ガン・ディサイド 一
「状況を整理しよう」
その一言は自分自身への投げかけでもあった。
三人で囲んだテーブルの上には西洋の映像で見たことあるような樽を模したコップが三つ、小さな花瓶に可愛らしい桃色の花が一輪挿しで生けてあった。照明は暖かいオレンジ。
「……」
の割には相席の二人の間に重い空気が漂っていた。
「とりあえず、あなたの名前を聞いていいですか…?」
「…ガン。ガン・ディサイド」
こちらを見つめながら小さな口を動かした。
「ディサイド…さん」
「イドでいいです」
目線は揺るがない。
「あー…えーっと」
見つめ続けられるのには慣れてない。苦笑いを浮かべると、周りに花吹雪が舞ったかのように表情をキラキラさせて、頬を赤らめた。
「…」
気まずい沈黙。視線は気にしないことにして咳払いをした時、ガイドさんが乗り出した。
「私はガイド・オンリュー。そしてこの人はアルドノア・コントロール。よろしくお願いします!」
声の大きさと語尾を強く強調したイントネーションで、明らかに「よろしく」願っている状態ではないと察した。言い方はとても、怒っているよう。
イドは割と早口に自己紹介と私の紹介をしたガイドさんを一瞥して、無関心そうに視線を戻した。かすかにため息が聞こえた気がした。
「なっ…!!」
その様子に敏感に反応して、顔を真っ赤にするガイドさん。イドは無視して私を見続けている。
「え、えと…ガイドさん?」
何が理由で怒っているのかは分からないが、とにかく場の雰囲気が悪くなっているのは分かった。
私が名前を呼ぶと、はっと自我を取り戻したかのようにこちらを見て、小さく謝りながら浮きかけていた腰を下ろした。
「…あの」
やっとイドから話を投げかけられ、出来るだけ気を悪くさせないように明るく返事した。
「名前。教えてほしい…です」
「……へ?」
名前ならさっきガイドさんが言ったではないか。しょんぼりとしていたガイドさんも腑抜けた声を出した。
「名前って、さっきこちらのガイドさんが言ったじゃ…」
「あなたの口から聞きたいんです」
隣からガイドさんの「なんじゃそりゃ…」という呆れた声が聞こえる。
熱意がこもった発言にあっけにとられながらも、一瞬だけガイドさんと目を合わせ、じゃ、じゃあ…とおぼつきながらも応えた。
「あ、アルドノア…コントロール…?です」
「なんで疑問系…」
「アルドノア…!!かっこいい……!はぁ…やっぱりやっぱり……」
ガイドさんの発言にかぶさって、興奮気味に頬を赤くしながら吐息交じりに言ったかと思えばよろよろと立ち上がり、倒れ気味に私の顔に近づいた。
「好き…」
悲鳴をあげる間もなくまたもや間近で囁かれる。
時間が止まったかのように空気も固まった部屋になり、ガイドさんも赤面しながらぱくぱくと口を動かしている。
「あ、え、と。あ、ありがとう…ございます…?」
「……むぅ」
頭は真っ白だったが二度目なので多少の耐性は付いたらしくなんとかまともにしゃべることができた(?)。
何故か不服そうに唸ったイドは、ゆっくりと上体を起こし流れるように元の席に座る。移動しているときに何かぼそぼそと喋っていた気がするが、よく聞き取れなかった。
ひじ掛けに肘を置き、頬杖をついてこちらを見つめたかと思えば
「でもそういうところも好きです」
と、幸せそうに笑った。
は、はぁ。と返事するしかなく、汗をたらりと流すと、ガイドさんの「はっ!!」という我に返った声が聞こえた。
「あ、あなた…!さっきから「好き好き」って…。からかってるんですか!??」
私より明らかに動揺しているガイドさんはわなわなと震えながら顔をより一層赤くして、何故か涙を浮かべながら怒鳴った。
あまりに大きな声なので私は冷静を取り戻したが、イドは両人差し指で耳栓をしていた。眉間にしわを寄せ、耳栓を外しながらまたため息を吐く。
「うるさい。別にからかってないし。私は本当に「好き」って思ってるから言ってるだけ。何そんなムキになってんの」
「なっ…。む、むやみにノアさんを困らせないでください!反応に困ってらっしゃるでしょう!?」
「…それだけが理由には見えないけど?」
それは今日日で一番大きな声の「はぁ!!?」だった。
―――――
「…店員さん、ガチギレしてましたね」
「そりゃそうですよ。どっかの誰かがあんまりデカい声で喚くから」
「あ、あなたねぇ!!?」
「まぁまぁ…。公共の場ですから…」
なんとか黙ってくれたガイドさんと、私の腕を抱きしめて離さないイドに挟まれながら薄暗くなった空の下、タイル張りの街道を進む。
先のお店では、最後のガイドさんの発言(絶叫)で堪忍袋の緒が切れたのであろう店員らしき女性が「お客様。ほかのお客様のご迷惑になりますので、他の場でお楽しみ願えますか??」とにこやかに、だが内に激怒を隠したような口調で提案(命令)されたので、そそくさと立ち去ったのだ。お店の方にも、同室にいたお客さんにも、これ以上ない程の迷惑をかけてしまった気がする。現に出ていくとき、大人数からの視線を背中で受け止めていた。重くて痛い視線は、思い出すほど心がえぐられる。
「も、もう…あのお店には行けませんかね…」
「うーん…まぁ…」
「当たり前でしょ。あんだけ迷惑かけたんだから」
「なんで私を見ながら言うのかな…」
「は?あんただけが騒いでたからに決まってんじゃん」
「あのー…」
「イドさんも、少し黙りましょうか…?」
そう口走ると、ぴたっと二人の言い合いは止まった。心なしかイドの手の力が抜けていく気がする。イドの手がするすると下に落ちていき、袖口で止まる。
「?…イドさん?」
鼻水をすする音が聞こえた。
本能が、ぎょっ。と感じた。
左の袖口をつかむ手が、だんだんと力を取り戻していく。徐々に歩くペースも遅くなり、ついに止まった。
固く握る手の甲に、水が滴った。
「……さい」
「…?」
涙声で、震えながら、俯いて、小さく呟いた。なんて。と問う前に、大きく息をしゃくりあげた。
「ごめんなざい…っ。………きらわないで…っ!」
さっきまで大の大人と言い合っていた彼女とは思えないくらいの純粋な言葉で、滴っているのが涙だと即座に分かった。
ウソ泣きだなんて疑っては失礼なほど、ぼたぼたと流れ落ちてく涙がイドの反省の程を表していて、過呼吸になりながらも「ごめんなさい」「許してください」「嫌わないで」と何度も何度も必死に言葉を伝えようとしていた。
あまりに突然のことに動揺しながらも、どうしたら彼女を泣き止ますことができるのか数秒考えた。
「…」
空いていた右手をイドの背中に回す。
ぴくりと体をはねらせ、過呼吸は小さくなったが、涙は止まらない。優しく左手を振りほどき、改めて抱き寄せる。
「嫌いませんよ。許すも何も、私は怒ってないです」
「…ほんとに?」
腕の中から、か細い声が聞こえる。
「はい」
「……「好き」って言われるのこまる?」
「うーん、困りますけど、「好きだ」って言われるのは嫌じゃないです」
両手で私の服をつかんで、顔を埋めながら「そっか…」と嬉しそうに零すのを聞いた。
両手を離し、そのまま私の背中に回す。少しびっくりしたが、受け入れた。
イドが顔を上げた。目は赤く腫れていたが、目を細め、これ以上ないくらい幸せな顔をして、白い歯を覗かせる。
「ノア。だーい好き」
袖で涙をぬぐってあげながら、知ってます。と微笑んだ。
―――――
「……いつまでそうしてるんですかね」
一部始終を見ていたガイドさんが重い口を開く。
私ももうそろそろ離れていいころだと思っていたのだが、
「…イドさん?」
「……」
先ほどからこの調子だ。名前を呼んでも無反応。体を軽く揺さぶっても、体を離そうとしても離れようとしない。
「あの、離れましょうか…」
「…やだ」
やっと口を開いたかと思えば、拒否。すぐさま拒否されると、こちらも出方を失う。
「……してくれるなら、いいですよ」
「え?なんて…」
「呼び捨てと、タメ口してください」
さっきまで泣いていた口から出て来るとは思えないほどの淡々とした口調。さきほどの調子を取り戻したのかと心の中でホッとしながらも、欲求されたことを繰り返す。
「私の事「イドさん」じゃなくて「イド」って呼んで、これからはタメ口で話しかけてくださるんでしたら、離れます」
「……」
人を呼び捨てにするというのは慣れていないが、そうしないといけないというのなら、やらない術はない。
深く息を吸って。
「イド。もう十分だから、離れよっか。…ね?」
最後のごり押し。
「…んんん…。ノアぁ…すきぃ……」
ダイレクトアタック大成功。
もう一回と強請るイドに、自分で言ったことは守ってください!とガイドさんが無理矢理イドを引っぺがした。