表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者の宝石  作者: jorotama
2/7

魔王の森

 周囲に広がるのは深い森。

 それは、この世界において最も安全で最も呪われた場所と呼ばれる魔王の森だ。

 かつて世に恐怖と絶望をもたらした魔王の居城跡を囲むこの森は、三勇者によって魔王アーネスが討ち取られた後、徹底的に魔物の討伐と浄化が行われた場所だった。

 森の中、開けた空き地にぽつり、橙色の焚き火が一つ。傍には二人の若い男の姿があった。

 ともしたての焚き火の中、背の高い焦げ茶の髪の青年が細い薪の欠片を放り込む。木片はカラリと音を立て、焚き火から細かな火の粉を飛び散らせた。


「すっかり日が落ちてしまいましたねクライフ様」


 炎から空き地に覆い被さる木の葉の茂りを透かし見れば、遠く霞む稜線は未だ落日の名残は残しつつ闇へ没しようとしている。残照の届かぬ森の中、周囲を取り囲むのは既に夜闇。月明かりだけが微か、月の木漏れ日となって青白く地面を照らしていた。


「ああ……しかしここまで来ておきながら、今夜はここで野営か……」


 荷物の上に腰を下ろし眉間に皺を寄せ呟いたのは、炎の中に薪を放り込んだ騎兵よりいくぶん歳下。たき火の明かりに照らされる癖のない金茶の髪の持ち主は、まだ少年と呼べるほどに若い顔。

 二人は共にロドリア王国の騎兵の姿をしていたが、もしここに見る目のある者があれば、彼らの身に着ける鎖帷子が騎兵に支給される物とは違うことに気付いたかもしれない。

 彼らが着けるのは騎兵の鋼線製よりも軽くて強靭、しかも魔法への耐性にも優れたミスリル線製。腰にく剣もまた、ミスリルや魔鋼鉄などの希少な素材をふんだんに使用した業物だ。当然ながらいずれも非常に高価な物であり、一般兵が持てる代物ではない。 


「もどかしいな……こんな時に」


 胸の底から苦い溜息を吐き出しながら、クライフは固く己の手を握りしめた。手のひらには腰の剣帯に下がる武器にふさわしく硬い剣タコ。だが彼の爪は兵士を名乗るには過ぎるほど綺麗に手入れされ、手肌に荒れは一つもない。


こんな時だから(・・・・・・・)です。こんな夜に突っ込むなんて無謀をしていただくわけには行きませんよ。……王子に何かあっては老王に申し訳が立ちませんからね」

「ああ……ライ。分かってるさ」


 この会話の表す通り金茶の髪の年若い青年クライフは三勇者の一人、ロドリア王国の老王レンスの血を継ぐ者。ライと呼ばれた黒髪の青年は、クライフ王子の幼馴染みにして王族の護衛たる近衛の一員だった。


「……理解わかってはいるんだ。だけど、でも───」


 宝石の勇者、魔剣士ダグダスにかけられた呪いを解き人の姿へ戻す。……それは彼らに救われた人々の望みであると同時、三勇者の一人ロドリア王国の王であるレンス老王の悲願でもある。


 魔王の討伐後、三勇者の一人のシャイアはもちろん、魔王城跡の探索は王国の兵や魔剣士ダグダスの呪いからの解放を望む人々の手によって幾度も行われている。

 この場所からこれまでに解呪の方法は見つけられていないことはクライフも承知。ただひとえ、もしも万が一の奇跡を望み藁をも掴む気持ちだけを持ち、彼らは魔王城へ向かおうとしていた。

 ここから魔王城まではさほどの距離もなく、無理をすればこの夜の間にもたどり着くことが出来るだろう。だが、いくら浄化された場所とは言え暗闇の中に騎獣を駆って森を進むなどまともな判断のある人間がすることでは無い。また、真夜中に魔王城に到着してところで、暗闇の中の探索ではもしも万が一の奇跡(・・・・・・・・・)があっても見つけ出すことはできないだろう。

 そしてその僥倖に出会えるなどとは実のところ、クライフにしても信じていない。ただ老王の心中の想いを知る彼は城の中、座して()を待っていることが出来ず、人目を盗み、幼馴染のライの手を借り城内を抜け出しこの森まで騎獣を駆った。


 レンス老王は魔剣士ダグダスの呪いからの解放を誰よりも……誰よりも望んでいる。だが、魔剣士ダグダスの恋人でもあったハイエルフのシャイアは未だに戻らない。解呪のすべを探し世界を渡る旅路にある彼女からの最後の便りは、すでに幾年も前の物。

 ロドリアの国内はもとより魔王の侵攻から辛くも逃れた周辺国家、魔王と長きに渡り戦い続け滅亡に追い込まれた魔導王国の生き残りたる魔法使いや神聖魔法の使い手達らが招集されるも、彼らの解呪も浄化も魔王の呪いを打ち砕くことは出来なかった。

 このままでは……と、焦る気持ちを抑えきれず、クライフはこの森までやって来た。


 魔王の森は世界で一番清浄で安全と言われる森だ。クライフのこの短い旅へ同行した幼馴染のライからすれば、恐らくこれが最大限の譲歩だろう。シャイアのように国を跨ぎ海を越えても呪いを解く方法を見つけに行きたいクライフだが、彼は末席なれど王位継承権を持つ者。立場がそれを許さなかった。


 もし魔王の城跡で呪いを解く方策が見つけられなければ……おじい様は……。


 パチパチと小さく火の粉を爆ぜさせる橙色の炎を睨み付けていたクライフと、そんな幼馴染の様子を気遣わしく見ていたライの耳が何者かが下草を踏む音を捉えた。

 魔王の森に魔物はいない。大型の獣も魔物と共に殆どが駆逐されている。

 焚き火の灯る空き地からやや離れた樹間、そのにあるのは人の気配。


「誰だ……!?」


 誰何すいかの声を発したのはライだった。

 かろうじて炎の明かりが届くほどの距離、藪の裏からカサと僅かに音を立て光の中に差し伸ばされたのは、白くて細い女の手。


「怪しい者ではございません」


 涼やかにして玲瓏。若く明澄な女の声が誰何に応え、くぐり抜けるに邪魔な葉や枝を押しやりながら二人の前に姿を現したのは、幾らかの荷を持ち旅装に身を包む一人の女だった。


「森の中で日も暮れていまし野営の仕度をしようかと言うところ、こちらから炎の明かりが見えまして……。もしお許しいただけるならご一緒させてもらえないかと」


 既に空の残照は稜線の彼方。夜の帳が森を覆い、空を照らす月も細い弓の形では森の中では手元すら見えない時刻。

 二人の前、現れた女はほっそりと華奢な体躯。この時期の旅装として一般的なフード付きのマントの隙間から伺い知れる限り、まだかなり若い女のようだった。


「クライフ様、いかがいたしますか」


 クライフにしろライにしろ、まがりなりにも騎兵を騙って差支えない程には鍛えられた身体を持つ男。その身には上質な防具を纏い武具を装備してもいる。対するは華奢な体躯の女一人。その気配には敵意や害意の類は感じられない。装いの旅慣れた様子から察するに、護身の術の一つ二つ持つのだろうが、二人対一。むしろ場合によってはその身を危険に晒すのはこの女の方とも言える。


「構わないよ。女性をこんな森の中、一人きりで夜明かしさせるなんて出来ないからね」


 ……とのクライフの返答は、ライにとっては予想に違わぬものだった。

 もしも彼が上位の王位継承権持ちで王国の王族らが継承を巡って血で血を洗う争いでもしていたのなら、この女を暗殺者かと疑っただろうが、現在のロドリア王国にそんな殺伐とした状況は無い。

 魔王の森は安全な森。周辺の治安も良く、山賊の類の根城などもこの森にはありはしない。疑えるのは単体の物盗ものとり程度だ。仮にもしそうであっても二人がコソ泥に遅れをとることはない……とはライの判断だが、恐らくクライフも同様の判断のもと、女一人を夜の森に放り出す事を嫌いそのように決めたのだろう。


「ありがとうございます。……馴れた森とは言え、心細かったので助かりますわ」


 彼らの胸の裡を知ってか知らずか、女は二人に頭を下げて礼の言葉を口にした。声にはそのげんに違わずほっとした色が滲んでいるように聞こえる。

 頭を上げ下げするうちに頭部を覆うフードがずり上がったのか、さっきまでは口許と鼻先しか伺えなかった女の顔が女がたき火に近づくにつれその明かりに照らされて二人の目に入った。

 暗色のフードから零れるのは白金の絹糸髪。滑らかな白肌の卵型の輪郭の中、淡い色の唇はふんわりと柔らかな甘い稜線を描き、長い睫に縁どられた目もと涼やか。……ひどく美しい娘だった。


 ……まさか、クライフ様の素性を承知で側妻の座でも狙っているんじゃないだろうな。


 とは、ライの抱いた危惧だったが、当のクライフは炎の側に座を占めた女の容貌に驚きつつも彼とは別の危惧を抱いたらしかった。


「この場に招いた人間の言う言葉じゃないけれど、貴女のように綺麗な娘がこんな夜更けにこのような男所帯の野営を訪れるなんて……感心出来ないな」


 馴れた様子で手荷物から腰を下ろすための敷物と水袋などを取り出す娘の挙動を見守りながら、クライフは渋い表情をしていた。炎を挟んで向かい側、女の表に悪戯いたずらな色が浮かぶ。


「ご心配いただいて嬉しいですけど、多少は腕に覚えもありますし」


 すっぽりと身を覆っていたフード付きの外套の前をはだけ、女の繊手せんしゅが二人に見えるようにゆっくりと腰に吊るしていた短剣を取り出した。利き手とは逆の地面へ鞘ごとそれを置いたのは、自分には二人に対する害意が無いと示すためだろう。

 それを理解したクライフの表情がさっきよりも曇ったのは、自分の武器を手放した彼女が完全に無防備な状態となってしまったせいだった。

 これではもしここにいるのが無頼な輩だったのなら、無体を働かれても抵抗が出来ないのだ。なぜそんな真似をと視線を向けた先で娘は小首を傾げて笑みを浮かべた。


「それに、あなたのように高貴な方がこんな素性の知れない娘相手におかしな真似なんてし?ませんでしょう? ……クライフ王子」

「っ……お前、なぜそれを……っ!」


 女の言葉に真っ先に反応したのはライだった。その手は剣帯に吊るされた剣の柄を握り、すでに刃の半ばまでが引き抜かれている。クライフも剣の柄に手を添えていつでも動けるように腰を浮かせた中腰の姿勢。……だが、この反応にあっけに取られたのは女の方だったようだ。

 緑の瞳の周りの炎の色に染まる長い睫を瞬かせ、驚きも顕わに小さな声で呟いた。


「まさか……本当にクライフ王子だったんですか」


 と。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ