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01.The Story Begins

ナツ様主催「共通プロローグ企画」参加作品です。

 夜半に降り出した雪は眠るように横たわる一人の女の上へ、まるで薄衣を掛けたようにうっすらと積もった。

 一面の白に反射した光が彼女の黒髪を照らしている。

 音すらも包み込む静かな雪の中、一人の男が近づきそのまま彼女の脇に屈み込んだ。それに合わせ装身具が冷たい音をかすかに鳴らす。

 男は剣をしまうと目を閉じたままの女の息を確認し、彼女を抱え上げた。青白い頬に血の気はないが、少なくとも生きている。急がなければ――。


 力強く雪を踏みしめ、男は足早に来た道を戻っていった。

 向かう先にあるのは山小屋。だが、夏であれば目と鼻の先に感じるそこへは、雪深い足元と人一人背負った状況では、とてつもなく遠くなるだろう。

 だが、男は彼女の重さも雪の深さも苦にすることなく、ひたすらに足を動かし続けた。


「大丈夫だよ。リサ。だから、頼むよ―――」


 どうか、命を繋いで。

 男の言葉は舞う雪に吸い込まれていった。



 ◇ ~ ◆ ~ ◇ ~ ◆ ~ ◇ ~ ◆ ~ ◇



 パチパチとぜる薪の音が静かな部屋に響いている。

 四方の壁に厚い布が掛けられたその部屋は、雪舞う外界からの冷気を可能な限り遮断するような作りになっていた。


 ガラン、と薪が燃え崩れる音に、たった一つきりの寝台に横たわっていた女の瞼が震えた。

 ゆっくりと開かれた瞼の向こうで、瑠璃色の瞳がゆっくりと光を取り戻す。二度、三度と目を瞬かせた彼女は、毛布から手を出してゆっくりと上体を起こした。

 まだ、どこか呆けたような表情で、部屋の中を見渡す。見知らぬ場所に、ようやく冴えて来た頭で困惑の表情を浮かべた。


「何、……ここ、どこよ」


 呟いた自分の声にぎょっとした。掠れたその声は、とても自分のものとも思えなかった。随分と喉が渇いている気がして、何度も唇を舐め、唾を飲み込む。


バタン


 突然、部屋に一つしかないドアが開き、彼女は身を大きく震わせた。

 姿を見せたのは服を着ていても分かるほど、鍛え上げられた体躯たいくの男だった。短めに切り揃えられた雀色の髪があちこち無造作にねているし、着ている服の襟元もだらしなく歪んでいる。寝起きというより、外見に無頓着なその様子に、彼女の記憶の片隅で何か引っかかるものがあった。


「リサ! 目を覚ましたんだね!」


 苔のように少しくすんだ緑の瞳が喜色に染められる。彼は歓声を上げて彼女の眠る寝台のすぐ傍まで近づいて来た。


「あの、あなた、誰―――?」


 思わず身を引いた彼女の言葉に、男は首を傾げた。堂々とした体躯に似合わない仕草は、まるで大型犬のようだ。


「リサ? 何言ってるの?」

「や、待って、それ以上こっち来ないで。ここはどこなの? レラプスではないの?」


 思わず毛布を胸元で握り締めた彼女の問い掛けに、彼もようやくリサと呼んだ彼女の困惑に気付いた。


「リサ、冗談じゃなく本気で言ってるの?」

「本気に決まってるでしょう?」


 自分は生まれ育った町レラプスから数えるほどしか出たことがない。ましてや、目の前に立つ顎に無精ひげを生やした男には会ったこともないはずだ、と彼女は頭を振った。随分と年上に見えるが、彼はいったい何歳なのだろう。


 男は背もたれもない粗末な木のイスをベッドの傍に引き寄せると、そこに腰を下ろした。間近で見れば、その目の下には灰色の隈ができている。さっきまで歓喜に満ちていた表情もどこか気だるげなものに変わっていた。


「ここはレラプスから北に……そうだね、乗り合い馬車で一日半ほど離れた山、プロクリスの中腹だよ」


 予想外な答えに、リサの瑠璃色の瞳が大きく見開かれた。地図でしか見たことのない名前に、動揺を隠せない。


「で、僕はリゲル。―――分からない?」


 リゲルと名乗った男は、どこか寂しそうな顔でリサを覗き込んだ。


「……リゲル?」


 リサの瞳が探るようにリゲルの顔を見つめる。リサの記憶の中にもリゲルという男はいる。

だが、彼はどう見ても―――


「あたしの知ってるリゲルは、あたしと同い年の幼馴染だけよ。そんなヒゲなんて生やしてないわ」

「うん、キミと同い年のリゲルだよ。っていうか、二十五にもなって、ヒゲも薄かったらバカにされるよね」


 るの面倒なんだよ、と呟くリゲルに、リサはますます困惑した視線を向けた。


「何言ってるの、失礼ね。あたしはまだ十七才よ」


 その発言に、ざりざりと自分の顎を撫でていた彼の手が止まった。


「リサ、……本気で言ってるの?」

「な、何よ」

 リゲルは大きく息を吐いた。

「キミも僕と同じ二十五だろ」


「―――は?」


 ポカンと口を開けたリサだったが、ひゅぅと呼吸に失敗して咳き込んだ。


「ちょっと、大丈夫? これ飲みなよ。蜂蜜酒だけど酒精アルコールは飛ばしてあるからさ」


 差し出された木のコップからは甘酸っぱい香りが漂っていた。一度温めたのだろうそれは、すっかり冷めて人肌になっている。

 こくり、こくりと喉を鳴らして飲むリサを、リゲルは眉をハの字にして見つめていた。


「キミ、丸一日寝てたんだよ」

「どういう……いや、そもそも二十五って何よ! ホントにあんたリゲルなの?」


 すっかり飲み干した蜂蜜酒のせいか、リサの声も喉に絡むことなく滑らかに飛び出る。


「ホントに僕だよ」

「ウソ。リゲルは、もっとヒョロっとした身体だったもん」

「それは七年前の話だろ? 僕だって色々と鍛えたんだよ」

「それに、ヒゲも濃いし」

「あー、はいはい。剃ればいいんだね」

「だいたい、どこだっけ。プロクリス? 何でそんなトコにいんのよ」

「僕の今の仕事場だよ」


 リサは不審なものを見るようにリゲルを頭の天辺から足元まで観察した。

 確かに髪と目の色は一致している。だらしなく撥ねまくった髪も、記憶にあるままだ。


「まだ信用してくれないのかな」

「無茶言わないで。十七のあたしがいきなり二十五とか言われても、どうしたらいいか分かんないのよ」

「僕には十七のキミの方がびっくりだよ!」


 がっくりと肩を落としたリゲルだったが、「あー……」と呻きながらボサボサの頭を掻いた。


「十歳の時、ギース達を追い立てて、郊外の肥溜めに追い込んで落としたよね?」

「……あ、あれはエウリィをいじめるからよ」

「キミんちの裏に生えてた栗の木に登って、枝ごと折れて落ちた時、落ちてたイガを踏んで大泣きしたよね?」

「そ、そりゃ、足の甲を突き抜けたかと思ったぐらいに痛かったし」

「アルドに差し入れするからって、僕に菓子の失敗作を山ほど食わせたこともあったよね」

「あ、あれは、失敗作じゃなくて、単なる練習よ。習作だったの!」


 慌てて反論したリサだったが、次いで「信じられない」とリゲルを見つめた。


「ほんと、なのね?」

「だから、ホントだって言ってるだろう?」


 お腹減ってるよね、と言い置いて、リゲルは暖炉の方へと向かう。

 火に掛けていた鍋からスープのようなものを器によそっている後ろ姿を見つめながら、リサは自分の頬をむぎゅ、と摘まんだ。


(痛い……)


 鈍い痛みが現実なのだと彼女に警告する。

 一応、あれがリゲルなのだと納得はしたが、頭の理解は全然追いついていなかった。

 十七の自分が、いきなり二十五?

 突拍子もない事実だが、受け入れなければならないのだろう。それならば、空白の八年間をどう埋めればいいのだろうか。


「ほら。熱いから気をつけて」

「あ、うん、ありがと」


 スープかと思えば、ムギ粥のようだった。

 リサの知る彼は、料理などとは無縁の少年だったが、八年後の彼はそれなりにこなせるようになっているらしい。


「ねぇ」

「なにかな」


 とりあえず、自分の知るリゲルとの乖離かいりを埋めるために、リサは疑問を口にした。


「ここ、今の仕事場って言ったわよね。あんた、町を出てまで、今はどんな仕事してるの?」

「あぁ、山の麓にあるププッケ村って所の常駐ハンターやってるんだ」

「ハンター?」


 山や森林、砂漠や海に住む魔獣を狩るのがハンターの仕事だ。命の危険もある職業ではあるが、実力主義だからこそ人気がある。

 だが、魔獣を求めて転々とする渡りハンターならともかく、一つ処に定住する常駐ハンターは、その場所出身の者や、渡りが体力的につらくなった中年以降のハンターがなることが多い。


「体力バカのあんたがハンターになるのは、まぁ、分からないでもないけど、どうして常駐?」

「最初は渡りハンターだったんだけど、ちょっと縁があってね。レラプスともそれほど離れてないし」

「縁、って、やっぱり奥さん?」


 何気ないリサの問いに、リゲルがピシリと固まった。

 しばらく身動ぎすらしなかった彼だが、やがて、はぁぁぁぁと深い深いため息をついた。


「―――キミにそれ言われるとマジで凹むね」

「ちょ、失礼ね!」

「僕に色々教えてくれた先輩ハンターがここの出身だったんだよ。それだけ」

「そうなの」


 そういうものなのか、と頷いたリサだったが、いまの遣り取りで大事なことに気がついた。

 ふぅふぅと粥を冷ましながら口に運ぶものの、それがとても気になって仕方が無い。


(今のあたしって、二十五、なのよね?)


 考えれば考えるほど、ドキドキと鼓動が早くなった。ついでに程よく冷めてきた粥もパクパク口に運べた。

 聞くべきか、それとも聞かない方がいいのか。悩みながら完食して空になった椀をじっと見つめる。


「なにかな、おかわり?」

「……うぅん、大丈夫。ありがと」


 リサの瑠璃色の瞳は椀の底に据えられたまま、動かない。

 リゲルはそんな彼女の様子を黙って見守っていた。


「あの、……あのね、変なこと聞くかもしれないんだけど」

「僕に答えられることだったらいいよ。キミ、丸八年間の記憶が飛んでるんだし、そこを埋めたいんだろ?」


 リサは神妙な顔つきでこくり、と頷く。その瑠璃色の瞳が不安に揺れていた。


「あの、あのさ、あたしって……結婚してるのかな?」

「……」


 リゲルの返答がないことを呆れと解釈したリサは、意味もなく空の椀を上げ下げした。


「いや、ほら、二十五ってもう嫁き遅れなわけじゃない? その年になっても結婚できてないとしたら、この八年の間のあたしって、何をやってくれちゃってんの? みたいな―――」


 リゲルは無言のままで、むやみに上下する食器を取り上げた。


「あのね、リサ」

「何よ」

「普通は、レラプスから一歩も外に出たことのない自分が、どうしてこんな山小屋なんかに居るの、って所からじゃないか?」

「それももちろん気になってるわよ! でも、そんなことより重大なのよ! この年齢になって結婚してるかどうかってことが!!」


 リゲルは身体を捻ると、リサから取り上げた食器を少し離れたテーブルの上に置いた。

 そして改めてリサに向き直り、そして、地の底まで届きそうなほど大きなため息をついた。


「ちょ、呆れなくてもいいじゃない! それほど女性には大事な問題なんだから!」

「―――してる」

「え?」

「結婚してるよ」


 リサの顔にみるみる安堵が広がる。


「それならいいわ。まったく、もったいぶらなくてもいいじゃない。妙に溜めるから、まさかって心配になっちゃったわよ」

「あー……。僕、ホントに報われないよ」

「え? 助けてもらったことには感謝してるわよ。ちゃんと落ち着いたらお礼もするわ」

「違う。問題はそこじゃない」

「は?」

「僕と結婚してるんだよ、リサは」

「へ?」

「だから、リサは僕の奥さんなの!」


 リサの指が自分を指す。それにリゲルは神妙に頷いた。

 そしてリサが今度はリゲルを指差す。それにも彼は大きく頷いた。


「う、嘘でしょぉ?」

「あー、ひどい。奥さんがマジひどい」

「ちょ、リゲル! そこ詳しく! 何がどうなったの? っていうかアルドは?」


 自分の片恋の相手はどうなったのかと質問を重ねるリサを、はいはい、とリゲルはあやすように押さえた。


「まだ混乱してるんだ。もうちょっと寝てなよ」

「いや、でも、そこ大事なところだしっ」

「あー、わかったわかった。もう一眠りして、まだ記憶が混乱してたらちゃんと話すよ」

「でも、こんなんじゃ眠れないってば」


 リゲルに無理やり身体を倒されて、リサの口が不満で尖る。

 だが、彼が話すつもりがないと分かると、大人しく毛布にくるまった。


「あ! でも待って! あたしがここ使ってたら、あんた眠れないわよね? 今度はあたしが起きてるから、リゲルが寝なさいよ。ひどい隈よ?」

「大丈夫だって。身体が頑丈なのは知ってるだろ?」

「だからって、疲れた顔してるのにほっとけないわ」


 再び身体を起こしたリサに、リゲルは何故かニカッと笑った。


「じゃ、一緒に寝ようか」

「ふぇっ?」

「キミもまだ半病人みたいなもんだし、休息が必要なのはお互い様だろ?」

「……」


 難しい顔で俯いてしまったリサに、肩を竦めたリゲルは背を向ける。


「待って!」

「?」

「……その、あたしたちが夫婦っていうのは、ほんと、なのよね?」


 真っ赤な顔でぼそぼそと確認するリサの可愛さに、思わずリゲルが口元を押さえたことなど俯いたままの彼女は気付かない。


「だ、だったら、一緒に寝ても、いいと思うの」

「リサ……」

「あ! でも、不埒な行為はダメよ! 何ていうか、その、あたしにも、それなりに心の準備というか……。いや、夫婦になってどのくらい経つのか知らないけど、でも、十七のあたしからすれば付き合ってもいないわけだし……」

「僕も半病人に手ぇ出すほどの鬼畜じゃないよ。―――だったら、そっち寄って場所開けて」


 リゲルの言葉に、もそもそと身体を動かすリサは耳まで真っ赤に染まっていた。


「ほ、ほんとに不埒な行為はダメなんだからね……って、うゃっ?」


 隣に滑り込んで来たリゲルに引き寄せられ、リサの火照った頬が厚い胸板に押し当てられる。


「ちょ、不埒な……っ」

「こうやってくっついた方があったかいし、何より離れてたらベッドから落ちるだろ。何もする気はないって」

「ん、ぐ、ま、まぁ、それなら……」


 ごにょごにょと呟いていたリサだったが、まだ身体が本調子でないせいか、しばらくすると眠りに落ちてしまった。


「ごめんな、リサ」


 顔にかかる彼女の黒髪を払ってやりながら、リゲルもまた腕の中のぬくもりに導かれるようにしてまぶたを落とした。


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