67.
「では、部屋の方に運びますので」
トランザがメルヴィアを抱き上げたまま歩き出す。
「セラン、メルヴィアをよろしく頼む」
レネドがセランダータに声を掛ける。
カルシィは気付いていなかったけれど、集まっている中で一人、とても強張った表情をしていたセランダータが、レネドに一瞬何か言い返したそうにした。でも、わかったと素直に応じてトランザと共に戻っていった。
メルヴィアと一緒に里の他の者たちも去ってゆき、残ったのは呆然と成り行きを見守っていたカルシィと、レネド、そして少し離れてロゼンとアビールだった。
メルヴィアがいなくなって、カルシィはほっと一つ息を吐いた。
その拍子にお尻が地面に落ちて、ぺたっと座り込んでいた。
力が抜けた。
「大丈夫か?」
レネドがカルシィの前に膝を折って様子を窺ったが、自分でも大丈夫かどうかよくわからないので返事ができないでいると、「大丈夫そうだ」と断言された。
思わず視線を上げたカルシィをレネドが迎えた。
「大丈夫だな?」
もう一度真っ正面に問われると、頷くしかなかった。
労りのこもった優しい顔をレネドはしていた。
メルヴィアが目を覚ましたのだ。レネドはこのときをずっと待っていて今は喜びの真っ直中のはずーーーには見えない、どこか疲れた顔だと感じたカルシィは、心配させられないと無意識に頷いたのだ。
なぜだろうと、心に棘となって刺さった。
「レネドさん、どうかしたの?」
カルシィが尋ねたときにはすっかり消えて、男らしい力のある笑みに変わっていた。
「ロゼン、何をしている」
咎めるような声にカルシィは自分が怒られたように一瞬身体を震わしたが、心配することには至らなかった。
「こういうときはおまえの役目だろうが、側に付いててやらないのか?」
「あ・・・そりゃあ、俺だってーーー」
口ごもったロゼンは、口を動かしその先の言葉を見つける代わりに脚を動かしてカルシィの側まで一気に寄っていた。
メルヴィアに威圧されたのはカルシィだけでなく、騒ぎを聞いて駆けつけた先にいきなり会うことになった相手にロゼンも立ち尽くすしかない。
メルヴィアによる緊張感もさながら、レネドの背を追い越しカルシィの元に駆けつけることも、いくらカルシィの事が気になると言っても簡単に出来ることではなかった。
足の裏が地面に凍り付いたように動けなかった。
カルシィは子供っぽいと見たレネドの戯けた振る舞いが、ロゼンにはひどく薄気味悪く感じた。
喜ばしいことが起こっているはずなのに、ロゼンが目にしたトランザやセランダータの横顔にはなぜだか一筋の恐怖感が混じっているような強張った色があった気がした。
でも、そんなものはただの気のせいかもしれない。
警戒心を持つロゼンの考えすぎで、馬鹿げた妄想と信じたかった。
いろいろあるがとりあえず、順風満帆。事は良い方向に進んでいる。
そうじゃないと、ロゼンにとって目を開け動くメルヴィアは得体が知れなさすぎるからーーー。
「後は任せる。カルシィくんをちゃんと部屋まで運んで休ませてやってくれ」
小さく頷いたロゼンを残し、レネドは去ってゆく。
レネドの姿を目で追っていたカルシィはその先に、もう一人の姿を見つけた。
アビールだった。
カルシィを見ていたアビールと目が合ったが、
「おまえはこっちだ、行くぞ」
穏やかだったけれど逆らえる声ではないとカルシィにもわかった。
命じられたアビールは、レネドの後に従ってカルシィに背を向けた。
ロゼンに負ぶわれて部屋に帰ったのだ。
カルシィの前で、背を向けて跪いたロゼンは、ほらと言った。
「ほら、来いよ」
「・・・」
カルシィの掌には鋏で切った傷があり、血で汚れている。メルヴィアほどではないけど、傷を負って血を流して、そのせいでアビールが錯乱して、メルヴィアに傷を負わせたのだ。
ロゼンは平気なのだろうか。
ちゃんと聞いて確かめるのがお互いのためで、しなくちゃならないことだと頭の中で考えていたことは次の瞬間には、どうでもいいことに変わっていた。
カルシィはロゼンの背中に体当たりする勢いで跳び付いた。
それぐらいでロゼンが揺れることもないことはもう知っていることで、ロゼンの首に腕を回してぎゅうとしがみついても、苦しいと怒ることもしないことも。
ロゼンの背中は広くて、温かくて、優しい。
安心して眠ることが出来る場所でもあった。
背負って歩き出してすぐ、カルシィが眠りに落ちて規則的な寝息をロゼンは聞いた。
しばらく静かな呼吸音に包まれながら歩いているうちにロゼンはゆっくりと息を吐いた。
緊張が解れ平常心が戻った、安堵の吐息だった。
最近、慌ただしくて忘れそうになっていた背中の温もりと重みをロゼンは噛みしめながら歩いた。
部屋に着いて、ベッドにカルシィを寝かしたけれど起きる様子はなかった。
部屋から飛び出し、丘を登りあんな場所まで動いたのだから無理もない。
体力的にも疲れているところに、心理的な疲労を負っているはずだ。
アビールのことを聞いていた。
メルヴィアの手助けを請うために現れたアビール自ら、カルシィを追い立てたのだと聞いてロゼンは血の気が引いて、もう少しでアビールに飛びかかるところだったが、レネドに止められてしまった。
アビールの身柄はレネドが預かりだった。
レネドが、「いいな、従え」と強い命令を与えた。力のある者からの命令は弱者には逆らうこともできない血の掟に縛られたものだ。アビールは意志がどうであれ、逆らうことはできない。従うしかないのだ。人間混じりで力が強い方だろうとまだ成長段階の少年に過ぎないアビールと若長レネドでは歴然とした差があった。




