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花鎮め~鬼宿りの宴~  作者: 七味
鬼宿りの歌
8/8

終わりと、始まりの宴

 終わった。

 祓った――と言うのだろうか。

 どちらにせよ、慣れぬことをして満身創痍の二人には、鬼の最後の表情が気がかりになっていた。

「――悲しい顔、してたな」

「そうか」

「……仕方ないって、思う。今は……俺たちにはこれが精一杯だった」

「そうだね……うん、精一杯だった」

 康晴の声を聞いて、その場に倒れ込む睦月。

 笑ってそれを見る康晴も、緊張が一気に解けたのだろう、だいぶ披露の色が濃い。

「しんどいな……陰陽師は毎回こんなのやってるのか?」

「そうだね、きっと」

「お前はこんなのになりたいんだな」

「そうだね、……“なりたかった”よ」

 隣で紡がれた康晴の言葉にやや目を開き、問おうとしたが。

 何かを見つけたのか、康晴は舞台へ上がる脇わきへしゃがみこむ。立ち上がって帰ってきた時には、何かを手に持っていた。

「なんだそれ」

「櫛だね。舞台で使ったものかい? 欠けてしまっているけど女性のもの……梅香がよく焚き染めてあるね」

「!」

 梅香。そう聞いて疲れ果てていた表情の睦月が、明るくなり、勢い良く起き上がった。

 その姿に何か感じ取ったのか、康晴は笑って櫛を睦月に手渡し、今度は自分が座り込む。

「……悪い康晴、ちょっと――」

「うん、行ってくるといい。きっと、喜ぶから」

 その笑顔を背に、睦月は屋敷へと走って行った。  





「音の君……いや末姫……六葉殿……」

 どれで呼ぶのが正しいのか、と思案していると、端の御簾奥から声がした。

 さすがにこれだけの人前だ。今までの夜のように間近で顔を現すことはできなかったのだろう。慌てて駆け寄ると、梅香が淡く香る簾の向こうで音の君の気配がする。

「睦月様……」

「音の、あ、……末姫。ご無事で何よりでした」

「音の君と、どうぞお呼び下さいまし」

「……音の君。楓殿は逝かれました」

「…………はい」

「これを、最後に」

 ことり、と簾の前に置き、手が届くであろう範囲まで押して音の君へ見せる。

 それは、先ほど康晴が見つけた、梅の花が描かれた小さな櫛。

 所々金箔や漆が剥がれてしまっているが、見覚えが有りすぎるほどに、あった。

 己が、楓にあげた櫛だったのだ。

「音の君の香と同じ、梅香……楓殿は鬼となっても、それを最後まで持っていたんだ」

 六葉と、櫛。それだけは楓が忘れることなく、記憶していたもの。

 簾の奥で、深く息を吸う音が聞こえる。


 そして、睦月が立つ簀子縁に近づく足音――顔を向けると、そこには白桜の参議・源吉辰その人が立っていた。

 慌てて場を離れようとする睦月に、「よい」と一言断り、御簾無効の音の君へと言葉をかけた。

「末姫……」

「……」

「お前の悲しみに気付けず、ただ遠巻きにしてしまった」

「吉辰様、私は――」

「どうか、父と呼んでくれまいか末姫。長い間お前を一人にしてしまった……愚かな父だが、許せるというのなら」

 その声の後、小さい嗚咽が聞こえる。

 そして……御簾が僅かに動き、差し出されたのは小さな手。

「睦月様……本当に、重ねて申しますわ」

 参議が頷くのを見て、睦月がその手に、己の手をそっと重ねる。

「ありがとうございます――」

 その思いを伝えるように軽く手を握り……再び御簾へと収められた。

 暖かく、僅かに震える小さい手――しかし、それを頼りなく、不安に思うことはないと睦月はぼんやり考えた。

 その手が次に迷ったとて、しかと受け止める相手が、音の君にはできたのだから。




 荒れた舞台に戻ると、その脇に座り込んだ康晴。

 戻ったはいいが、互いに無言で向き合い、どう切り出そうかと迷いに迷ったあげく……

「……康晴」

「何だい睦月」

「…………謝った方がいいか」

 先に口火を切ったのは睦月だった。そんな睦月の問いに、康晴は首をふる。

「いいや。私こそ悪かった」

「ばっ!!」

「そろそろ答えを出さねばならなかったから、少し焦っていた」

「……陰陽師としてのか?」

「そう」

 だから、少しでも陰陽師に近づこうと朝から晩まで都を駆け回ったりした。

 鬼が関連しているとわかった睦月のところへいき、無遠慮にあおるように言ってしまったのだと笑った。

「はじめ、会った時に睦月は言ったね。お前にも代え難い何かがあるだろうと。……私は、父の歩んできた陰陽師の道がそうだったんだ。自分がそれを止めてしまうのが何より悔しかった……」

 だから、康晴は頑なにそれだけを見て生きてきた。彼にはそれが全てであったから。

「それが、君に思いっきり言われてから、その頑なさが解けた気がしたよ。睦月、あ」

「あー!!!!」

 突如の大音量に思わず耳をふさぐ康晴。

 一体何かと睦月をみれば、肩で息をしながらじろりと康晴を睨みつけ。


「ありがとうって言うな!! 俺が言う!!」


 びし、っと指を指す。

 それを言われた康晴といえば、笑おうか困ろうか喜ぼうか、選ぼうとして選べなかった、すべての中間のような表情で静かに睦月を見つめていた。

 しかしそんな微妙な顔をした康晴をお気に召さなかったのか、憮然とした表情で睦月は康晴に詰め寄る。

「……なんだよ。やっぱり謝ったほうがいいか」

「いや。いいや、そんな必要はないよ睦月……おかしいね。こんなにはっきり物事をいう人は、父上以外いなかったから」

「……そういえば、お前の親父さんて……」

「……何やら楽しげだね、二人とも」

 睦月が何か言いかけたところへ、狙ったように現れたその人……晴明の姿。

「晴明殿」

 笑顔で二人へ歩み寄る晴明。神扇をはらりと開き、睦月と康晴、二人を交互に見て満足げに口を開いた。

「よく、してのけたね。見事だった。末姫は父君との和解もできたし、あとは楓殿の亡骸をよく弔って心穏やかに暮らせるだろう」

「父……参議殿と?」

「末姫は、身分の低い母君との子……愛人の子でね。その母君の元で数年暮らしたそうだが、母君が亡くなって、それから参議が正式に娘として引き取ったということだ」

 類稀なる容姿と、鬼を見て怖がる娘に、女房や年の近い女童も遠慮と気味の悪さから遠巻きに眺めるだけ。参議も手をこまねいた。

 睦月の疑問に、やや声を落として答える。

「姫は自ら離れへ移ることを希望したんだ。そうしてどんどん御心を閉ざしていかれた。その姫の心を唯一開いたのが楓殿だったらしいね」

 しかしゆくゆくは婚姻、と思った相手が心変わりの原因が、幼い時から慈しんだ姫であることを知った楓の心は、気が狂いそうなほどの愛憎を抱えたことだろう。

 日に日にやつれて、気落ちしていく楓を案じた周りの女房が理由を尋ねても首をふるばかり。音の君を見るたび、愛おしい思いと恨みの念が募り、とうとう楓は己を皮肉り、鬼の娘の歌を歌った。

 鬼の娘に歌われた美貌が己にあれば、いかによかったか、と。その翌日、楓は命を絶った。

 それを盗み聞いた姫が己のせいで楓は死んでしまったのだと、さらに落ち込んでしまったのだという。誰にも言えず。一人で抱え込んで。


「でもこれから話を、それこそ今まで言えなかった思いを話すらしいね。親娘二人――時間はあるさ。本人たちがあると思うのなら」


 その言葉に、睦月と康晴は顔を見合わせて微笑んだ。

 *

 鬼払いの舞いから七日の物忌(ものいみ=悪いものから身を守る、または穢れを浄化すること)を晴明から言いつけられた各々は、七日の間静かに屋敷へ篭っていた。

 さすがに物忌の最中は客も取れないために睦月たち芸能一座は一時的に安倍家へと移ることになり、そこで物忌を過ごしたのだが。


 物忌があけ――この日、吉日。

 康晴や晴明も招かれた白桜の参議の庭で、花神楽の舞が披露されていた。

 今回の舞は、少し違う。まだ夕刻にもならぬ……昼下がり。

 かがり火など焚かずとも太陽が辺りを照らす時に催した宴。


 これは、睦月がやらせてほしいと直々に参議に頼み込んだものであった。

 演目はやはり『鬼宿り』――音の君にとっては辛く悲しい歌のはずだが、どうしてもという強い要望で、演目に組み込まれることとなった。

 無論考え無しに披露するわけではなく、その歌と舞に、続きをつけたのだ。

 七日の間、引き篭った時期を使い、康晴まで引っ張り出して、それこそ考えに考えて――


 今、衣装も新たに、舞台を舞う睦月がいる。



 ――山の中、秋に落つるにほひとりどりなる葉に遊ぶ娘

 ――けざやかなる葉に彩られながらも

 ――冷ゆる冬に惑ふ陰が拭へざりし

 ――その心は霞のごとく揺らぎ、怯えたりし


【秋深まる山の中で、色とりどりの葉に遊ぶ鬼の娘。楽しいという思いはあれど、しかしその心はゆらぎ、いつも怯え、不安なままであった】


 ――終はらざる冬が来たりと思ひし娘の元へ一人の男がやりてくる

 ――懐かしき面影……かつて父と呼びし人


 【もはやこの山の……己の冬は終わらない。そう思った鬼の娘の元に、ある日男が現れた。それは……姫を鬼と知りながら、慈しんでくれた、懐かしく愛しい養父】 


 緩やかに、真っ白な光沢のある羽織を来て、冬の風の中を歩む鬼の娘を現す睦月。

 そこへ現れる翁の面……暖かい山吹の羽織を纏った、父役の舞い手。


 ……ほろり、ほろり。

 御簾越しに舞いを見ていた音の君――六葉の目から涙が溢れる。


 ――差し出されし暖かなる手に戸惑ふ

 ――思いは止められず その大きな手に手を重ぬと温かき笑みあふるる

 ――帰らむ そう言って手を引きき


 【その人が差し出す手に、触れていいか戸惑うも。その温かさを知る鬼の姫は手を重ねた。すると……かつて父と呼んだ人が暖かく笑い、帰ろうと、手をひいた】


「睦月様……」


 ほろほろほろ。

 涙は止まらず、せっかくの舞台がもはや歪んで見えない程に。



 ――明けずと思ひし冬があけ

 ――今 春の香 今 心へとわたりていく――――



【明けぬと思った冬はあけて、今、心に春の香りが広がっていく】




 己の思いだけが、全て


 あるべき道はたった一つだけ


 全ては己が起こしたこと



 その思いが解け、三人の若者と、それを取り巻く人々に暖かい風が吹き抜ける。



 舞手の飾り鈴がしゃらりと揺れ、たたん、と足を打ち、動きが止まる。

 音の君の声が離れた睦月へ届くわけもないのだが、まるで、どういたしまして、というかのように面を取り、睦月は燦然と輝く笑顔を見せた。













おまけ



 物忌中の、二人の会話。


「なぁ、康晴。聞いてもいいか」

「なんだい」

「結局、俺らが鬼退治しただろ」

「あぁ、そうだね」

「あの女房の鬼さ、晴明殿なら絶対気づくよな。そんでさっさと終わったと思うんだが気のせいか?」


 ――沈黙。

「……言っただろう?父上は奇人……というか凄く変わったひとなんだよ」

「おい、まさかわざとか? わざと俺たちにやらせたのか!?」

「だろうね。今思えば――若者は修行あるのみ、とかおもしろそうだから見ているとか、やる人だし。いや、屋敷が鬼だらけで、姫や参議も守って手が離せなかったのかも」

「…………俺、死にかけてたんだが」

「それは……私が間に合ったから。私が駄目でも、まさか、見捨てはしなかったと思うけど……そういえば式神も一切手伝ってくれなかったっけ……」


 さらに沈黙。

「……あ、私にも一つ不思議なことがあるんだ、睦月」

「あ?」

「あの鬼を滅するとき、私は力を使ったね」

「そりゃあな。俺にはないし……火事場のなんとやらだろ」

「私は、そういったものは一切もたないんだけど」

「……例外もあるんじゃねーか?」

「でも、父のお墨付きだから。私はいったい何をどうしたのかな、と思ったんだけど」

「……俺が知ると思うか」

「実は睦月に祓う力もあるとか」

「ねーよ」

「思い出してごらんよ睦月。君が私と共に太刀を支えてくれたあたりから? それとも弾かれてしまったときかな」

「あのな康晴」

「ほら、その後君が叫んだあたりで私の手に、光が集まってきたんだ。もっと前、俺を杖といってくれたあたりか」

「丁寧に言うな思い出させるな恥ずかしいから!! なんでそんな記憶してんだよ!?」

「そう言わずに。私には重要なことなのだから。それに記憶力には自身がある」



 いったいどうしてあの鬼を浄化することができたのか、と疑問に思い、騒ぐ若者二人を見て、柔らかく微笑む晴明の姿があったとか。



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