雪に舞うアルビレオ
『今夜、星を見に行こうよ!』
突然、幼なじみの恵美からお誘いを受けてしまった。僕は目を擦りながらリビングへと向かい、親に望遠鏡はないかとぶっきらぼうに尋ねる。
「恵美ちゃんと見に行くのねぇ」
「もうデートする年齢に来たか。やっぱり恵美ちゃんと付き合うんだなあ」
しみじみと思う両親は望遠鏡を探さず昔話を始める。
「小学校の頃からずっと一緒だったものね」
「下校も一緒だったしな。近所の犬が吠えて、恵美ちゃんが泣いてしまった時、助けてたのはお前だったもんな。恵美ちゃんを守る盾となって、後ずさりしながら犬のいる家を通っていたもんな。見ていたぞ」
なんで見ているんだ。しかもなぜ覚えている。
「勉強会もここに来てやってたものね。お菓子を持っていく度に、恵美ちゃんが満面の笑みを浮かべてあなたと話していたし……」
「もう冷やかさなくていいから。それで、望遠鏡は?」
「ないぞ」
一言で返された。結局は無いのか。急に昔話を始めたのは誤魔化すためだったのだろうか。
落胆していた直後、携帯の着信が鳴る。
恵美からだった。
『もう準備出来たー?』
「いや、まだだけど。悪いけど、望遠鏡は僕の家には無いぞ」
『いいよ~、二人きりで見れるなら!』
「……」
よくそんな元気そうに言えるもんだ。表情は見えないが、きっと太陽のようにまぶしい笑顔で返したのだろう。
『どうしたの?』
「……いや、じゃあすぐお前ん家行くから」
『把握で~す』
通話を切る。すぐに部屋に戻って、カバンを準備して、ダウンジャケットを着ながら現在の時刻を見る。九時過ぎ。あまり遅くなると恵美の両親にも悪いし、一時間くらいで帰ろう。寒いし。
すぐに玄関へ向かい、スニーカーを履いて、寒い暗闇の世界へと足を運ぶ。
◇ ◇ ◇
親に茶化された時には何も言わなかったが、僕らは付き合っている。先週一周年を迎えた。
先週といえば、バレンタインデーだ。僕は恵美と付き合う事にしたのだ。
付き合う前の僕に、恵美は「痛い人間だよね」とからかっていた。確かに僕は痛かったかもしれない。恵美が彼女となる前、なんだか彼女の存在にイライラしていた。小学生の頃は数少ない友だちとして思っていたはずなのに、いつの間にか恵美の存在を意識していて、恋に落ちていたのかもしれない。だが、素直な気持ちになれず、誰とも付き合わない、彼女とか邪魔だ、普通に過ごしていたいなどと考えていた。
そしてバレンタインの日、初めて僕はキスをしたのだ。相手はもちろん恵美。バレンタインのチョコなんて欲しくないと考えていた帰り道、突然恵美がコンビニへと向かって行き、一口チョコを買ってきたのだ。しかし手で渡さず、恵美はチョコを口に入れて、そのまま僕とキスをしてチョコをあげたのだ。今思い出しても、お湯が沸騰するくらい恥ずかしいし、あの時感じた柔らかさを想像してしまう。
『恋愛に興味が無いのなら、これからも一緒にいてくれるといいな』
恵美は顔を赤らめ、精一杯の告白をしてくれた。人生初めての告白だった。今まで恵美からチョコをもらったことも無かったし、バレンタインには興味が無いのかと思っていた。そのせいでもイライラをしていたのかは自分では分からない。今は心にモヤモヤしたものは無いからもう考えなくてもいいのだが。
そして、断る理由もなく付き合う事にしたのだが、今までと大して変わらない日常を送っていた。デートする回数は増えたが、あれからキスという好意をしていない。手も数回程度しか繋いでいない気がする。この一年間何をやってきたのか。
来週は卒業式。いつのまにか大学も決まり、恵美は専門学校へと進路は決まり、卒業したら同じ学校へ行かなくなる。会う回数も減る。それは仕方ないことだろうけど、小さなころからくっついてきた恵美が突然いなくなると思うと寂しく感じてしまう。
◇ ◇ ◇
「あ、やっときたぁ!」
ごちゃごちゃと悩んでいると子猫のように高く甘い声が聴こえてきた。
「よ、よお」
家の門の前で恵美が待っていた。寒いのでもちろん厚着をしていて、赤い手袋に朱色と白のチェックのマフラーを巻いていた。肩より下まで伸ばしていた綺麗な黒髪はそのままおろし、小さなリボン付きの赤いカチューシャをしていた。
「さ、いこー!」
幼なじみの大声は夜の闇に消えていき、高くあげた拳は星空に向かって伸びる。
「あれ、恵美の親は?」
「え、なんで?」
「なんでって……」
あれ? 車に乗って山に行くのではないのか? だから恵美の親にも迷惑をかけないように早めに来て行こうと思ったのだが。
「中央公園から見るんだよ?」
「歩いて五分の場所じゃねえか」
「楽でいいじゃん! 田舎なんだし、けっこう綺麗に見えるんだよ?」
「まあそうだけど」
「それじゃあ、レッツゴー!」
「元気だなあ――って」
掛け声の後、恵美が横に並んで僕の腕に絡んできた。
「こ-してるとあったかいよ!」
ダウンジャケットも空気で冷えているはずだが、まああったかいのなら……。僕もなんかあったかいしな。心が。
「そういやずっと思ってたけど」
「ん?」
「今日雪降るんじゃなかった?」
「…………降らないよ?」
「なんだその微妙な間は」
「間なんてないよ」
と笑いながらギュッと腕をさらに強く絡める。
「どうみても雲がかかり始めてるような」
「大丈夫だよぉ、あなたは心配性だなぁ」
普通の恵美の喋り方だが、はぐらかしているみたいだ。何を隠しているんだ。
「私、アルビレオってのを見たいんだぁ」
「なんだそれ」
突然恵美が何かの話題を始めた。星か?
「二重星っていう二つの星が重なって見える星らしいよ。はくちょう座の口のところにあるんだ!」
「へえ、アルビレオって名前があったんだな」
ん、はくちょう座? あれって夏の星座じゃなかったか? デネブ、アルタイル、ベガで有名な夏の大三角ではくちょう座の名前を聞いた気がする。二月に見ることができるのか?
「はくちょう座のアルビレオは銀河鉄道の夜っていう作品にも出てきているんだよ」
「あの夏目漱石の?」
「宮沢賢治の作品なんだけれど、ジョバンニがカムパネルラと汽車に乗って宇宙を旅するんだよ」
作者間違えて覚えていたのをスルーしてくれた。
「白鳥駅って言うのがあるんだけど、そこにいるサギは確かお菓子のように甘くて美味しいんだって!」
「ふーん」
突然、合っているのかどうか分からない文学作品についての蘊蓄を語り始めた。恵美って本を読むのか? 文学少女って感じとは言えるほど本は読まなかったような。そういう僕も本はあまり読まなかったけれど。
「で、そこでアルビレオが出てくるんだけど、回って動いているその二つの星をサファイアとトパーズとして書いてあって――」
けっこう話が長い。
「それにしても」
興味をあまり示していないと察したのか、恵美は話題を切り替える。
「あなたと星を見に行けるなんて嬉しいな」
「そ、そっか」
「夏祭り行った時は明るすぎて星が見えづらかったけれど、打ち上げ花火は夏の星のようで綺麗だったよぉ」
「そうだな」
「なんかそっけなーい。ちゃんと楽しく聞いてよね!」
ぶぅっと頬を膨らませる恵美。拗ねてるところもかわいいなというセリフは恥ずかしくて言えない。僕のキャラじゃない。
「は、恥ずかしいんだよ……」
「へへっ、照れてるんだぁ」
「うるせー」
「えへへっ」
はにかみながらニコニコとしている顔を僕に向けてくる恵美にドキッとしながら公園に続く橋を渡る。
◇ ◇ ◇
公園は住宅街の北に位置している。遊具とかは無いが、芝生が広がり、子供から大人まで楽しめるように散歩コースがあったり、バスケットゴールやサッカーゴールがある。土曜日にはサッカークラブに所属している子供たちが集まって練習をしていたりする。なかなか広いためサッカーもやりやすいだろう。
僕と恵美は芝生のグラウンドの周りにある散歩道を通り、公園の北にある小高い丘にある屋根付きのベンチに腰を下ろした。
空を見上げると、やはり厚い雲が星空を隠してしまっていた。
「これじゃ星は見れないな……」
「ま、まだ粘るもん!」
拳を高く突き上げてまだまだ声を張り上げる恵美。
「もうけっこう寒くなってるし帰った方が――」
「これを楽しみに来たんだから!」
「……え?」
この曇り空の何を楽しみにしているのか。もしかして晴れるまで待つというのか。
「風邪引くぞ」
「子供は風の子って言うでしょ?」
「そんな年齢じゃないだろ」
「じゃあ、馬鹿は風邪引かない!」
「自分を馬鹿って言ってるぞ」
「あ、そうだね」
えへへと、舌を出して笑う恵美。ホントにこいつは変だ。
「でも、もう少し待って、お願い」
「お、おう」
なぜこんなにも懇願しているのか理解できないが、人と少しズレているというか何というか……、まあそんなやつだからいちいち気にしていても仕方ない。素直に待つことにした。
そして待つこと数十分。
「くしゅんっ」
ほら、言わんこっちゃない。何も言わず僕はカバンからポケットティッシュを出して彼女に差し出した。ありがと~、と彼女は手袋を付けたまま紙を出して鼻をかむ。
「鼻かんでるとこ見てないよね?」
「見る訳ないだろ」
「またそっけないこと言ってー……、ホントは見たんでしょ」
「……帰るぞ」
「ごめんなさーい!」
泣きつくように僕にギュッとしてきて、うわあーっと声を出しながらすり寄ってくる。
その時、チラチラと白いものが空から降ってきた。
雪だ。
「ついに降ってきたか……」
「ふぇ?」
はっきりとしない声を出して、恵美は僕の言葉に反応して、空を見上げた。
「ゆ、雪だぁっ!」
突然目を輝かせたと思うとすぐに立ち上がって、ダッシュで公園のグランドの方へ走っていった。
「あいつはまだ子供か……あいつらしいけど」
僕も恵美の後を追う。
天気予報通りに雪が降ってきた。降らない降らないと否定的だったはずの恵美が犬のように駆け回る。
「やっぱり雪はテンション上がるよねぇ」
「そうだな」
「うーん、でもなぁ」
「……?」
「星には見えなかったかぁ」
くるくるとその場で回りながら、恵美は何か不満を漏らした。
「雪なんだから見える訳ないだろ」
「むぅ、あなたはもっとメルヘンチックな心を持った方がいいよ」
「うるさいな」
頬を膨らます姿を見て、何がしたいのかよく分からず、僕はため息を出さずにはいられなかった。
「さっきの話を思い出してよ……」
今さっきまでのテンションとは違い、急にしんみりとした声で恵美が言った。
さっきの話? なにを話してたっけ? 昔の話とか、
「アルビレオ?」
「そーだよ!」
「なんで?」
「もう、鈍いなあ――それっ」
もどかしくなったのか恵美は僕の手を取り、引っ張り出した。
「急になんなんだ」
「踊るの!」
強引にも恵美は雪が降る中で僕の手を引きながらステップをしてくるくると回る。気分屋だなあ。どうして急に踊り出し始めたのか。
「あなたの誕生月は?」
恵美が言った。
「なんだよ急に……九月だけど」
「私は十一月! 誕生石! 私はトパーズであなたはサファイア! これは運命を感じるしかないよ!」
「つまりどういうことだ?」
「宮沢賢治の話! アルビレオはサファイアとトパーズで表して書いてるって言ったでしょ」
「そういや、言ってたな――ああ、僕たちがアルビレオのように回っていると?」
正解! というように恵美は太陽のようにまぶしい笑顔を見せてくれた。
「雪が宇宙の星のように見えないかなあ、なんて思ったんだよねぇ」
「恵美らしい考えだな」
「それほどでもあるよ~」
……。
恵美はどこか周りとは違う発想をするんだよな。バレンタインの時なんか、普通は甘いチョコを渡す癖に、間違えたのかビターチョコを僕に渡すし、考えが良く分からん。でも、そういう一面も恵美らしくて好きだ。
しかし、その恵美と会う機会が卒業すれば減ってしまう。昔のような思い出とかできないかもしれない。それなら――
「それなら、アルビレオのように重なりあわなくちゃダメだろ?」
「ふぇ? あっ――」
冷たい。でも柔らかい。一年ぶりに感じたこの気持ちはやっぱり温かかった。
そうだ、今からどんどん思い出を作れるように計画をしていけばいい。今の一瞬を大事に思えるように。雪が溶けて消えてしまう前に、白い世界を魅せるように。この一瞬の世界を大事にしていけばいいんだ。そして、これからも。
「誘ってくれてありがとな。今度はちゃんとはくちょう座見ようぜ。夏になったらな」
これからもずっと一緒にいたい。しばらく会えなくなっても寂しくならないように、触れられる時にたくさん触れ合えるように。そうすれば夏までだって待てるさ、きっと。
「う、うん……えっと……」
「どうした?」
「も、もっと……」
恵美からのお誘い。
「――恥ずかしい」
「ここで恥ずかしがっちゃうの!? もぅ」
もう一度してあげた後、たくさん雪が降ってきたため、恵美を早く帰してあげた。途中鼻水を垂らしたりと、子供っぽさが見れてなんだか面白かった。昔に戻ったようで。いつも楽しく遊んでいたような日常。今日はそれ以上のこともしたけれど、やっぱり昔とは変わらない。星のように無数にあるこの雪の中で、アルビレオのように周り重なり合う事で、僕の不安はいつの間にか消えていた。
雪の中で舞うアルビレオで再確認できたのかもしれない。
恵美とは離れたりはしない、昔のようにずっと一緒に、これからも。