーは何かを思い出したようにおもむろにに起き上がり、トットットッと、軽快なリズムで向こうの方へ歩いていった。

 衣世と笹峰は黙ってその姿が見えなくなるまで見送った。


「猫っていいですね。自由で」

「そうだねぇ。俺も猫みたいに好きなときに寝て、好きなときにご飯食べて、好きなときに散歩したいよ」

「先生もわりと自由に生きているじゃないですか」

「いんや〜、それほどでもないぞー。明日も君たちと同じように学校に行かねばならんし、仕事も毎日山盛りあるしなぁ。間の時間で好きなことをしているだけだよ」

「ふぅーん」

「じゃあ、俺は帰って今日買ってきたゲームをするから、さようなら」

 そう言われれば、手にゲーム屋の袋をぶら下げている。

「なんのゲーム買ったの?」

「ダークソルジャー3」

「そ、それってまさか! 今日発売のダークソルジャーシリーズの最新作では?!」

「おー、よく知ってるな。そうだよ。ダンジョンが俺を呼んでいるから、もう帰らないといけないんだ」

「それさ……、私も買いたかったの……。お金なくて買えてないけど」

「先生は働いているから、お金があるのだ。じゃあね」



 部屋に戻ろうとする笹峰の腕を掴んだ。

「……」

 ふり払おうと、何度か動かしてみたが、衣世の掴んだ手は離れない。無視して歩こうものなら、衣世はズルズルと引きづられてついてくる。

「な……なんだ。どうしたというんだ」

「えへ、先生の家で国語の勉強したいなぁ。今日の授業で分からないところあったんだよねぇ」

「それは、明日、聞いてやる」

 ズルズルと衣世を引きづりながら、一歩ずつ進んでいく。

「やだやだやだ。今日じゃないとやだ。私もダンジョンに呼ばれてるもん」

「はぁ……、どうせそんなことだろうと思ったよ。……誰にも言わない?」

「うん!」

「30分ゲームしたらすぐ帰ると己の魂に誓えるか?」

「うん!」

「信用ならねぇ……、まぁいいや。お前の気持ちもわからんでもない。同じゲームを愛するものとして、今日だけ特別だ。……バレたら俺は社会的に死んでしまうけど」

「いいじゃん、先生の人生だって死にゲーでしょ?」

「アホか、死んだら終わりだ」



 音がうるさいアパートの階段を登って、203号室の扉の前に立つ。笹峰がポケットから鍵を取り出してドアを開ける。

 そういえば、男の人の部屋に入るのは初めてだった。今更ながら緊張してきた。

「スリッパとか俺の家にはないけど、我慢しろよ」

「別にいらないよ。私も家でスリッパなんて使ってないから」

「散らかってるけど、どーぞ」

「お邪魔します」

 散らかっていると笹峰は言ったが、部屋は小綺麗に整理されていた。本は本棚へ。服は箪笥へ。ペットボトルはゴミ箱へ。

「ていうか、先生の部屋って物少なくない?」

「そりゃお前、新社会人の給料舐めんなよ」

「さっき働いているから金はあるのだって」

「ゲームを買うお金しかないのだ。他は全てを犠牲にしている。僕の口座は全てを叶えてはくれないのだよ」

 確かに、本棚の一部がゲームソフトのケースでいっぱいになっている。新しいのから古いゲームまで。本当にゲームが好きなんだな。

「開封します!」

「いえーい」

 笹峰は爪で商品のビニールをひっかけて破っていく。パカッとケースを開くと、ゲームソフトのBlu-rayと、ペラ紙一枚。



「……最近のゲームって説明書薄いよな。俺は説明書に載っているどうでもいい小話とか、イラストとか読むのが好きなんだけどな。時代だねぇ」

「どうでもいいから、早く電源入れてよ」

「どう……でも……いい……」

 軽くショックを受けている笹峰を尻目に、衣世は「はやくはやく」と急かしている。深い溜息を一度吐いたあと、ディスクを本体に入れる。

 いくつもの会社のロゴが表示されていき、最後にゲームタイトルにたどり着いた。真っ暗な画面に白い煙のような字体で『ダークソルジャー3』と浮かび上がり、不穏なタイトルコールがかかる。ここから大冒険が始まっていくのだ。

 いつの間にか一つしかないコントローラーを握っている衣世はスタートボタンを押した。キャラクタークリエイトの画面になる。最初の項目にNAMEと記されている。

「えーっと、名前は」

 衣世は『IYO』と打ち込んだ。

「……おい、ちょっと待て」

「……なにか?」

「なんで君は自分のセーブデータを作ろうとしているのかな」

「ケチケチすんなよ。ハゲ」

「まだハゲてねーよ」

 衣世はなんとなく笹峰の細い髪の毛を見つめる。

「……ご愁傷様」

 と憐れむように呟いた。それを聞いて完全に沈黙した笹峰を置いといてキャラクターを設定していく。


「脳筋プレイかよ」

「っるさいなぁ。どうせバカですよ」

 キャラクターを作り終え、ゲームが始まった。中世ヨーロッパのような雰囲気。ダークなファンタジー感が漂っている。

「どーせ、チュートリアルでしょ。こんなところで死ぬわけには行かないの」

「死んだら交代な」

 初期装備の片手剣で、棒立ちの敵をなぎ払っていき、ダンジョンの深層部分に足を進めていく。大きな扉を開くと、画面の下に敵体力のバーが表示される。

 そのとき、上から何かの衝撃に襲われた。画面外からの突然の攻撃に反応することは出来ずに、モロにダメージを食らってしまう。

「ちょっ、えぇ、ダメージくらいすぎじゃない?」

 文句を言っている間にボスの広範囲攻撃が繰り出される。頼りない初期盾でガード……仕切れずにIYOと名付けられたキャラクターは体力が0になり、地面に倒れこんだ。

「あ、そっか、分かった。死にイベントね。死なないと先に進めないやつ」

 しかし、衣世の発言とは裏腹に、画面いっぱいに虚しく大きな文字で、当てつけのように『YOU ARE DEAD』と表示された。IYOはダンジョンの最初のポイントから再出発を強いられた。

「おぉ、さすがだな。相変わらずの死にゲーだ」



 笹峰のワクワクしている表情に対して、衣世は出鼻を挫かれ意気消沈していた。

 そのあと交代を繰り返しつつ、ようやく最初のダンジョンのボスを倒すことが出来た。

「うお……おおおお!」

「ようやく……倒せたぁ」

 お互いに顔を見合い、大きくハイタッチをした。気づけば二時間経っていた。

「あ、ほらもう帰れよな。明日学校だぞ。また遅刻しても知らねーからな」

「また乗せてもらうからいい」

「いや、ダメだから」

「明日もやりたい」

「今度のテストで8割採れたらな。無理だと思うけど」

「分かった」





 *





 次の日、朝のHRは副担任の先生が行った。副担任が言うには、なんでも笹峰は昨日の夜から体調を崩して風邪をひいた。今日一日だけ休む。ということだった。

 ……絶対アイツ家でゲームしてるだけだろ! と思ったけど、副担任にはチクらなかった。ていうか、そんな大人がいていいのかよ。

 衣世は声に出したいことだらけだったが、グッと堪えて一言。

「私だって続きしたい!」

 と、誰にも聞こえないところでそう呟いた。



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