第三話 魔物と道連れの魔王討伐隊【side:ヴァル】
「なにか……た、食べ物を出すわん」
粗末な革鎧で武装した犬精鬼が一匹、切羽詰った口調でぷるぷる震える剣を構えながら向かってきた。
犬の品種はわからないが、見た感じ隣のベイル爺さんが飼っていた白いシバだかアキタだか言った犬に似ている気がする。
そういやアレって結構馬鹿犬だったよなぁ、近づく奴は巡回中の騎士でも郵便配達でも、隣のバーサンでも関係なく吠えまくってたけど、エサやるとほいほい尻尾を振って押し売りでも空き巣でも素通りさせてたし。そういう犬種なんだろうか?
そんな風にしみじみ思い出に浸りながら――まあ、王都を出てまだ三日しか経っていないけど――目の前の犬精鬼を懐かしく見る。
見た感じは身長一・三メトルほど。隣の犬が直立して衣服をまとっているだけにしか見えない。ただあれより薄汚れて、そうとう長いことエサ……いや、食事も満足に摂っていないのか痩せて貧相だ。おまけに足元もふらふらしているし、錆の浮いた青銅の剣も引き摺るようにして構えている。
武器と先の台詞がなければ、強盗ではなく物乞いと思ったところだろう。
さて、どーしたもんかなと思いながら、俺は魔物の登場に喜色満面で腰の細剣を抜刀して、前に飛び出したシェリルの後姿を確認した。
「………」
おーおー、悩んでる悩んでる。
相手は最下級の魔物とはいえ、普通に共通語を話す、つぶらなお目目のワンコロ。問答無用で切り殺すのは処女にはきついだろう。こっそり兵舎の私室にヌイグルミをコレクションしているのも知ってるし。
ちなみにこの場合の『処女』は人を殺した経験があるかどうかの隠語だ。性体験の方ではない。けど、間違いなくそっちの方もヴァージンだろうな。
「ふにゅーっ、この際食べかけでも捨てるゴミでもいいわん。いいかげん雑草粥は飽きたのわん。よこすわん!」
悲惨な食生活を暴露しながら犬コロが銅剣を振りかぶって、シェリルへと振り下ろした。
剣の重さに腕力が負けてそのまま一直線に下ろしただけの子供のチャンバラの方がまだマシなレベルの一撃だった。
当然、余裕で躱したシェリルは、地面に剣をぶつけた衝撃でタタラを踏んでいる犬精鬼目掛け、細剣を刺突しかけて……。
「……う~~ん」
一瞬悩んで、剣を平らにして、腹のところで犬精鬼の手を叩いて銅剣を叩き落した。
「きゃいーん!」
あっさり剣を取り落とす犬精鬼。
さらに抵抗するなら追撃を……とバックステップで距離を置いて、剣を構えたシェリルだが、当の犬精鬼は、その場に蹲って頭を抱えてぶるぶる震えていた。尻尾がすっかり尻の下に隠れている。
「ヴ~ァ~ル」
どうしよう? と途方に暮れた顔で振り返るシェリルに向かって、俺はとりあえず肩をすくめて見せた。
◆◇◆
犬精鬼が入れられた檻の前で、冒険者ギルド『コノー出張所』のバーニィ所長が、依頼書の受領欄にサインをする。
「――では、『峠に出没する犬精鬼退治』。完了したのを確かに確認しました。報酬は銀貨十枚になりますが、現金でお支払いしますか? それとも指定口座にお振込みにしますか?」
「んじゃ現金で」
たかだかミックスジュース五杯飲めば消えるようなはした金だ。わざわざ面倒臭いことをしなくていいだろう。
俺の答えにバーニィ所長も慣れた調子で頷いて、懐から銀貨を取り出してこの場で寄越した。
「ではこれで。……それにしても、まさか生きたまま連れて来るとは思いませんでした。討伐部位の尻尾だけあれば十分だったのですが」
言外に余計な手間かけさせやがってコンチクショウというニュアンスが感じられる。
「まあ成り行きでな。つーか、こんな雑魚なら子供でも退治できたと思うんだけど、なんでわざわざギルドに依頼があったんだ?」
「ま、確かにその通りですが」
ちらりと檻の中で悄然と首を垂れている犬精鬼を一瞥してから続けるバーニィ所長。
「妙に用心深いところがありまして、地元の人間が近づくとたちまち逃亡しますし、そのくせ旅人や商人があの峠で休憩していると、いつの間にか昼飯を盗まれるなどの被害が後を絶たなかったもので」
「なるほどね」
地味に面倒臭い相手だったというわけか。かといって本職の冒険者が何日も張り込みするほど報酬も良くないし、どうりで依頼が残っていたわけだ。
俺は大いに納得して、どこか所在無げに檻の前に立っているシェリルを見た。
本人の『冒険者と言えば魔物退治でしょう!』という意向を尊重して選んだ依頼だったが、理想と現実の落差に結構戸惑っているように見える。
この調子で諦めて『魔王討伐』なんて阿呆な夢から醒めてくれればいいんだが。
「まあ何はともあれ懸案のひとつが片付いたのはありがたいですな」
お義理で礼を口にするバーニィ所長。
「いえいえ、これも仕事ですから」
俺もオトナの対応でこれに答える。
「それでは、後の処分はこちらの方でやっておきます。素材や魔石の方は犬精鬼ではたいした価値はないと思いますが……」
「ああ、それは処分の手数料としてお収めください」
ぶっちゃけいらんし。
「ありがとうございます。ではそのよう」
「処分っ!?」
素っ頓狂な声を張り上げたのは、話の間中ぽつねんと立ち尽くしていたシェリルだ。名目上この依頼を受けたのは、冒険者資格のある俺なわけなので、交渉などは全部丸投げする話になっていたんだけれど、やたらと驚いた顔で俺とバーニィ所長の顔を凝視している。
「処分って、まさか殺すの!?」
嘘だと言ってよバーニィ所長!――と、すがらんばかりの問い掛けに対して、所長は平然と首肯した。
「夜盗、山賊、盗人の類は情状酌量の余地なく、保健所で殺処分ですな」
あ、保健所なのか。
“保健所”“殺処分”という言葉を聞いて、檻の中でもの凄い勢いで震える犬精鬼。
「そんな……!」
が――ん、という擬音が背後に見えるようなショックを受けた顔で、俺たちの顔と犬精鬼とを順に見るシェリル。
お前、最初の意気込みはどうした? そんなブレまくって魔王とか相手にできるのか!? あ、いや、ブレたほうがいいのか……?
いかん。何か俺も何が正しくて何が間違っているのかわからなくなってきた。
「規則ですから」
取り付く島もなく一言で切って捨てるバーニィ所長。多分、この頑なな態度はシェリルの心証が悪いことも影響しているんだろう。
「まあ、どうしてもというのでしたら、貴女が身元引受人になり、保釈金として金貨十枚お支払いいただけるのでしたら司法取引は可能ですが」
「ヴ~ァ~ル~……」
こっちみんな。
つーか、金貨十枚って軍資金の三分の一だぞ!? 活動資金を得る為に来たギルドで、逆に大赤字にするつもりかこのアマ!
すがりつくような目で俺を凝視するシェリル。
「………」
「………」
視線を逸らせても彼女のまなざしが痛い。
このイノセントな瞳を前にすると、俺がとんでもなく汚れた極悪人になったような気がしてしょうがない。
俺はあきらめてため息をついた。
「……この討伐隊の隊長はお前なんだから、判断は隊長に任せるさ」
途端、シェリルが満面の笑みを浮かべた。まるで大輪の花が咲いたような笑顔を前に、俺は敗北を認めたのだった。
◆◇◆
「がふがふ! 旨いですわん! 最高ですわん!」
尻尾を振り振り、木皿に盛られた山盛りの料理を手掴みで口の中に放り込む例の犬精鬼。
食堂で飯を食おうとしたんだが、「ペットの持ち込みは困ります」と断られたので、持参した容器に飯を盛ってもらって、こうして屋外で食べることになったのだが、どれだけ飢えていたのか健啖ぶりを遺憾なく発揮して、シェリルが半分分けた料理も遠慮なく口にしている。
「ふーん、なら、俺のネギも食うか?」
さり気なく自分の皿からネギを移そうとしたのだが、
「ネギは嫌いなのでいらないですわん!」
あっさり断られた。
(※ネギ類は犬の赤血球に反応して、溶血性貧血・血色素尿症を引き起こす可能性があるので絶対に与えないでください)
内心舌打ちしながら、俺は確保してある自分の飯を味わって食べていると、微笑ましげに犬精鬼の食べっぷりを見ていたシェリルが首を傾げた。
「ところで、犬精鬼さん「アドルフォですわん! ルフォって呼んで欲しいわん!」」
顔を上げた犬精鬼――いや、ルフォが元気に自己紹介をする。
「ああ、そういえば名乗っていなかったわね。私はシェリル・アディソンで、こっちはヴァレンティーン・マシュー。シェリルとヴァルって呼んでね。よろしく」
「よろしくですわん!」
よろしくしたくねえなー、と思ってフォークを口に咥えたまま、適当に首を下げる。
「よろー。俺のタコとイカ食うか?」
「宗教上の理由で食べられないですわん!」
「――ちっ」
(※タコ・イカ類は消化に悪く、ビタミンB1の破壊物質が含まれるので犬、猫には与えないでください)
「それで質問なんだけど、ルフォはどうしてあんな場所で山賊まがいのことをしていたの? もしかして魔王軍の手先なのかしら?」
それはないだろう。と思いながら、俺はこっそり自分の皿からルフォの皿に干しぶどうをシェアした。
軽く匂いをかいで、即座に捨てるルフォ。
食べ物を大事にしない奴だ。
(※ぶどう類は腎臓障害を引き起こし、場合よっては中毒症状で死ぬことがあるので犬には与えないでください)
「魔王ってなんですかわん? 僕は行方不明の両親を探して旅をしてるわん。ここまで来て旅費がなくなったので、悪いことだとは知りながら人を襲ったわん。反省してるわん」
しょぼーんと耳を伏せてうな垂れるルフォ。
「そっか。違うならいいのよ。それじゃあ、ルフォはご両親を探して旅に出るのね?」
そのシェリルの問い掛けに、飯を最後の一粒まで舐めて綺麗に平らげたルフォは一瞬考えて、それから激しく首を横に振った。
非常に嫌な予感がした俺は、荷物の入った背嚢から携帯食のひとつを取り出した。
「飯の後にはデザートが欲しいだろ。ほら、このチョコレートを食べて」
(※チョコレート類は犬に食べさせてはいけない№1です。心臓血管や中枢神経に作用して、下痢、嘔吐、死ぬ危険性が高いので絶対に与えないでください)
差し出しかけた手からチョコレートの包みが引っ手繰られた。
「さっきからどういうつもりよ、ヴァル?! 殺す気?」
押し殺した声でのシェリルの恫喝に、俺も低い声で答える。
「だってなあ……絶対、トラブルの種だぞ、コイツ」
と――、
「そういうわけにはいかないわん。命を助けて貰った恩返しがしたいので、ふたりに着いて行くわん!」
決然と顔を上げたルフォが言い放った。
「「え~~~~~っ」」
シェリルは目を丸くして。俺は精一杯嫌そうな顔でそれに応じた。
「この命果てるまで従うわん! どこまでも着いて行くわんよ」
そう言ってその場に土下座して服従を誓うルフォ。
「……どうしよう?」
「知らん。お前が隊長だろう。好きにしろ」
半ば予想していた俺が無慈悲に判断を丸投げすると、先ほどの自分の我儘を自覚しているらしいシェリルが頭を抱えた。
魔王討伐に向かう一行の筈が、魔物を従者に迎えるなんぞ本末転倒……ということで悩んでいるのだろう。まあせいぜい現実の前に苦悩することだ。
俺はすっかり冷めた飯を腹に収めながら、うーうー呻っているシェリルを見物しつつ、この先の困難を思ってため息を漏らした。
……そんなわけで、この日、俺たちの一行に犬精鬼が一匹加わったのだった。
アドルフォ(8歳)
身長131cm、体重28kg。右投げ右打ち。
HP:330
MP: 0
海外ではシバや秋田が人気ですけど、私の知っている限りけっこうおバカな犬だったという印象なんですけどねー。噛まれたし。