8.
「ねえ。何か怒ってるの?」
控えめな声で、いかにもおそるおそると言った具合だったが、カルシィが聞いたのには確信があった。
ねえ、何を怒っているの?と聞いてもいいほどに。でも聞けなかったのはカルシィは、ロゼンが少し怖いからだ。
十五歳で、もうすぐやってくる誕生日で十六歳になるというカルシアランーーーカルシィは小柄な少年で、風貌も少女のように優しかった。
優しいと言えば綺麗だった。
けれど、別の言い方をしたら、儚い、病弱で弱々しいーーーこんな言葉でもカルシィの場合、当てはまってしまうような優しさも、弱々しさも合わせ持ち合わせる少年だった。
生まれてこの方、日焼けなどはしたことがないような白い肌をしていた。
銀色のような白い髪は長めに細い肩まで届いて揺れる。
細くて小柄で強い風でも吹いたら、びゅうと飛ばされてしまいそうな花びらの印象があったが、唯一裏切っているものがあるとすれば、大きめな灰青色の瞳だった。
声は怯えているように小さくても、瞳は相手をひたりと見据えていた。
小さな嘘、感情の揺れだって見逃さないように。
ロゼンの身長の前では、カルシィなどせいぜい、胸の位置だった。
ロゼンにとって振り向いたら、顔ではなくまず頭の天辺とご対面をしなくてはならないほどの小柄なカルシィだったが、ロゼンの癇にはとても大きく障っていた。
小さくて可愛い。
同性のほんの数歳若いだけの少年にたいしてのコメントではなかったが、またロゼンの場合、性格的にそういう思いは表に出すこともなかったが、実際、カルシィにロゼンが感じているのはそんな思いだった。
小っこくて弱々しくてーーーなんだか自分とは別の生き物。
現実に自分とは違ってもいると知っているのだが、それは理屈を越えたところで心が惹かれてしまう類の生き物のようだった。
簡単に言うならちっこい栗鼠や兎のようなのが、大きな目で自分を見上げて、怒っているの、と首を傾げて不安そうに尋ねてくるーーーそんな感じだった。なぜか無視できない。捕まえようとしたら逃げるくせに。そんなまだるっこしい感じだった。
ロゼンが返事をしないでいるといつまでも足元をちょろちょろしてしつこいので、苛ついてきた。
ため息ついでに、歩みを止めたロゼンがカルシィを改めて見下ろしていた。
見下ろしているとロゼンは次第に、もっと腹立ってくる。
思わず、チッ、と舌打ちをしてしまった。
「ほら! やっぱり、怒ってるんだよね!・・・ねえ、どうして・・・?」
カルシィの声は澄んで高い。まるで少女だった。
「おまえに関係ない」
こちらは低くわざとドスを利かせて、ロゼンはにべもなかった。
でもそんな言葉で信じられるものは、よほどおめでたいか、大物だろう。
どちらでもないのでカルシィは信じられなかった。
「ねえ、ほんとうに?・・・嘘だぁ〜」
「ったく嘘じゃねえ! 怒っていないって言ってんだろっ!」
「そうなの?」
首が傾げられて、それで納得して一瞬話は終わったかのように思われたが
「じゃあね、話してよ、怒ってないなら!そりゃあ、わたしは、へちょこだし・・・力になれないかもしれないけど、でもね、悩んでいるときは誰かに話したらきっと気分が楽になるものだよ!」
さりげなく明るい声は、提案にすり替わりながら話は続いた。
端から見たら、大人と子供ほどの体格差がある二人だった。
体つきだけではない。その他にも、出で立ちも容姿とも白っぽいカルシィとロゼンは見事に対になっていた。
青年男子として十分に長身の部類というロゼンは、少し癖のある髪は黒色、上着も下衣も肩の荷袋もすべて、自由意思で黒を選んでいた。
肌だけは北方の生まれの人々のように日焼けも少なく意外に白っぽかったが、選び取ってる黒色に相応しい眼力を備えた両の眼が相手を威嚇するように睨んでいた。
ロゼンの顔立ちは精悍な男前だったが、この男に商売であっても、声をかける女は少ないだろうと容易に想像がついた。
カルシィに言わせればもう少し屈託なく、「黒豹みたいなふてぶてしくて可愛くない!」と唇を尖らせるのだろうが、有り体に言って、ロゼンはガラが悪かった。
それでも年齢としてはまだ十八歳。
世間に大人扱いを求めるには少々早い歳で、客観的に年相応に十分に子供要素がってもおかしくないロゼンなので、ロゼンの気分を無視して繰り返されているカルシィのしつこく、小生意気な言葉にこれ以上感情を隠せなくなっていた。
もう隠さなかった。
「うるせえ!」と返していた。
びくっと大きな瞳が震えた。
「・・・ひどいよ。それ・・・」
当然、ロゼンを見上げていた真剣な顔が悲しげに歪んだ。
「そんな態度は、ないはずだよ?・・・」
とても悲しそうに。
だからロゼンは腹が立つ。まるでこっちがこいつを苛めているみたいだ。
「はあん、ふざけんじゃねえ! おまえに話したら気分が楽になるって?———ならねえよ、まったくこれっぽっちも、な!これは、そんな単純なことじゃねえんだよっ」
ロゼンは物騒に凄んで、野生の大型獣の威嚇のような迫力のまえに、小動物なカルシィは首を竦めて立ちつくした。
けれど、諦めたりはしなかった。
「・・・そんなに難しくて、大変なことがあるなら・・・わたしにも話してほしいよ?・・・いっしょにいるのになんにも知らされていないのって嫌だよ・・・」
怒っているし、怖いので、ロゼンの目を見ることは出来なかったけれどカルシィもずっと気になっていたことで、簡単には引き下がれなかった。
ロゼンとカルシィは、二人で旅をしているというのに。
まだ二人は出会って数日で、よく知らない相手のままだったけれど、見渡す限り人気がない街道で、野原と緑の茂み、なだらかな草地の向こうには雑木林が広がっているのが見えるというだだっ広い世界だった。
街の屋敷の一室のしかもベッドでこれまでの大半の人生を暮らしてきたカルシィにとって、まだ頭上を占める晴れ渡った青空は、綺麗な光景と見入る余裕はなくただ不安を誘う材料だった。
ふらふらで死にかけているような自分には、自分でまったく自信がない。
それなのにこんなところに自分は居る。
カルシィが今、頼りにできるのは目の前にいるこの怒っている男だけ、道連れのロゼンだけなのだ。
機嫌が悪いと不安でたまらなかった。
こんな見渡す限りベッドもないところに一人置いて行かれてしまったら自分はどうなるのだろうと考えてしまうのだ。
そんなことはされないと思いたいけど、ロゼンはこのところずっと不機嫌だった。まともにカルシィと話をしようともしない。
もしかして後悔しているんだろうか。
もしも自分に対して、何かを怒っていてそれが直せるものならすぐに直すようにするから、どんどん口に出して言ってほしいのだ。