てけり
日はとうに暮れ、闇は濃い。
民家には明かりが灯っているとはいえ、すれ違いでもしない限り、僕とは気づかないだろう。
いや、仮にすれ違っても僕とわからない可能性だってある。
座敷牢にいれられてから僕の体から筋肉と贅肉は失われていたし、髭を剃れず髪が伸び放題になっている。
人目で僕と気づくのは、テツコやブンジといった、毎日のように面会をしてくれた奴だけだろう。
そして村人の大半は、僕がどれだけ必至に戦おうが、面会には来なかったのだ。
そう思った僕は、この村をどうするべきか悩んだ。
命を懸けて戦う価値があるのか、守るべきがあるのか。
僕はなぜ、戦わなければならないのか。
そんな思いが頭のなかに浮かんでは消え、浮かんでは消えた。
気づいた時、僕は小高い丘の上にたっていた。
膝の下には雑草が生えており、水滴が落ちている。昼のためか目を凝らさずとも、その光景はよくみえた。
それをみた僕は雨がぱらついていることに気づき、持っていた白い番傘を差した。
僕が着ているのは濃い紫の和服と、冷たい青さをした袴という格好だ。周囲からは、艶やかにみえることだろう。
そう思っていると、僕は激しい揺れを感じた。
自分の足が震えたわけではなく、地面が大きく動いているのだった。それも立つことが不可能なほどに強く。
地震だ――そう思った僕は頭を庇いながら地面にうつ伏せになった。
木々が揺れ、枝がしなって葉がこすれあう音がする。
村の方から、悲鳴がきこえる。
そんな状況で耳を澄ましていた僕は、揺れが終わった後、立ちあがった。
そして白い番傘を差して辺りをみまわすと、村の方から大人たちが走ってくるのがみえた。
丘の下から、三人でこちらに駆け寄ってくるのだった。
「てけり! てけり!」
先頭を走る二人の大人は血走った目をしながら、意味不明な声をだしていた。
入り方も正常人のそれではなく、首を上下左右に動かし両腕はだらりとしており、腰が据わっていなかった。
彼らは僕の存在に気づいていないらしく、視線は合わなかったし、すれ違いざまに首が向けることもなかった。
二人はただ単に、てけりという意味不明な、そして恐らく本人たちには意味のあることを口走っていたのだ。
僕は、じっと最後にきた男をみつめた。
彼も同じだろう。そう思ったのだ。
だが彼は、先ほどの二人に較べればまだ自我を保っているらしく、走り方こそ酷かったものの、言葉には意味が感じられた。




