33サークル
師走。
「師が走るほどに忙しい」
この師なるものは『僧』である、とされてるが、はっきりとした定説はない。
その他にも「年が果てる」が変化したんだ説、とか「四季の果てる月」=「四極」が変化したんだとか、その他諸々、調べれば調べるほど意味が分からなくなる。
なんにせよ、言えることは、昔の人は上手い事を言うってこと。
「走るほどに忙しい」
大人も子供も、老若男女問わず、意味もなく気が急く。
勿論……。
女子大生たる私も例外ではないのだ。
・・・・・
「は~い! 皆さん注目!!」
日頃は影が薄く、存在すら危うい棚旗部長が声を上げた。
それぞれ、思い思いに過ごしていた部員達が棚旗部長を不信な目で見る。
特に、今年入学した一回生は「あれ? 誰だっけ?」と言わんばかりの不穏な表情を隠そうともしない。
コホンと一つ咳をした部長が、おもむろに目の前にあったカレンダーをビリッと破った。
そこに現れたのは「12月~師走~」と書かれた、何の変哲も面白みもない文字。そして日付。
当たり前だ。唯のカレンダーなのだから。
しかし。
二回生以上の部員は、その文字を見てビクリと背を正した。
今年三回生の私なんて、その文字を前に正座しそうになる。
「今年も終わりですね」
部長のバリトンボイスがゆっくりと部室に広がる。
「一年は早いものです」
意味も分からず頷く一回生に、私は心の中で「ダメだ! 同意するな!」と叱責した。
あくまで心の中だけ。
声を上げる勇気はない。っていうかあったら、そもそもここには居ない。
「我が33(さんさん)サークルの本来あるべき姿を見せる時がやって来ました」
ダメだ! 部長! それだけはダメだ!
あの眼鏡バリトンボイスに、声の固まりをぶつけて気絶させたい。
そんな二回生以上の気持ちを知ってか知らずか(多分、知ってるが分かってない)部長はいきなり着ていた服を脱ぎ出した。
プチプチ(ボタンを外す音)
ガシャガシャ(ズボンのベルトを外す音)
誰も一言も発せられない。
「逃げろ! みんな逃げろ!」
そう叫べたら、どんなにか……。
部室の不穏な気配を敏感に感じ取った、勇気ある一回生男子が「部長! 待って下さい!」と声を上げる。
「何がです? 山田君」
あくまで淡々と服を脱ぎ、ついに白シャツとトランクスだけになった部長が答える。
「女子もいるんですよ。いきなり何をやってるんですか?」
怯えるように固まっていた数人の一回生女子は、魔法が解けたかのように「そうですよ!」「見たくないですよ!」と抗議する。
しかし。
私の過去の経験から言えば、もう遅いのだ。
全ては手遅れなのだ。
部長はふんふん、と鼻歌を歌いながら、脇に置いてあった紙袋から赤い衣装を引っ張り出す。
それを着て、さらに紙袋から白い髭と赤い帽子を取り出し、装着。
「どうです?」
呆然とする一回生とため息をつく二回生、三回生の半分は諦め顔で、残る半分は完璧にこのサークル色に染まり「部長! 俺、もう我慢出来ないっす!」と叫ぶ。
「どうです?」
部長は再度、呆然と突っ立っている山田君に尋ねる。
「サンタですね……。眼鏡の……」
「そうです! 私がサンタです!」
日頃の曇っている目が嘘みたいに輝く。
悪夢の月がやって来たのだ――――
・・・・・
私がこの33サークルに入部したのには、深い意味はなかった。
元々、運動好きでも社交性がある訳でも、何かの活動に熱中するパワーもない草臥れた女子大生の私は「何もしないでいいサークル」を探していた。
勿論、何をしているのか分からない怪しげなサークルは沢山ある。
しかし、そんなサークルの多くは「何々会」とか言って、他校の異性と知り合うのを目的とした、ある意味「何かをしなければいけない」サークルなのだ。
そんな物は要らない。
私はただ、授業の合間合間だとか、休講になった隙間時間とかを気軽に過ごせる場所が欲しかっただけなのだ。
「出会い? 大いに不要」なのである。
私の何がいけないのか、その発言をすると周りの女子達が絶滅危惧種を心配するような、それでいて上から目線みたいな声で「ふ~ん」と言う。
「アユは出会いは要らないんだ。あ、ずっと付き合ってる彼氏がいるから、とか?」
「いないけど。そもそも、彼氏って存在を許した覚えもないけど」
「……恋愛嫌いだとか? 男嫌いだとか? 同性好きだとか?」
「全てにおいてNO! 私は完璧にド、ノーマルだ。しかし、面倒くさい」
「恋愛が?」
「Non! 恋愛だけではない。何かに熱中する事が面倒くさいのだ。折角大学に入ったのだから、のんびりゆっくりさせてはくれないか?」
この辺りで、五人いた友達が二人ぐらいになってる。
「今は面倒だけど、そのうち元気が出たらって感じだね。それなら、アウトドアサークル系は? 聞いただけだけど、自分の好きな時に参加していいんだって。嫌なら断ればいいみたいだし……」
「Non! 断る事すら面倒くさいではないか!」
ここで残った唯一の一人は、本気の本気で「いい人」である。私はそれを経験上知っている。
「インドア系がいいのかな? でもインドアだって結構活動あるし、やっぱり何か誘われたら断らないといけないと思うよ」
「そうか……」
仕方が無い。
何もしないで部費とか活動とかもなくて自由。私の事はその辺の観葉植物扱いで適度にほっておいてくれて、気が向いた時にだけ少量の水をくれるようなサークルはないのか。
「そうか……」
私は二度呟いた。
それほど残念であった。
「何もしない意義」
これを心から見出している人間は、やはり少数であるらしい。
「何か見つけたら教えてあげるね」
と、ここで最後の「いい人」も姿を消す。
私はぼんやりと、これから母校になるであろうキャンパスの隅っこのベンチに腰を下ろす。
さて、如何にして、このような時間を潰すべきか……を悩んでいたら、背後から軽く肩を叩かれた。
振り向くと、棚旗部長(今よりも少しだけ若い)が存在感のない笑顔(今と同じ)で立っていたのだ――
・・・・・
正直に言うと、33サークルは居心地が抜群に良かった。
私の存在は観葉植物以下でほっておいてくれたし、また周りの人間達も観葉植物以下で、興味の欠片も湧かなかった。
お互いがお互いを適度な距離で放っておく。
その関係性は、現代社会にマッチして、とても快適であった。
私は春、夏、秋、と隙間時間を見つけては33サークルへ顔を出し、何をするでもなく思う存分にぼうっとしたし、たまに必要であれば先輩方の教科書を強奪したりもした。
試験前には必勝法を無理矢理に聞き出し、どうしても講義に出れない日は、別の先輩に代返をさせた。
(代わりに私も何度か男の声で代返した)
部室には常時、数人が入れ代わり立ち代わりしていたので正確に何人在籍しているのか判明しなかったが、常に部室が狭苦しくなる一歩手前の人数しか存在しなかった。
勿論、活動内容は何もない。
部費も徴収しないのに、何故か最新のエスプレッソマシンがあったり、冷蔵庫のジュースが補充されてたり、至れり尽くせりな待遇だった。
おかしい、と思わなければいけなかったのだ。
「何故、活動内容もないサークルの存在を学校が許しているのか?」とか。
「何故、部費も徴収しないのに、飲み物や時には食べ物を勝手に飲み食いできるのだ?」とか。
全ての謎は一回生の12月に分かる事になる。
「はい! 皆様注目!」
私が一回生の頃、萎びた干物のような顔をしたひょろ長い先輩が部長であった。
普段は一切話さずに、部室内部に置かれた金魚鉢(今はない)を見つめ続けるだけの不気味な男であったが、その日は一味違った。
何て言うのだろう?
目が少しだけ「金魚鉢の金魚を狙う猫の目」になっていた。
つまりは、隙あらば狩る! という「漢」の目をしていた。
それがまず、気持ち悪かった。
私の他にいた一回生の男子と女子は、呆然としながら部長を見つめた。
「しゃべるんだ、あの人」と思わず本音が漏れた人間もいたほどの、部長の豹変振りだった。
そして、おもむろに服を脱ぎ(思い出したくない)
紙袋に入った衣装を手に取り(背丈があってなかった)
細面の顔に白い髭をつけ(顔が小さすぎて、目しか見えなくなった)
「そうです! 私がサンタです!」
と叫んだ。
呆然とする一回生の私達を取り囲むように、どこからともなく見た事もない人数の人間が現れ、私達の退路を完全に断った。
「はい、これ」
「はい、これ」
と私達にもサンタ衣装を手渡していく先輩達。
男子生徒はその場で裸に剥かれ、衣装を着せられ、女子は女子の先輩達に取り囲まれながらトイレで無理矢理着せ替えさせられた。
「…………」
私は呆然とした。
トイレ内にあった全身姿見に映った自分の姿に愕然とした。
――――そこには、ミニスカートのセクシーサンタ(コスプレバージョン)が立っていた。
立ち尽くす私の横にいた数人は、コスプレーヤーの魅力に一挙に取り付かれたらしく「きゃいきゃい」騒ぐ。
しかし、私はその輪に入れない。
「似合う! 似合う!」と周りの先輩方も騒ぐ。
「きゃいきゃい」
「ひらひら」(スカートを広げる音)
「ヒュー」(かすれた口笛)
私の周囲がクリスマスカラーに染まっていく中、一人いつまでも深淵から抜け出せずにいた。
「和田部さん?」
「アユちゃん?」
皆が口々に私に声をかける。
それで…………我に返った。
「逃げ出さなくては!」
私はミニスカサンタのまま、逃亡を謀った。
そして、校門を目前にして捕まったのだ。
棚旗先輩に…………。
「君は逃げると思ってたよ」
と不敵な笑み。
怒りが一瞬にして沸点へ到達した。
私はその日まで、棚旗先輩に感謝していたのだ。
私の資質を見抜いて33サークルへと導いてくれたお方として。
残念ながら異性的魅度数は0であったが、そこそこには好意を持っていたのだ。
それが……裏切られた。
「キィィィ!」
私は怒りのまま助走をつけて棚旗先輩の顔面めがけてパンチをくり出した。
ゴツン! と見事な手応えを感じ、棚旗先輩はか弱き婦女子のパンチ一発で伸びた。
「トナカイのくせに生意気なんだよ!」
その時の棚旗先輩はトナカイのコスプレであった。
後々分かるのだが、33サークルはミニスカサンタコスプレに力を入れすぎて、男子生徒のサンタ衣装が不足していたのだ。
私は倒れたトナカイの角を思い切り踏んづけて、少しでもこんな変態に感謝の念を持ってしまった自分を恥じた。心から恥じて攻撃した。
これでもか、これでもか、と踏んづけてスッキリしたので、そのまま帰ろうと顔を上げると、校門付近は黒山の人だかりになっていた。
「サンタさん、もうお仕置きは終わり?」
「コスプレで痴話喧嘩とは凄い!」
「ねぇ、あれってもしかして…………」
「ああ33じゃない?」
しまった! と後悔しても遅かった。
私は学校公認のミニスカサンタになってしまっていたのだった。
・・・・・
そんな、取り留めも無い事をつらつら思い出しながら、私は一回生の行く手を遮る。
そして女子生徒をトイレに拉致して、ミニスカサンタの衣装を無言で渡す。
どうやら今年の新入生には、私のように逃げ出す根性のある者はいなく、黙ってサンタ衣装を着た。
これが世に言う『草食化』現象なのだろうか?
誰も逆らわない。
楽っちゃ楽だが、もう少し自己主張をすべきなのではないか? などと考えながら、私もサンタに着替える。
そして、なされるがままの一回生を伴って街へくり出した。
女子達の当番は、ミニスカサンタを活かした街頭活動。ティッシュを配ったり、ワインの試飲勧めたり、ケーキ屋の呼び込みをしたり……。
俗に言う日雇いアルバイトだ。
そこで一年間の部費とメイン活動の資金を得る。
男子生徒は本番のクリスマスの日まで、同じように肉体労働に参加したり、パーティー班の準備を手伝う。
私は年に一回、一月だけの労働をしながら、名前も忘れてしまった干物部長と棚旗先輩の言葉を思い出す。
「君はあまいよ」
干物部長はしたり顔で言った。
「世の中には、ただほど高い物はないんだよ」と。
棚旗先輩は言った。
「いいじゃないか。年に一回ちゃんと働いたら後の十一ヶ月は何もしなくていいんだよ」と。
落ち着いて考えると、正にその通りであった。
それでサークルの存亡及び、自分の居場所が守れるなら、欧米人よりもバカンス期間を取れる。
労働一月、バカンス十一ヶ月。
こんな好条件な仕事は他にない。
そう思って、私なりに、まあまあ働いた。
師走。
人々の動きは慌ただしい。
私もまた慌ただしい。
そうこうしているうちに、あっという間にクリスマスイブを迎える。
この頃には、コスプレ姿にすっかりと馴染んでしまったサークルメンバーは、制服のように一日中サンタ及びトナカイの扮装をしている。
最初は奇異に見られた校内での移動も、誰しもが気にしなくなる。
人間とは慣れる生物なのだ。
私達33サークルのメンバーは、久々に全員が部室に集まり、それぞれのサンタ袋を抱えて、また散る。
袋の中には、私達のアルバイト資金で買った細々した小物と、人々が善意で提供してくれた型落ちのおもちゃや衣服。
それを担いで、私達は散り散りに走る。
公民館へ。
児童施設へ。
ケアセンターへ。
「サンタさん!」
子供達が集まって来る。
私は手当たり次第、子供達に適当なプレゼントを渡し、適度な微笑みで次の場所へ走る。
幼稚園でも。
保育園でも。
小学校のクリスマス会でも。
ミニスカサンタは大人気なのだ。
この日、こうして無償でプレゼントを配り、そのお返しとばかりに、また一年誰かが私達に優しく手を差しのべてくれる。
それはジュースだったりお菓子だったり、使われていないエスプレッソマシンであったり、様々な形態をして私達の前に現れる。
「33サークル」
そこは日々、怠惰に過ごす人間が集う場所。
12月だけ「サンタさんサークル」に変わる場所。
そして…………。
「乾杯!」
「今年もやったね!」
「疲れた~!」
クリスマスの日だけ、私達は友になる。
お惣菜屋で貰った残りのチキンを頬張りながら。
売れ残ったケーキを囲みながら。
差し入れに貰ったお酒を呑みながら。
ほどよく満腹になると、私達は眠る。
偽者サンタが大量に部室に転がる。
こうして怠惰な私達の唯一無二の活動は幕を閉じる。
偽者だって本物だって、サンタは師走を走り抜ける者なのだ。
それ以外の月は、だから休ませて欲しい。
それが、怠惰なサンタ、及びサークルメンバーの大いなる願いである。