巨体
「俺はどうすればいい」
「僕たちが失敗した時のために、種火をとってきてくれ」
僕はそういうと、塹壕の右手を駆けはじめた。草履の下から泥ぬかるんだ感触や、熱を奪われる感覚に襲われた。
左を盗みみると、ブンジが塹壕の左を必至に走っていた。
そのため、注意がおろそかになっていたらしい。
気づいた時には触手が僕の前方膝元から襲いかかっており、避けるには時間がなさすぎたのだ。
左足でできるだけ力強く地面を蹴り、空を飛んだところ、触手は草履の裏をかすめた。
地面に着地した僕は、塹壕の縁に謝って足をつけてしまい、泥水に足をとられてしまった。
僕は転落した。
その短い、宙に浮いた時間のなかで頭を守った僕は、左ひじが木箱の隅に当たった感覚と覚えた後、泥だらけの地面に体を撃ちつけた。
地面には顔からつっこみ、顔中に泥の感触がし、口のなかでは血の味がした。
立ちあがった僕は両手を下ろそうとして、左手に激痛が走ることに気づいた。
「つっ――」
伸ばそうとしただけで、神経が動かすなと命じるのだった。
ひじを曲げたまま腕を下ろしたが、右手の一本だけで塹壕を上がれるとは思えない。
更に、すぐ隣には化け物の巨体がある。
鱗の一部が燃え上がって火の粉を回せる、塹壕のかなりの部分を支配する化け物がいるのだった。
触手を使うことに夢中でまだ僕の存在には気づいていないらしいが、それも時間の問題だろう。
死ぬのか。
僕はそう思った。
考えてみれば、無理もない。
おおよそ、防衛線にたった場合の死亡率は四分の一だ。
最も、その大半は経験の浅い兵士だったから、僕はどこか死を他人事のように思い、彼らを助けようとすら考えていた。
それは誤りにすぎなかったのだ。
村長として村を背負い、前線にたつことを決意したチョウゾウと、戦う道を決めた僕が長いこと生き残れたのは、経験値を得ていたためではなく、ただ運がよかたに過ぎないのだ。
そう思うと、自分でも理由が分からない内に笑いが起こった。
僕の人生がいかに下らなかったかや、なんの意味もなかったかといったことを笑い飛ばすのか、それとも現実を直視できずに笑うしかないのか、自分でも理解できなかった。
「う、うああ! うああ!」
耳に入ったのは、そんな言葉だった。
みれば左手を駆けていた男が触手に右足をとられ、悲鳴を挙げている。
その内に、僕もそうなるのだなと思った。
彼のように、体を弄ばれて死ぬのだ。




