出会いの日
――夜が明けて、二条通り・中納言家の一室。
簡素な着物姿で寝転ぶ姿があった。
艶やかな黒髪に白い肌。小さめな顔に形良く乗る鼻と薄紅の唇。
朱色の着物が良く映える、寝姿だけで見るものを唸らせる清廉な美しさがある。
「――睦月」
「……」
「睦月、もう日は高いぞ、睦月。ぐうたらにも程があるぞ!!」
「……煩い」
腕を枕に寝入っていたのを、簀子を渡ってくる足音に遮られたのを不愉快に思ったのか、顔をしかめながら、もぞ、と動きゆるゆると目を開けた。
緩慢に起き上がって、ぐっと伸びをする。それでもまだゆらゆらと動きながら目をこする。
少しつり上がった大きな目元と長い睫毛が白磁の肌に花を添え、寝入り姿より、一層の若い色香を漂わせる。
名は睦月。芸能一座“花神楽”の舞い手、そして花形の“少年”は少女もかくやというほどの涼やかな美しさを湛えている。
一方の男は背も高く、真面目そうな面差し。中年の容貌だが、なかなかの男ぶりである。
よく通る低い声は、昨晩の催しで地謡をしていたものだ。
「夜はあんまり眠れないんだ……昼寝させろよ阿保文月」
「だからといって真昼から寝るな。そして口の聴き方を直せと何度言わせる」
「知るかよ。どーせお気楽貴族を騙せりゃいーって言ってただろ。昨日だっていつもみたいに、にこにこしてやったし。あのじじい共、俺が男と知ったあの顔。見ものだったな」
「そういう問題ではない、こら睦月!!」
美貌自慢の女たちが裸足で逃げ出すほどの容姿だが、そこは年頃の少年である。
いつものお説教が始まったところで立ち上がり、傍にあった水浅葱(みずあさぎ=薄い青)の小袿(こうちぎ=少し丈の短い着物)を頭からひっかけて簀子を飛び越える。
「おい、またそんな女の成りで」
「せっかくだから都散歩にいってくる。日暮れまでには戻って支度をするから。皆には都の女を観察して芸に役立てるんだって言っておいてよ」
「おい…………まったく」
引き止めようにも、最早睦月は戸口の近く。こちらへ手を振って外へ出た、その姿を見送って、文月は大きなため息をつく。
幼かった睦月の養い親を口説き落として一座へ迎えた過去を思い出す。
かつて、都に呼ばれるなど夢の夢であったころ。
まだ神楽など神社などでしか行われず、限りなく閉鎖的であったころ。
年若く、まだ一座など夢の話であった神楽舞いの文月は、神に奉納する舞いの依頼を受け、数名の仲間とある村へと赴いた。
そして――そこで出会ったのが、齢五つである睦月だった。
ただの一度、文月たちの舞いを見ただけで舞って見せたのだ。
大の大人でも稽古無しでは覚えられぬ古語の歌をつたないながら口ずさみ、腕の上げ方摺足の進み方など全てを模倣していた。
そして、何より彼が腕を揺らせば風がそよぎ、身を反らせば日が照らす。足を運べば応えるように葉がさざめき、何もないはずの地面が、ひとつの舞台へと変わった。
文月はひと目で惚れたのだ、彼の――睦月の才能に。
田舎の少年らしい伸びやかな性格はやや困ったところもあるが、ひとたび舞うと、彼の歩む道は花道へと変わる。
睦月の齢が十を越えるとその舞いにはさらに磨きがかかり、睦月の愛らしい容姿も相まって文月たちは名を売っていった。
舞いの神に愛された者として睦月が人目を惹き、芸能一座『花神楽』は誕生したのだ。
「――息抜きには、仕方ないか」
幼い時を舞いに費やしたぶん、それ以外はまだまだ子供。
苦く笑って、文月は部屋へ戻っていった。
*
右も左も高い屏に、高い屋根。
ここは帝のおわす夢の都の、さらに中心。
華やかなりし、風にも栄華が匂いくる、麗しの……今宵舞う予定の歌の一節を口にしながら、足が止まる。
「……ふん。見た目だけだ」
呟く睦月の目の先には、物乞いの碗を置いたすぐ傍に横たわる年老いた男の亡骸。
他にも屏の影や、門の脇にいくつも亡骸が見える。これらは夜になったら検非違使(けびいし=警察みたいなもの)の下端が処理するのだ。
そして、何より睦月が顔をしかめたのは、この大路を歩く人々がまるで当たり前のようにその亡骸や息絶えようとする人々に目を向けないことだろう。
ただし、それは自分も同じだ。一人に手を差し出し、一人を埋葬したとて、無限に施せるわけではない。
……この貧富の差はどこも同じか、と一人歩く睦月に、細い声が聞こえた。
がやがやと人々の行き交う中でよく聞こえた声に興味をもち、声のした方へと軽く駆けてゆく。
そうして角を曲がったところに、二人の男がいた。
一人は塀を背に座り込み、自身を庇うように手で頭を覆い、もう一方の烏帽子を被った男はその男を見下ろし、今まさに錫状を振り下ろそうとしている。
そのまま打ち果たす気であろう。
「やめろ!!」
「!!」
睦月の声に振り向いた隙に、間に滑り込み、男をかばうように手を広げた。
「都の貴族は平民を殴るのがはやりか」
「……」
「……何だ、文句あるのか?」
「いや、失礼。貴方は、この幽鬼が見えるのかな?」
「…………え」
訝しむでも、驚くでもない。平坦な男の声と視線に、ふと振り返って己が庇った男を見下ろした。男の足下はうっすら消え、屏の隙間に生えた雑草が男の体を通して見える。
透けているのだ、この男。
――やってしまった、またか。
「これは、霊。ほおっておけば人を襲う鬼になる。かばってもいいことはないものです」
やや呆然としている中で、男が錫杖を振り下ろす。再びか細い声を上げ、男の“霊”は跡形もなく消え去っていた。
*
「そう、君は見鬼(けんき=隠れた鬼が見える)なのだね。恐ろしく精度がいい。えぇと……?」
「睦月だ。お前は」
「康晴。私は安倍康晴」
少しして、二人は姉小路まであゆみ、近くの屋敷の屏のすみで座りこんでいた。
康晴と名乗った男は若く、切れ長の目が少し年を上にみせている。穏やかに微笑みを浮かべる口元、立烏帽子に濃紺の直衣がよく似合う凛々しい青年である。
己より二つ、三つ上であろう康晴を相手にしても、睦月の態度はあいかわらずだ。
「ふぅん、じゃあ康晴。お前何かの術者なのか? 呪い師か」
「……安倍の名を知らない? まだ本職ではないけど、陰陽寮の陰陽生だよ」
「おんみょうりょうの、おんみょうせい?」
睦月の顔に浮かんだ、明らかな疑問と問い。それに対して康晴の目がやや開かれる。
「本当に知らないのかい? 父上のことも、陰陽師のことも」
「知らない。……いや、聞いたかもしれないけど覚えてない。俺が興味あるのは雅楽と自分のことだけだ」
「あぁ、都にきて浅い方なんだね睦月は。まだ幼いですし」
幼い……明らかに見下された気がした。むろん康晴にそんなつもりは微塵もないが。
ややむっとして、睦月は愛らしい顔に怒気をにじませる。
「失礼な奴だな。知らんものは知らん。他人のことを知って別に特をしたこともない。俺は雅楽をやるためにここにいる。都人の常識が津々浦々のものだというのは大きな間違いだ康晴!!」
「女の恰好で町を歩く男に常識を問われるとは思わなかったよ」
「……よくわかったな。言ったか? 俺」
「その口調で女というには無理がある、というか骨格が。もう男のものになっているしね。薄い着物ではそろそろ見破られてしまうよ、睦月」
じぃ、と見られてなんだか居心地が悪くなる。袿を頭から被り直し、視線を跳ねつけるように睨む。
まだ声変わりも迎えぬ小柄な睦月は、その愛らしすぎる容姿もあって、まず男にみられない。
睦月というのも通り名として、女性につけるのもおかしくないため、いくら口調がぞんざいになろうとも見破られることがなかったのだ。
じぃ、と見られてなんだか居心地が悪くなる。袿を頭から被り直し、康晴の視線を跳ねつけるように睨み、口を開いた。
「ご忠告どうも!! ……で、お前は結局なんだ」
「陰陽生……その大元になる陰陽師は名のとおり、陰陽の理をもって天文、占術から吉凶を読み取り、呪術を行うものの総称。特に今は内裏にも陰陽師を集めた陰陽寮があって、私もそこの見習いになっている。父の晴明は歴代陰陽師の中でも群を抜いて奇抜……いや、有能で、有名だから。よほどのことがなければ知っているものだと思っていた」
「……つまり、なんか凄い一族なわけだな?」
「そう、つまり凄いわけだ。そんな術者からみたら、君の目は羨ましい限り」
「術者ならこんな目全員持ってるだろ」
さっきのように鬼や霊を相手にするのなら当たり前だろ、と言う顔の睦月である。
失礼ともいえる睦月の態度だが、康晴は穏やかに受け答えるだけだ。どこか面白そうに聞こえる。
「そうでもないんだよ。持っていないものの方が多い」
「……。俺は昔から変なものが見えていたけど、さっきみたいにやけに鮮明にみえるもんだから普通の人と区別つけられないことのほうが多くて迷惑だったけどな。そうか、使い方によっては有難いんだ」
「あぁ、睦月には迷惑だろうね。どうしても迷惑なら、うちを訪ねて来くるといい。父上ならなんとかできるかもしれない」
そう言って立ち上がる康晴に合わせ、睦月も立ちあがる。頭一つ分ほど背の違う睦月を見下ろし、なぜかしみじみと呟いた。
「……こうしていると、逢い引き中の男女に見えるかな?」
「死ね」
「おや酷い。仲良くなるための言葉遊びなのに」
「遊べるかよ」
よよよ、と袖を口元にあて、嘆くふりをする康晴を無情に切り捨てた。
「ただの軽口さ。そんな調子では友人もいないだろう」
「大きなお世話だ、馬鹿」
ふふ、と笑って睦月を見上げ、素直な疑問を口にする。
「睦月は娘になりたいわけでも、女装が好きでもなさそうだ。顔が綺麗なのは自覚しているみたいなのに、なぜその恰好でいるんだい」
「そんなの、雅楽で女形をやることが多いからだ。水干と着物は、足の運びも手の上げ下げも違う。普段から親しんどくと、舞台で着物の時、使いやすいから。その修行をしている時に女と言われるのは悔しくも何ともない。俺の演技は成功しているって事だしな」
そう言う睦月の顔は誇らしげで、康晴は笑顔のままそれを見ていた。
「舞台……舞いのために、性別すらゆがめてしまうのか、睦月は」
「そのくらい惜しくないんだ。舞いは俺の全てだからな。お前だってあるだろ?他人にどうこう言われたくない道が」
「……そうだね、あるよ」
「な。じゃ、俺はもう行く。何かわかんない仕事だけど、頑張れ康晴」
最後にからりとした、少年の笑顔を見せて、道を戻って行く。
その背中を見送って、康晴は息をついた。
「……是非、また会いたいものだね、睦月」
自分を、陰陽師・安倍晴明の息子と知って尚、ただの人として見てくれた人など、初めてかもしれない(睦月が単に無知だったからであろうが)
そして彼は、康晴が欲しいと願う者を持っていた。
「――見鬼。見えぬ鬼を見る力」
温かさを持ち始めた春の風が大路を吹き抜ける。康晴の呟きはその風に消えていった。
*
夜、白桜の参議邸、中庭――
――光輝く千本桜 光も負かる 千本桜よ――
睦月たちは夕刻のうちに今宵の宴の屋敷へと移っていた。
この貴族の通り名でもある“白桜”。
庭先には白い花弁を幾重にも纏い揺らす立派な木が屏にそっていく本も、幾重にも植えられ、立派な幹から伸びる枝には我先にと美を競う、柔らかな花びらの群。
夜風に吹かれ、さらさらと花びらが舞う様は、まさにこの世の春を謳歌するに相応しいものであった。
――その庭先。競うように咲き乱れる桜の下でかがり火の明かりに揺られ、宴のために作られた舞台をゆらりと、麗しく舞う睦月の姿がある。
今睦月が舞う歌は、桜の守人として地に降りた天の娘が、人に叶わぬ恋をするものだ。せめて、その人に見てもらえるようにと、降り立った地の桜を久遠に美しく咲くようにと願う娘。
低く歌われる歌も、鼓と笛の音があわさり、娘の心のうちを良く表し。
それはさらに睦月の舞いによって、まるで歌の中の娘が今ここに降り立ったかのごとく見え、見聴きするものを残らず舞台へ惹きつけた。
――思うままだ。
睦月の舞台はいつもそうであった。入り込めば入り込むほど風景が鮮明になり、彼の思ったように移り変わっていく。
――栄えゆく春こそ 永久に――
まさに咲き誇る桜の幹に顔をよせ、愛しげに触ってすがる。細い指先が操る紙扇も繊細に舞い、舞台は終いとなった。
拝した睦月たちにため息と共に、参議が声をかけてくる。
「さすが、花神楽の睦月。見事な舞いであった。我が末姫とさしてかわらぬ年と見たが、傍使えとして召しあげたいほどじゃ」
華のような笑顔を貼り付けた睦月は、至極丁寧に、丁重にその申し出を断った。
*
「……疲れた」
床に倒れ込む睦月。今日はことのほか、疲れたらしい。
舞った中庭……母屋から離れた部屋にひと足先に休むため、宴を抜け出して来たのだ。
舞いで、歌を取り込み、その人物になりきることで迫力と美を表す睦月は、毎回酷く精神を消耗する。 まるで乗り移られたかのような演技で舞台を占有するのは楽なことではないのだ。
息をついて、結い上げていた髪もほどき、楽な格好へ……そう思った矢先。
――。
「……琴?」
――、――――。
「やっぱり和琴だ」
睦月の耳は雅楽に関して非常に有能であり、信頼できる。
間違いなく和琴の音色が、とぎれとぎれだが聞こえてくる。
和琴を弾くような女性がいるのは母屋で、ここからは離れているし、宴のさなかに楽器を掻き鳴らす者もいないだろう。
簀子に出て、音のする方を見ると、暗がりの奥――ここよりさらに離れの方になる。
「――また、か?」
昔から見えないはずの者――鬼や霊の類に関連して、その者たちがたてる小さい物音にもよく反応する。見えるだけではなく、音もするためにより本物の人間がいると勘違いすることが多かった。
雅楽に敏感なのもこの恩恵(というには語弊がある)の一部なのかもしれないが。
少年らしい好奇心と、きっとろくでもないことだからやめておけと言う己の心にしばし悩むも、やはり好奇心が勝ったらしい。
古い屋敷だ、道具に魂が宿る物の怪かもしれない。
(琴の物の怪なんて、ちょっと雅じゃないか)
そんな事を思いながら庭先へ降りた。
途切れがちに聞こえる琴の音が大きくなるにつれえも言われぬ緊張に胸がはやるのをおさえ、睦月は進んだ。
すると、やはり小さな部屋が一つあった。廃れた様子もなく小奇麗に保たれているし、母屋とは簀子縁で繋がっているようだが、やはり居住するには遠い場所である。
いよいよ音が近くなり、この離れの角を曲がればおそらく琴の爪弾き手に出会う――という場所まできた。
(さぁ鬼が出るか蛇が出るかそれとも……)
そう気楽に考えていた睦月だが、角を曲がった所で足がとまり、息を呑んだ。
否、低い格子の奥に座る少女に見惚れていた、が正しい。
艶やかに背へ流れる黒髪。顔の両脇を紅い結紐で一房結っている。ふせ目がちの目は長い睫毛に彩られ、真白な肌によく映える。黒髪が滑る着物は鴇色(ときいろ=薄ピンク)と桃(もも=濃いぴんく)で合わせた愛らしい袿を羽織った簡素な姿であったが、それまでもこの少女の麗しさを引き立てるには十分であった。
淡い月の光と蝋燭の灯火でこれだけはっきりした容貌なのだ、日の下ではどれほどのものだろうか、と心躍らせる自分がいることに、しばし睦月は気付かなかった。
己も散々美しいと言われてきたが、これが本物の少女の持つ色香であり、麗しさなのだろう。
琴を鳴らす指も白くたおやかで、少女がまだ幾分幼いことを表していた。
年の頃十四、五あたりであろうか。
そこまで考えて、ふと先の会話を思い出す。
『そなた、末姫とさしてかわらぬ年……』
今年睦月は十五。
今宵の、末姫は宴にでてはいない。
まさかとは思えども、考えるより口が先に動いていた。
「……もしかして……末、姫……?」
若干喉に声を張り付かせながら、やっと出た言葉。その問いに、琴の音が一端止まる。
しかしすぐに再会された。
「……いいえ、大臣の姫はこのように簀子縁で琴など弾きませんわ。私はただの女童。どうぞ別の名で呼んでくださいまし」
「え……えと……」
呼び方、呼び方……と律儀に考えを巡らせる睦月。こうすると普段の生意気な面影も舞いの優美な女形の影もなく。ただの年頃の少年である。
違うと言ってはいるが、それが嘘であろうことは睦月にもわかる。だが、狼狽える睦月には、なぜ大臣の姫がこんな離で、それも人前に姿を晒しているのか……そんな疑問も頭のすみへ追いやられてしまうほどに、余裕がない。
しかし、その様子に僅かに唇をほころばせる少女。
「吉辰様(よしたつ=白桜の参議の名)の、お客様でございましょうか」
「あ……そ、そう。そう、です。花神楽の睦月っていうものです」
「言葉遣いも、直さなくて結構でしてよ、花神楽の睦月様」
「えっと……ありがとう、じゃあ……そうさせてもらう、………………音の君」
最後の呼び名に、今度こそ琴を爪弾いていた手が止まる。
そうして初めて少女――音の君は睦月を見つめた。己よりやや低い位置に立つ睦月を笑うでも怯えるでもなく見つめる。
「音……その名を下さいますの? 睦月様」
「……思いつきで申し訳ないけど。凄くいい音していたから」
見上げていた音の君の顔がほころぶ。
嬉しそうに、睦月を見つめる目はどこまでも優しく見えた。どうぞこちらまでいられませ、と手招きをされ、歩みより、簀子までいくと、少女のものだろう、焚き染められた梅香の香りがする。
「睦月様は、雅楽で楽器を使いますの?この音に気づかれるなんて」
「俺は、舞い手です。音に合わせて歌われる風景と人を舞うのが役割で……それには、よく音を聞いて取り入れないといけないから」
「まぁ、舞うのですか? ですから音に敏感ですのね」
「はい、生まれつきで。昔から耳と目がいいから」
良すぎて困ったことも多いが。まだ緊張で硬い睦月にくすりと笑う。
「そう……。では、私の音や歌に合わせて舞うこともできまして?」
「勿論です。節と音があれば…歌や音があれば、どこでも舞えます」
「まぁ、素敵ですわね。……是非私の琴で舞っていただきたいわ。故あって、私はこの離から出ることができないから」
「はい、や、もちろん、それくらい朝飯前だ! ……ですから」
迷いのない睦月の、やや恥ずかしさのある声に、音の君の声が明るく笑う。
その様子に嬉しくなった睦月が、今ここで舞うのか問えば、そうではないらしい。
「睦月様は明日にはもう屋敷を離れますの?」
「いえ、白桜の宴は三日続くらしいので、その間桜に関する舞いをする約定になっていたと思う……けど」
「では、明日の夜またここへいらしてくださいます? 睦月様に舞って欲しい歌を用意しておきますわ。……内緒で来てくださいまし」
お約束しましてよ、と笑う。
必ず、足が折れたとて来よう――。
睦月はそんな思いのまま、音の君との逢瀬を終えた。
*
明けて、翌日。
睦月は再び女ものの小袿を頭からかぶり、右京区の市へと赴いていた。
仲間内には、都の賑わいをこの身をもって知り、舞いの見聞を広げるため……とかなんとかいっているだろう、文月が。
つまりは抜け出してきたのだ、今宵音の君に合ったとき、少しでも格好がつくように音の君に渡す香や櫛を買いに。
広く賑わう通りを歩いていくと、なかなかに綺麗な櫛を売る露店が目に入る。品物を熱心に見つめる睦月を、身分の高い家に使える女童と見たのか、店主の女は気さくに声をかけてきた。
「いらっしゃい、どんなお品を探しているんだい」
「えーと……十五くらいの娘が好む色や形ってどれかな」
「そうだねぇ、その位の娘なら、ちょっと大人びたもんがいいだろうけど。これなんてどうだい」
黒の漆に銀と赤で牡丹を描いた丸めの櫛や、やや大ぶりの白地に淡い紅の紅で桜を描き、貝殻と金箔で細工が施されたものなどを見せられる。
普段女着物でいることが多い睦月でも、こういった飾りものなどは疎い。雅楽で使うものとはまた違うので尚更だ。
こんなことならばあのあとすぐに帰らずに、せめて色の好みなり聞いておくのだった、とだいぶ後悔した睦月であったが。
「……睦月?」
櫛を見比べていると、後ろから声が掛かる。
この都の市で己の名を知る者はいないだろう。聞き違いだろうと振り向かずにいると、軽く袿を引かれた。
一体なんだと振り向けば、確かに見知った顔……康晴が、笑顔でそこにいた。
「また散歩にきたのかな?」
「康晴……か」
「おや、なぜそうがっかりするんだい」
つれない人だと嘆く振りの康晴はほおっておき、櫛選びを再開しようとしたが、どうにも落ち着かない。康晴の視線が痛いからであろうか。
この人ごみのお往来でわざわざ己を見つけなくてもいいだろうと思いつつ、一度櫛選びを中断した。
「お前こそ内裏のなんとか寮にいなくていいのかよ」
「仕事で出ているのだよ。というか父のお使いでもあるね。それで? 稀代の舞い手殿は何をしていたんだい」
「……櫛を」
「ん?」
「櫛を探して……あ、あのな、舞台で使う小道具の櫛を探していたんだ!! 今夜使うんだが、壊しちまって。めぼしいものはないかなーって……」
語尾が小さくなっていく。
まっすぐ睦月をみている康晴に、まごつく睦月。これが術師の効果か、と見当違いなことを思う睦月を見て、康晴がにこりと笑って、口を開いた。
「そうか、舞台の」
「……あぁ、そうなんだ」
「余りにも真剣なんで、私はてっきり想い人に贈るものだとばかり」
「……そんな、まさか。そんなはずないだろ」
「そうだね……わかりやすいと言われないかい、睦月」
言葉に詰まる。
少年らしい短気さでむっとした睦月はふい、と顔をそむけつつ
「……なんでこんな往来でお前に詰問されなきゃいけないんだよ。どけ、選ぶのに集中できない。そしてお前はさっさと仕事しろ!!」
「無論、しているとも」
「……」
「何だいその目。君といることも、立派な仕事になりそうだし。有能な見鬼殿と一緒なら、仕事も捗るというものだから」
「仕事って、前みたいな奴退治することか?」
「そうでもあり、そうでないこともあり。この前は見回りで、今回は“女の鬼”を見つけることに重きをおいているんだ」
「女?」
「そう。この右京区近辺で男を喰らう女の鬼が現れている。十日のうちに四軒の屋敷で鬼の目撃と引き裂かれた亡骸がみつかった」
先日姉小路あたりを歩いていたのは、被害にあった屋敷の近くであったからで、今は女の鬼が『六つ、葉の、櫛』と言い残したのを聞いた女房(女房=今でいうメイド)がいたためらしい。
「鬼に触発されてかはわからないけれど、小物……普段なら悪戯しかしないような小鬼も悪さをしだす始末らしい。このまま被害が大きくなっては、と帝の御心痛も高くなっているらしくて。父や陰陽寮に早々の解決を、と言われてからこうして人手を割いて動いているわけだ」
「ふぅん……こんな昼でも鬼とか動くもんなのか」
「あぁ動くさ。人を喰らうほどの強い鬼なら今この往来に現れてもおかしくない」
「やめろよ」
そこまで話して、ふと気づく。
音の君……白桜の参議の屋敷は右京区の中御門大路辺り。男を襲う鬼ならば、音の君は大丈夫だろうが。
急に考え始めた睦月を見て、安心させるように康晴が微笑む。
「怖がらせたかな。大丈夫、色で名を馳せた男の屋敷にしか現れないみたいだからね」
「色?」
「そう、つまりは色男に対する恨みを持った女の鬼かもしれないってことさ。だからね、睦月」
「……何だよ」
急に真剣になった康晴に手招きされ、たじろぎながらも近づいて、耳を寄せる。
慎重に問い返すと……
「しっかり、櫛を選んでおくんだよ」
「!!」
「初恋の人は、とくに女は祟るというからね」
康晴は優しく、他意のない笑顔をその整った容姿に浮かべ、笑って睦月を見下ろした
「……っ、うるせー!! さっさと仕事行け馬鹿術者が!!」
隠しきれてないどころか、からかわれてしまった睦月は、みるみる顔をまっかにして、女装中ということも忘れて叫んでいた。




