Ⅷ
俺があの男の下で働く時に交わした条件はたった一つ。
“トニーとカレンの命の保証をすること”
それは今回の件をなかったことにするわけだが、あの男はとにかく、教会の連中はオレの能力を手放しくたくなかったらしく、何の問題もなく、条件を呑んだ。
それから、あの男の性癖に嫌気を差していたが、あの契約がある為、オレは刃向かうわけもなく、あの男にされるままにやられていたのは言うまでもない。
まあ、その時は相手を彼女と思いこんで、乗り切っていたわけだが、その時、彼女に対して罪悪感に苛まれていた。そうでもしないと、俺の理性を保てなかったので、仕方なかったわけだが。
その後、碧の髪の青年が弟子入りして来たりと、あの男との歪んだ師弟関係を築いて数年が経とうとしていた頃、事件が起きた。
『 、カレンが……』
トニーが血相を変えて、任務を終えた俺の元へやってきた。カレンに何かあったのはこいつの表情を見れば分かる。オレはトニーの案内の元で行くと、オレの目の前では悲惨な光景が広がっていた。
部屋一面に広がる赤黒い液体。
横で血の気を失せて倒れているカレン。
そして……、
そして、狂ったように笑うあの男。
オレはその光景を見て、最後まで残っていた理性が崩壊した。オレはこの後の記憶は全く覚えていない。
この現場にやってきた断罪天使や鏡の中の支配者の話によると、オレとあの男との闘いに割って入ることなど出来ないほどだったと言う。
そして、数日と言う激闘の末、あの男は倒れた。その時、あの男が最後に残した言葉はあまり思い出したくはない。
あの言葉を思い出すと、オレがオレでなくなるような気がするから。
***
俺は青い鳥弐号を走らせて、誰も迷惑掛からない場所へと向かう。その時、何かが風を切る音が聞こえてくる。俺が後ろを振り向く前に、青い鳥弐号に振り落とされる。
その瞬間、青い鳥弐号は鎖に縛られていき、解こうともがくが、その鎖の支配からのがれることは出来ないでいるみたいである。
無意識的に、俺は後ろを振り向くと、赤い髪をなびかせてこちらにやってくる帝王の姿があった。おそらく、この鎖は彼の魔法、もしくは特異能力なのだろう。
「………俺は逃げないから、こいつを開放してくれないか?こいつは青い鳥の馬だから、怪我をするとあいつが悲しむ」
俺がそう言うと、青い鳥弐号を縛っていた鎖が消えていく。すると、青い鳥弐号はヒヒーンと鳴き、こちらを見てくる。
「青い鳥弐号、ここまで運んでくれて、ありがとう。お前は少し離れていてくれ」
俺がそう言うと、青い鳥弐号は俺の言葉を理解したようで、パカッパカッと音を立てて、いなくなる。
俺は大剣を手に取る。彼のようなオーソドックスな剣士相手では前衛がいない状態で魔法を使って勝負を挑むのは自殺行為だ。とは言え、俺の剣の腕前はバリバリ魔法使いタイプの断罪天使の一撃で剣を折られるほどである。
一方、相手は青い鳥や翡翠の騎士以上の実力を持つ達人級の剣士だ。はっきり言って、勝負にならない。
だからと言って、俺は負けるわけにはいかない。そう、あいつの気持ちを伝えるまでは………。
「………帝王、あんたに聞きたいことが一つある。あんたにはトニーと言う少年以外にもう一人カレンと言う少女と一緒にいたそうだと青い鳥は言っていた。だが、俺はカレンの姿は見ていない。カレンは裏で動いていたのか、たまたま今回の任務にはいないのか、それとも……」
もう亡くなっているのか?そう続けようとしたが、彼が否定もしないところを見て、俺は疑心から確信に変わった。
理由は知らないが、カレンと言う少女はもう………。
「………あんただけ質問するのはアンフェアやから、こっちも質問してええか?」
帝王は静かにそう言ってくる。
「あんたはどうして負けると分かってて、オレの前に立てる?どう考えても、あんたはオレに勝てへん。それなのに、あんたは逃げへん?」
「負けるのに、どうして、ここにいるのか?確かに、あんたにこれさえ渡せば、痛い目に遭わないですむし、負けることもない。だがな、俺は勝ち負けより大切なものがあると思う」
いつも、俺は勝てる試合ばかりしているわけじゃない。今までだって、どうにか勝った闘いもあれば、負けた闘いもある。
だが、俺は勝っても、負けても、得られていることがある。時には、負けたとしても、勝つより得られるものが多いことだってある。
そして、俺がここに立つ理由。理由と言うものは言い訳と同じくらい意味がないものをだが、それは青い鳥が伝えたいことがあるからに他ならない。
俺の身体が傷つこうと、俺は青い鳥の想いを伝える責任がある。だから、ここにいる。理由はそれだけあれば十分だ。
「………そうか。オレはあんたが羨ましくて仕方あらへんかった。出来ることなら、オレも彼女の傍にいたかった」
それだけできれば、十分だった。そう、彼は言う。
「だけどな、彼女のそばにはオレやなくて、あんたがいる。それはもう変えられない事実や。だから、オレ達が敵対しても、仕方あらへんかもな。黒犬、一つだけ言っとく」
どんな結果でも、あんたは後悔せえへんか?と。
それはどっちが勝っても負けても、もしくはどちらが死んでも、恨まないか?と言うことだろう。
「勝ち負けはどうでもいいとしても、死んだら、誰だって恨むんじゃないか?」
俺だって、お前だって、俺がそう言ってやると、彼は口元に笑みを浮かべ、
「それもそうやな」
そう言って、彼は地面を蹴る。俺は剣に魔法陣を描き、魔法を展開させる。だが、帝王は難なくそれらの魔法を避けて、こちらへと走っていく。
そして、剣と帝王の剣がカキーンと混じり合う。
「………それ、使って良かったんか?それ、一応、古代文明の魔法具と言うことになっているはずやけど?」
「仕方がないだろ?それ以外、俺を守るものがないんだよ」
「こちらとしては非常に困るわけなんやけどな。あんたの剣って、断罪天使に豆腐のように斬られるので有名やろ?オレにかかったら、音もなくスパンとか洒落にならへんやん」
「俺の剣を豆腐並強度みたいなことを言ってくださるな。俺の剣だって、ちゃんと頑張っているんだから」
俺はそう叫んで、左手に仕込んでおいた魔法陣を発動させる。すると、左手がやけどを負ったような痛みに襲われるが、今は気にしている余裕はない。
「……うわっ」
帝王は突然の攻撃に驚いたようで、横へと避け、俺が出した火の玉を避ける。避けられることなど分かっていた。
俺は右手に持った剣で、やけどを負った左手を切り付け、帝王が怯んだ一瞬を見逃さず、一撃を喰らわす。最近、唯一の俺の直接攻撃方法となりつつあり、しかも十分すぎる威力もある。
その威力は鏡の中の支配者や黒龍さんの骨を折ってしまうほどである。
とは言え、帝王は剣でどうにかガードしたようで、あまり威力を与えることはできなかったようである。その反応には流石としか言いようがない。
帝王はやられっ放しでいるつもりはないようで、蹴りをお見舞いしてくるので、俺は間一髪で避けるが、立て続けに剣で斬り付けて来たのは避けきることができず、左手に痛みが走る。
「………っつう」
その痛みの所為で、思わず、剣を落とすと、彼は俺の首筋に剣を当てる。
「観念しいや。俺とあんたとは経験も実力も天と地ほどあるんや。これ以上の無駄な足掻きはやめときな。痛い目を見るだけや」
確かに、その通りだ。魔法を十分に使うことが出来ないこの条件下で、負けても仕方ないことかもしれない。だが、あいつの想いを伝えることもせず、負けることなど出来ない。
あいつの想いだけ伝えなければ……。
「………確かに、あんたの言う通りだ。だが、俺達は諦めが悪いんでな。負けると分かっていても、やらなくちゃいけないんだ」
青い鳥が後悔しないために。何よりも、俺が後悔しないためにも。
「………何で、あんたはそんなことをする?彼女がどうとか。はっきり言って、あんたらのやっていることは偽善や。自己満足や。俺は彼女に、あんたと会いたくわなかった。彼女と二度と会わないことがオレの望みやったのに、どうしてあんたはその邪魔をするんや?」
青い鳥のしていることの完全の拒絶。彼は言ってはいけないことを言ってしまった。
お前こそ、何勘違いしている?苦しんでいるのはお前だけじゃない。あいつも自分の境遇に苦しんで、苦しんで、しかも、抱え来なくていいことまで抱え込んで苦しんでいる、救いようもない馬鹿だ。
それでも、たくさんの人が幸せになって欲しくて、動いている自己中心娘だ。
偽善?自己満足?確かに、こいつに対してしっくりくる言葉は他にない。まだ、あいつを偽善、自己満足呼ばわりするのはまだ許せる。
だが、二度と会いたくはなかった。その言葉はあいつの苦悩を否定する言葉そのものだ。
あいつはあんたに会っていいのか、悩んで、悩んだ末に出した決断だ。それなのに……、それを逢いたかった相手に否定されて、傷つくのは他ならない青い鳥だ。あんたはそれを分かっているのか?
「………あんたは何を言っているのか、自分で分かっているのか?」
俺はそんな言葉、あんたの口から聞きたくはなかった。
「あいつは何も言ってこないけれども、お前やトニーやカレンを置いてくるような形で残してきて、一番後悔していたのは他ならぬあいつだ。あいつは俺の村に来たばっかりの表情はどこか憂鬱そうな様子を浮かべていたよ。その時の俺はあいつの気持ちが分からなかったが、今なら痛いくらいに分かる。あいつはあんたらが元気でやっているか心配だったんだろうな。あいつは再生人形やあんたらを犠牲にして、平和を掴んでしまったと思っている。だから、あいつはどうしてもあんたらを助けたかった。再生人形を助けた時、あいつはこう思ったのだろう。今度はあんたらを助けにいかない、と。確かに、それは偽善や自己満足と言うのかもしれないが、あいつの想いは本物だと思う」
あいつが彼らを助けたい。そう思うなら、偽善だろうと、自己満足だろうと構わない。俺は喜んで青い鳥の手伝いをするつもりだ。
「だから、あんたがあいつの想いを否定することだけは許すわけにはいかない!!」
俺はあいつの想いを証明しなければならない。だから、応えてくれ。
俺が魔法陣を描き始めると、帝王は先ほど、青い鳥弐号を縛った鎖が現れ、俺の四肢の自由を奪おうとする。だが、これだけはやめられない。例え、指一本が動かなくなるまで動かし続ける。
その時、俺の声に応えてくれたのか、ヒヒーンと鳴き声が響く。その方向を見ると、遠くに姿を隠していたはずの青い鳥弐号が帝王へと体当たりをかます。
「………っくう」
その瞬間、帝王はバランスを崩し、尻もちをついた時、俺を縛っていた鎖が消える。だが、その代わりに、青い鳥弐号の身体に鎖が巻き付き、青い鳥弐号が苦しそうに鳴いてくる。
その瞬間、俺の魔法が発動する。青い鳥弐号、ありがとう。レイモンドさんの言う通りお前ほど格好いい英雄はいない。
だから、もう少しだけ頑張ってくれ。お前の身体を自由にしてやるから………。
次の瞬間、青い鳥弐号を縛っていた鎖は消える。どうやら、この一帯に魔法が掛かったみたいである。俺は下に落ちている剣を拾う。
一方、帝王は青い鳥弐号を縛っていた鎖が突然消えた為、驚愕の表情を浮かべる。
「確かに、あんたがどんな地獄を体験したかなんて、普通に暮らしていた俺が分かるはずがない。だがな、あいつだって、苦しんでいた。何も見えない闇の中でな」
「………どういうことや、それは」
「あいつは先天的か、後天的か知らないが、あいつの目には魔力しか映らない。おそらく、あいつは俺やあんたの顔なんて分からないだろうな」
俺の告白に、帝王は目を見開く。
「そんなの嘘や。そんなことあってたまるか」
「俺も否定したいところだが、そこは事実だ。それは本人も認めている。あいつはそんな絶望的状況でも諦めることはなかった。それでも、自分にできることはあると」
だから、俺が諦めてはいけないのだ。かつて、あいつは暗闇の中にいても、希望を捨てなかったのだから………。
俺は持っていた剣で斬りつけようとすると、彼も応戦する。さっきは彼の圧倒的な実力差で押されていたと言うのに、今は互角どころか、俺が圧倒している。
もしかしたら、この魔法のお陰なのかもしれないが、この際、どうでもいい。
一方、彼は思い通りに実力を出せないのか、もしくは、俺の剣の腕が確実に上がっているからなのか、焦ったような表情を見せる。
彼の焦りに、今まで隙を見せなかった彼に隙が生まれる。一筋の小機を見逃すはずがない。
俺はその隙を突き、彼の剣を弾く。そして、彼の首筋に剣をあてる。
「だから、あんたもどんな暗闇に負けることは許されない。あんたが闇に負けたら、間違いなく、あいつは悲しむだろうから」
おそらく、あいつはどんな時でも、彼に打ち勝ってほしかったに違いない。どんな辛いことがあっても、彼なら、打ち勝てるとあいつは信じているから。