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花鎮め~鬼宿りの宴~  作者: 七味
鬼宿りの歌
4/8

過ち

 まるで、先の鬼が夢だったかのように静まる路地。

「睦月、大丈夫かい? どこか痛めていないかな……」

「あぁ……大丈夫」

 先ほど感じた目眩や頭痛は鬼が消えると同時に薄れていった。

「そう、よかった。君は感化されやすいのだね……まったく見えなかったから、あの鬼が君にくっついていたら危なかったか。鬼の追尾に普通の検非違使を使うわけにもいかぬし。さっきは寮に応援を呼びに行かせたから人出がなくて」

 他人事のように、睦月におきたことを言う。

 が、そこで睦月の頭に疑問が落ちた。

 まったく見えない。陰陽師、それもだいぶ有名な男の息子で、優秀の部類に入ると言っていたのを思い出したが、術者はさっきみたいなものを退治するのが役割で……

「……本当に見えないんだな」

「そう、言わなかったかな? 君のように、または他の陰陽師たちのようにね。あらかじめ力を込めた札で実体化させないと一切見ることができないし、見えない鬼の声も上手く聞こえない」

「……」

「おかしいだろ、安倍の直系の息子なのだけど私だけでね。兄上方は幼いときから見えていたのだけど」

「……そんな奴もいるんだな。舞えないのに、舞い手をやるようなものだろ」

「そうだね……でも、いるんだよ。だから私には、君がことのほか羨ましい」

「……そんなもんか」

「そう、そんなもんさ」

「まぁ俺には関係ない話だけど。見えても見えなくても舞いに支障はない」

 軽く受け流す睦月。だが、まっすぐに睦月を見つめる康晴の目は、真摯な光を宿し。

 しかしそれに気づかぬ睦月はさらりと流して、康晴の先を歩き館へと戻っていった。

「大事にならなくてよかった。じゃあな康晴」

「あぁ……私はもう少し、見て回るよ。六葉……むつば、というものが人なのかものなのか、調べなくてはいけないし。寮の者もくるしね」

「熱心だな……お先」

 ひらひらと手を振って、屋敷の戸口から入っていく睦月を、康晴は静かに見送った。



 *



 翌日の昼下がり。

 例のごとく宛てがわれている部屋で寝転がり、心地よい昼寝を貪っていたところを、揺さぶられる。

 また文月かと思いたぬき寝入りを決め込もうとした睦月の耳に、思ってもいない人の声が届く。

「やぁ、ご機嫌いかがかな、睦月」

「……なぜ、お前がこの屋敷にいる、康晴。勝手に入って……」

 うっすら目を開けて睨むと、笑顔の康晴の姿があった。

「酷いね、睦月参議とはなんの面識もない私が入れるはずがない。陰陽師の仕事に付いてきたので、そのついでさ」

「仕事……鬼のこと何かわかったのか?」

「あぁ。一夜漬けでもなんとかなるものだ。いささか眠いが仕方ないことだね」

 そういって笑う康晴にやや呆れた視線を向ける。

「隈できている」

「女性に会うのではないし、勘弁してほしいな。六葉(むつば)というのを調べて、ある女性の所在がわかったから、立ち寄ったのだけど」

 その言葉に、睦月はひょいと起き上がって相手を見上げた。その言葉に興味がないわけではなく、気になったことであったから。

「へぇ? 立ち寄ったとはご苦労なこと、で……立ち寄った?」

「そう」

「……俺のところに、じゃないよな。鬼がいった“六葉”は、この屋敷の所縁の何かなのか?」

「当たりだ、睦月。まだ確実ではないけど、珍しい名だから他になさそうで……今、確認をとっている」

 話を聞いていく内、何かわからぬものが睦月の心をざわりと撫でる。

源吉辰(みなもとのよしたつ)、従三位、参議の位に付かれている。通りでは白桜の参議と呼ばれる方の末姫だそうだよ」

「!!」

 驚きに目を開き、呟いた睦月。それを見て康晴はやや表情を引き締める。

「母屋で暮らさず、幼いときから離れにいるとか。参議殿には陰陽寮が話しにきている。君に、この屋敷は近々騒がしくなると言いに来た」

「…………音の君」

「音の君というのかい、その末姫は」

 思わず口をついて出た名を呼ばれ、睦月は顔を背ける。しかし康晴はそれを肯定と取ったのか話を続けた。

「睦月、その姫の事を教えてくれないかな。私は参議殿に直接聞けなくて。知っていることだけでかまわない」

「……疑っているのか? 彼女が鬼だと」

「そうではないよ、睦月。彼女が鬼と思っているわけではない。ただ、考えてごらん。関係ないのなら、なぜあの鬼はこの屋敷を見つめ、姫の名を口にしたのかな」

 康晴の言うことは最もである。関係のある人や屋敷を調べるのは当然だ。

 睦月も何かあればそうしただろう――これがもし音の君のことでなければ。

「それは……偶然じゃないのか。たまたま知っている屋敷の娘の名とか」

「偶然ではないのだよ、睦月。音の君には楓という名の女房がいた。しかし、二月ほど前に無くなっている……自害という形で。聞いたことはないかな、その話を」

「……知らん。くだらんことは言うな、康晴」

 僅かに睦月の表情が緊張したのを康晴は見逃さなかった。

「末姫……音の君の噂をたどると、不思議なものが多いんだ。人にはないほどの麗しさを持ち、三つの時には歌を嗜んだ。五つで教えもしない知識を話した。九つで大人顔負けの音を奏で……人には見えぬ者を感じ、描くと。夜も御簾の外へ出て、鬼を寄せる琴を奏でるという」

「やめろ康晴、彼女は――」

 睦月の手がきつく握り閉められる。

「彼女は君と同じく見鬼なんじゃないかな」

「……よせ」

「そして、かつて失った親しい女房の鬼が現れたら」

「康晴」

「その姫が匿うというのは、ありえない話ではないとおもうのだけど」

「黙れ!!」

 叫ぶと同時、睦月は康晴の襟首をつかみ勢いで柱へと打ちつける。

 それでも康晴は表情を変えず、口を閉じることはない。

「君が鬼のようだね、睦月」

「……黙れ康晴。なにを根拠に音の君を恥ずかしめるようなことをいう!!」

「根拠はこれからでるものだよ。まだ憶測だ。そんなに怒っては愛らしい顔が台無しになってしまう」

「うるさい!! ……有名な術者の息子、それだけだ。鬼も見えない偽者の戯れ言なんか聞いていられるか」

 吐き捨てて、睦月は手を離す。

 そのまま康晴に背をむけて庭先へ降りていった。

「睦月。今なら私個人で動ける。君の意思に添えるかもしれないんだ。それに父の名を使えば――」

「お前に名など呼ばれたくない。参議に話を聞けない……か。お前が無名の術者だからだろう。何かと父親を頼るだけ、自分の力なんてない七光りのくせに!! 話す事なんかない。出ていけ。今すぐに。……行かぬなら、力づくでもたたき出してやる!!」

 康晴を振り返る事もせず、睦月は鋭く言い放つ。

 一つ息を吐いて康晴も睦月へ背を向けた。

「――わかった」

 そのままもう話すことはなく、睦月には静かに去る康晴の足音が聞こえていた。

 だが、もはや睦月には康晴の帰ったことを気にする余裕も、言ったことを考える思考などもなく。

 ただあの儚く生きる美しい姫を貶めるような事をいう彼が、どうにも憎らしく思えていたのだった。


 怒鳴ってから僅かの後。

「あの客人は帰ったのか、睦月」

 康晴と入れ替わるように文月が簀子縁から顔を出した。

 庭から上がって、部屋の隅でほとんどふて寝状態の睦月を見て、なにやら思うところがあるようだ。

「客じゃない、あんな奴……何が陰陽師だ。有名術者の子でも鬼が見えないなんて俺以下だろ。そんなものに術者面されるのはごめんだ。」

「安倍康晴殿だな、先ほどの人は。安倍家の末の子とか」

 その言葉にむくりと起き上がって、怒りを思い出したかのように文月へ言い募っていく。

「ただの出来損ないだ。幽鬼が見えず術も駄目。親の名を出せばいいと思ってるような……あんなやつ。何の能もないのに」

「……睦月。後でよくよく冷やしておけ」

「は?」

 聞き返したその時、ぱん、といい音が響く。僅かな間を置いて睦月の左頬に鈍い痛みが広がった。

「文月!! いきなり何すんだ!?」

「……睦月。天賦の才をもつお前にはわからぬだろう、その人の思いは」

「……?」

「安倍晴明……お前が舞や雅楽の神に愛されたのなら、その人は術者としての才に溢れ、都随一の術者となったと聞いている。――そんな人を父に持った重圧は相当だろう。『あの安倍晴明の息子』という周囲の視線の中、過酷な修行をしながらも、鬼が見える気配すらない。その思いがどれほど辛いのか……考えて言った言葉か?」

 言われて、あ、と睦月は声を出す。

 ……そういえば康晴は、朝から夜まで都を飛び回り、少しでも見識を広げようと寝る間も惜しんでいる。

 それは単に仕事だからではなく。

 出来損ないといわれ、安倍の名を貶めぬように。彼が立つのは、誰より努力をしなければならぬ位置。

 ……血に恥じていると、誰より己を責めているのはきっと康晴自身。


 そして、なぜわざわざ睦月を訪ねてきたのか。

 康晴は、調べの億足が付いてからすぐに己のところへ来てくれたのではないか。仕事ならば、こちらへ立ち寄ることも本来咎められるはず。

 しかし、彼が知らせをくれぬまま、もし本当に音の君が鬼に関与していたのなら……

(……急に事態を知らされることになる、俺を気遣ってくれた……のか)

 何より重く伸し掛る、何より己の自尊心を傷付けるであろう父の名を使ってまで。

 はっとして、顔を上げる。

「理由は知らぬし、聞かんがな睦月。頭に血が上ったとて、その人に、いったい何といったのだ」

 ずき、と胸が痛む。

 ――酷く傷つけた――

 今になって康晴が去った簀子を見るが、無論姿はない。

 睦月は、今まで感じたことのないほどの喪失感と己の不甲斐なさで、ぎり、と歯を噛み締めた。

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