……った…
独特の車の匂いに身体を揺られつつ、ふと窓の外を見た。その直後にトンネルを抜けたようで、眼の前が白く輝く。片目を瞑り、鮮明に色が分かった頃に両目を見開いた。頬杖をついていた左の掌から顎を外し、窓の外の光景に視線が釘付けになる。
そこは、さっきまで自分がいた狭苦しくビルが並んだ大都会とは程遠い…何と言ったらいいのだろう。 日差しは照り付け、空中にはうねうねと身体をうねらせながら進んでいるドラゴンらしき生き物が舞っている。地面には敷き詰められた緑に所々建造物が密集した区域もあり、そのすぐ近くに羽を生やした図体の大きい狼が棍棒を持って大きく雄叫びを上げているようすで。
ハッと車内に視線を変えた。乗客は自分一人、運転席には誰も乗っておらず、ハンドルだけが細かく左右に揺れている。
おかしい。まだ車は前進しているのに。
急いで座席から立ち上がり、運転席に向かおうとした。すると大きく車が揺れバランスを崩した自分は手すりを掴もうとしたが、鉄でできているはずの細長い円柱はぐにゃりと曲がり、自分の手をするりと避けたように見えた。
「……った…」
ばたりと座席に倒れこみ、頭を強く打つ。意識が朦朧となり瞼を閉じかけた。すると、
――空気の匂いが変わった。
「…?」
頭を押さえつつ、閉じかけていた瞼を開く。自分は立っていた、得体の知れない真っ白な広い部屋の真ん中で。
「こんにちはー」
「?」
視線だけで周りを見渡していると真後ろからやけに野太い声が聞こえた。まだ意識ははっきりとしておらず、おぼつかない足で声が聞こえた方へ振り向いた。
そこには、警備員のような服装をした一人の男性が立っていた。
「はじめましてー」
「……は?」
真っ黒な髪はとげとげに逆立っていて、まず一人称は『目つきの悪いヤンキー』だ。自分と同様、白い部屋にだるそうに立っているその人は、挨拶を言った後私の足から頭までじっくりと見つめた。少し気味が悪くなり、足を小さく後ずさる。
「あの…」
恐る恐る声を掛けると、ふと視線を自分に向けて「あ、すいません」と小さく会釈をした。こちらもつられて会釈する。
「えー、まずーお名前をここに記入してくださいー」
男性が腰の後ろから何かごそごそと探った後、自分の方に出してきたのは一枚の紙だった。そこには、【四大世界入国手続き】と太字で書かれていて、下には小さな字で何やら難しい事が書いてある。その一番最後には【氏名】と書かれた名前を書く欄があった。細かい字をじっくりと読んでいると、男性がいきなり「あー」と唸って自分が持っている紙を指差した。
「細かい説明はいいんでー、早く名前書いちゃってくださいー」
その体こそふにゃふにゃだったが、自分を見据える瞳から真面目であることがすぐに分かった。嫌でも察せる視線に頷いて紙の下半分に視線を移す。それと同時に当たり前であるはずのことに疑問を持った。
「あ、あの」
「…はいー、どうぞー」
男性は私の言おうとしていたことを分かりきっていたような素振りで手を差し出した。その中にはボールペンが挟まっている。
「…ありがとうございます」
「いえいえー」
ひらひらと顔の前で掌を振って、また自分の持っている紙を見る。
ああ、と思い紙の上にペンを走らせた。
名前が書き終わると同時に、男性は紙を取り上げた。
「あっ」
「んーとー、…はいー。大丈夫ですねー」
数秒紙を見つめて、小さく笑った。
その直後、頭の痛みが酷くなった。耐えられなくなり、へたり込む。まだ治まらない。遂に床に倒れてしまった。
その時、目の前の男性の声が聞こえた。さっきよりも随分と低い声で。
「あなたは四大世界で大変な事ばかり課せられます。戻りたいなんて思わないでください。すべての不具合を直した後じゃないと元の世界に帰れませんから。頑張ってください。Controller(調節人)」