塹壕
「塹壕に落とそう」
僕はそういうと、後ろを向いて駆けだした。
チョウゾウの声が続いて足音がきこえると同時に、人の悲鳴がきこえた。
僕は後ろを掛けずに必至に走り、塹壕の向こう側で待機した。
後ろには村の灯りがみえる。
ここを突破されれば、もうなにも後にひけない。
そう思う一心で、僕は塹壕の淵にたった。
化け物は触手から血をしたたらせながら、ゆっくりと前進していた。
目がないゆえか、耳がないためか、化け物は段差に気づかず、そのまま塹壕のなかに落下していく。
ずしん、というひどく重い音がきこえ、塹壕のなかを覗いてみると、穴が深くなっていた。雨で湿っていたためか土煙はなく、よく観察できたから間違いない。
「チョウゾウ! 今だ! 火を!」
僕はそういって叫んだが、返事はなかった。もう一度、試してみたものの返事はやはりない。
周囲をみまわすと、僕とチョウゾウを除く二人の姿しかない。
先ほどの悲鳴は、チョウゾウの物だったのだ――。
そう気づいた僕は言葉を失った。下には油がある。しかし、火元がなければ火を放つことはできない。
鱗の上で燃え盛る火は、引火するようにはみえなかった。
更に、化け物は足で土を砕いて塹壕から這いでようとしていた上、触手を塹壕の上からだし、僕たちを捕食しようとしていた。
「ど、どうするんだ。村まで戻って、種火をとってくるか」
「いや――」
ブンジの声に、僕はすばやく頭を働かせた。
どれだけ急いだところで、村までいって帰ってくると十分はかかる。
それだけあれば、化け物が土を崩して塹壕から抜けだしてしまうかもしれない。
「向こうに火がある。二手に分かれてあそこまでいって、投げ入れよう。服でもなんでも使って種火をつくれ。僕は糸を使う」




