裏化野駅 【二】
「ふぅ~。田舎の駅は、町から遠くていけないねえ……」
ゆったりとした深みのある穏やかな口調が、気軽に話しかけてくる。
おいらは返事をしようと思い、そろりと声の方を向いて、あんぐりと大口を開けた。
腰がベンチから引きかける。
数センチ浮かせたところで踏みとどまり、信じられない想いを込めて、まじまじとその人物を眺める。
気品溢れる素敵なドレスを纏ったご婦人が、ベンチの奥まで腰を据えて座り、とんがり帽子の広いツバの先で、汗をかいて紅潮している、色の白いしわくちゃの顔を扇いでいた。
「一日に一本か二本しか走らない列車に乗ろうと思ったら、本当に時間の都合が大変で……」
いっぱいの荷物を詰め込んだ、可愛らしい風呂敷包みが、彼女の足元にどっしりと置いてある。いったい何が入っているのかと、目だけで窺ってみれば、おいらはますます、目を丸くすることになる。
先ず目につくのは、風呂敷包みの隙間から、はみ出さんばかりにこれでもかと包み込まれている、『ミスカトニック大学蔵』と書かれた数冊の教本や魔道書らしきものの類。
ミスカトニック大学(ミスカトニックだいがく、Miskatonic University)は、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトなどの作品に登場する架空の大学である。クトゥルフ神話に関連した様々な作品に登場する事により、作品世界の相関を印象づけるモチーフの1つともなっている。おいらの淡い憧れの対象のひとつだ。
設定では、アメリカ合衆国マサチューセッツ州アーカムに1797年に創立された総合大学とされている。考古学部、人類学部、歴史学部、副専攻科目として医学部があり、大学院も設置してるそうだ。
大学の図書館には、世界に数冊しかないネクロノミコンのラテン語版ほか、稀覯書、魔道書が多く収蔵されているが、本は厳重に管理されており、簡単に閲覧することはできない。
モデルとなったのは、マサチューセッツ工科大学や、コロンビア大学などに並ぶアイビーリーグのブラウン大学。(出典、ウィキペディア)
ナゼ、こんなに詳しく覚えているかというと、中学の一時期、人間が誰しも一度は通る、バカだった時の黒歴史。おいら、本気で流行りのゲームに出ていた、この大学を受験する気でいたんだ。
あとで、現実に実在する大学ではないと知り、隠れて大泣きしたっけ……。
―――ほんとうに、くだらないことだけは、よくおぼえている。
だから『ミスカトニック』と判を押された、蔵書をみて、おいらは先ず、この老婆はクトゥルフ神話好きのコスプレ婆さんじゃないか、と無理やり疑い、お次に、角が出ているアルミ製のビーカーと試験管らしきものや、使い古された魔女の大鍋と杓文字、マンドラゴラの根っこらしき、植物の足をみて、考えを改めた。
―――この素敵なご婦人のオババは、きっと本物の魔女に違いないっ!!
御婦人との出会いから一分後、おいらは純粋な憧れの眼差しを、田舎と都心の違いについてさらりと愚痴り続けるオババに向け、息をするのも忘れて見入っていた。
「ねえ? あんたもそうおもわないかい」
ヘーゼル色の優しい瞳が悪戯っぽい光を放ち、悪戯っぽく魅惑的に微笑んだ。
おいらは変化した服の白さを生かして、ワンピースの裾を手で広げ、勢いよく頼み込む。
「サインくださいっ!!」
「は?」
―――やってしまった……。
伏せた顔から火が昇り、羞恥心が身を焦がす。
オババは「ぷっ」と吹き出し、腹を抱えて気持ち良く、大声で笑ってくれた。
おいらはますます、身を縮みこませる。
だけど、広げた白い服のキャンバスは下げなかった。
―――ここで本物の魔女に会えたなら、サインを貰わなきゃ、勿体ないじゃないかっ!
オババはひとしきり笑った。笑ってくれた。笑いやがった。年寄り特有の、骨ばった細い指の甲で、涙を拭う。おいらはオババを、下げた頭から上目づかいで睨みつけてやった。
―――人の失敗と夢を笑うな! 失礼だ。
「ふふふっ。ごめんなさいねえ? あまりにもかわいらしいお願いだったものだから、つい、笑ってしまったわ。……長生きはしてみるものねえ。大学の生徒以外から、しかもレポートや本の貸し出し、緊急事態時の承認行為等以外で、サインを要求されるなんてねえ。思っても見なかったわ」
オババは、おいらの眼を真っ直ぐ見ながら、自分を指して、自己紹介をする。
「ハリエッタ・アーミテイジ。ヘンリー館長とも、先生とも、教え子たちにいわれている、古びた魔女のオババさ。仕事は、ミスカトニック大学の図書館長をしています。あたしゃのサインが欲しかったら、いつか《六幻》世界に存在する、アメリカ合衆国マサチューセッツ州アーカムの大学を探し当てて、入学してきなさいな。ミスカトニック大学は、年齢、種族、国籍、貴賤を問わず、だれでも、いつでも、新入生を歓迎します」
おいらは喜色満面、ヘンリー先生の差し出された手を、力強く握り返す。
「はいっ!! おいら、ぜったい、なにがなんでも入学します!!! 十三の頃からの夢だったんです!!」
「そう。それはなんとしても、うちの大学に来てもらわないとねえ。期待していますよ」
―――おいら、これが現実だったら、頑張って今度こそ、ミスカトニック大学に入学するんだ!
こっそり死亡フラグを立てつつ、ヘンリー先生にミスカトニック大学の詳しい入学手順を問いかける。
「先ずは大学入学の推薦者を探すところから始めるのよ。この場合、大学教授なり、卒業生なり、業界の大物なりと、お金を持っていて大学の正確な位置を知っている者が望ましいわねえ」
一気にハードルが上がって、おいらは無言で固まった。
ミスカトニック大学入学に必要なモノ。
一、大学入学の推薦状。
二、入学金と在学中の資金を出してくれるパトロン。
三、おおよその見当以外、どこにあるかわからない大学までの、道案内人。
用意出来る気がしない。
特に二番目。ここが夢の中だとしても、死後の世界だとしても、死ぬ前にバイトで稼いだ銀行貯金は、この世界に持ってきて、使うことは、できませんか……?
「大学だって立派な商売だ。タダってわけにはいかない。大学生活中の授業料や必要経費を払ってもらう必要があるし、大学へ行くのに、道案内役がいなければ、入学試験を受けることすら、ままならないからねえ。『大学の場所を探すところから始めなさい』というのはねえ? 予備試験の一環なのさ。悪人や学ぶ資格のない者を振り落す為のね」
理由を聞いて納得だけど、納得いかない!!
こういうところが、妙にリアルだ。
「ちなみにあたしゃ、あなたを推薦できないから」
「……え?」
頭を抱えていた状態を解き、ヘンリー先生をみる。
もう一度言ってくれ。
「当たり前だよ。あたしゃ魔女。自分の研究費の世話だけと生活費で手一杯。弟子をとる余裕もなけりゃあ、あんたの保護者になる責任能力を負う義務もない。知り合ってまだ四半時(三十分)も経っていない相手の紹介状なんて、書けないじゃないのさ。馬鹿な子だねえ」
オババはからからと笑いながら、はっきりとことわった。
頼りにしていたアテがひとつ、早速使えなくなったようだ。
―――はかない夢でした。
おいらはミスカトニック大学へ行くことを、一旦、諦めた。
ミスカトニック大学。
クトゥルフ神話の大学ですね。
この世界では、基本的に人外たちが通う、超有名大学的な位置づけです。
日本で謂うなら東大、世界でいうならハーバード大学みたいな、超難関公の賢い人や変人が集まる大学!
ヘンリー・アーミテイジ(1855年~?? Henri Armitage)
クトゥルフ神話に登場する架空の人物です。
概要
ミスカトニック大学の図書館長。ミスカトニック大学文学修士、プリンストン大学哲学博士、ジョンズ・ホプキンス大学文学博士の学位を持つ博学の徒でもあります。1928年、ミスカトニック大学図書館の『ネクロノミコン』を閲覧しにきたウィルバー・ウェイトリーの企みを看破し、その悍ましい正体を知ったことから、ウィルバーの死後、彼の残した日記や大学の魔術書を解読。それによって得た呪文によってウィルバーの双子の兄弟を消滅させ、ヨグ=ソトースと旧支配者を召喚する儀式を阻止した(この時は、助手のウォーラン・ライス、フランシス・モーガンも彼と共に事件の舞台であるダニッチに同行している)。
没年は不明だが、フリッツ・ライバーの『アーカムそして星の世界へ (The Arkham and the Stars)』によると、ミスカトニック大学の新しい本館の裏にある墓地に葬られたらしい。
登場作品
英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
ダニッチの怪
ハワード・フィリップス・ラヴクラフト『ダニッチの怪』
リチャード・A・ルポフ『Documents in the Case of Elizabeth Akeley』
(出典:ウィキペディア)
今作では、素敵なご婦人風の魔女のオババとして、創作させていただきました。
ヘンリーって、男女どちらも使えますけれど、男名らしいです。
ということは、元ネタは男性なのでしょうか?
とりあえず、魔女のオババに大学教師という立場を与えて、主要登場人物の恩師として出したかっただけですので、元ネタは元ネタとして楽しんで、こっちはこっちで、あまり気にしないでクダサイな。
今回は歴史や伝説などを使ったパロディ等、いろいろ出て来る予定です。
宜しくお願い致します。
この六幻世界のコンセプトは、(近代)日本っぽいもの!
和洋折衷、中華もたまにありです。
基本的に日本を舞台に物語を進めていきますよー。
魔法もあります。剣もありますが、どちらかというと刀の方をよく書きます。
陰陽師の御業や、仙人の仙力、万能じゃないけど神様だって登場しちゃいます。
日本ですからねえ。八百万ですからねえ。サブカルチャーが豊富ですから、そこらへんでいろいろ、まぜこぜして、遊んでみることにしました。
考えて、考えて、考えて、考えることに疲れはてて、考えることをやめました。
オハナシ、続きます。(ぺこり)