55.
「なら、良かった。———うん、アピールのせいじゃないと思って貰えるとありがたい。あいつが生まれ持った性質で、あいつが望んでやっていることじゃない。だから・・・」
珍しくレネドが言い淀んでいた。
カルシィが見つめていると視線に気が付き、困ったような表情を浮かべた。
「カルシィくん、きみは、アビールと会って、なんだか変な気分になって落ち込んでいたーーーそういうことでいいね?セランがきみに引きずられて気落ちして、何か変だと、相談にきたんだ。俺はそれで、もしかしてと思った。アビールにはここのところ自由を与えているから、あいつに会ったというなら、何となく納得できるなって・・・」
レネドはベッドの端に腰掛けると、手招きをしてカルシィを元通りに椅子に座らせて話をしていた。
「あいつにも、それほどの悪意はなかったとは思うんだけどね・・・。まあ普通程度に、ロゼン程度の下心はあっただろうけどね・・・」
カルシィにとってまさに抱いていた問題に触れて、でもどこかレネドにしては要領の得ない話し方だった。
レネドならもっと、ずかずかと切り込んできそうなのに、言いあぐねているようだった。
首を傾げて聞いていたカルシィが意を決して、自分から尋ねてみることにした。
「アビールに会って、ただ話しただけだったのに、・・・とても怖かったの、よくわからないけど、何か違っている感じがして・・・嫌で・・・」
「でも、そんなことを口にしたらいけないと思って、誰にも言わず一人で泣いていた?」
泣いていたことまではっきり言われると恥ずかしくなったけれど、その通りなのだ。
レネドは、若長で、すごい人なのでそんなこともわかるのだろうか。
「配慮してくれたことは感謝するよ。あまり大っぴらに言うべきことではないだろうから・・・」
レネドは溜息をついた。
「きみが違うと感じた理由は、あるんだ。それは、彼が人間混じりだからーーー」
人間混じりという言葉は聞いている。
人間の血が半分入った混血の生まれの人たちを言っているのだ。
でも、それならロゼンだって人間混じりだと言われていたはずだ。
「ロゼンとは、ぜんぜん違う、ロゼンは怖くないもの・・・」
「ああ、あいつは人間混じりでも、俺たちに近い。古い獣の種族だね。俺たちの性質を強く引いていて、血の臭いも近い。そういう者もたまにいる。でも、アビールのような違う臭いを持つ人間混じりが最近多いんだ・・・」
レネドの話はやっぱりこうだ。難しくて、話している内容は日常ではないもので、現実感が薄い。でもすぐに、レネドが語った突拍子もないようなことがカルシィの現実になることは証明済みだった。
「なぜか、は聞かないで欲しい。俺たちにもわからないんだ。ただ生まれる。俺たちとは違う性質を持った臭いも違う奴ら・・・違うんだ、彼らは。だから人間混じりの保護を嫌がる者もいるのも事実なんだけどね。・・・俺たちより、より血を望み、血肉の欲求が強く、目的のためにはより攻撃的に出る・・・」
「どうして・・・」
聞くなといわれていたことを思わず聞いてしまったカルシィに、レネドはこれは俺個人の考えだからと前置きをした。
「・・・時の流れの中で消えようとしている古い俺たちの種族が不甲斐ないと思った大いなる意志が、作り出している新しい獣———なのかなって俺は思う。
血が混じったことで新しい者が生まれる。時代に合った性質を備えて、新しい今の世界でも平気で生きてゆける新種が生まれるようになった———というところなんだろう、とね」
驚いて、難しくて、言葉は出てこなかった。
ただ涙はすっかり止まっていた。悲しい気持ちも吹き飛んでいた。
「俺の愚痴を聞いて欲しい、カルシィくん」
レネドが薄く笑っていた。
「立場的に、まわりの者には言えなくてね。正直、新しい性質の人間混じりは、扱いにくく、手に負えない。激情的に、気質が激しいんだ。欲望にも忠実で暴れることも多い。けれど、俺たちは彼らも身内として保護し、仲間として共にやってゆこうと決めているんだけど、それは本当に正しい判断なのか、わからない。きみが感じた負の感情、近い物を俺も感じる。おそらく里のみんなが感じているだろう。だから不満はくすぶっている。・・・難しいことばかりだね、世の中はーーー」
レネドも悩んでいるのだと知った。
なんだか少し、ほっとしていた。難しいことがひしめいていると感じるのは、カルシィだけではなかったのだ。
「ああ。ロゼンは、大丈夫だよ。このところとても気に入られている。特にトランザが親身になって、弟分のように世話をしている。ロゼンは人間混じりでも、里で受け入れられてゆくだろう」
「・・・アビールは・・・?」
「・・・さあ。わからない。里を逃げたいばっかりだから、目を離せば逃げてゆくだろう。逃げ出してくれた方が、俺たちにとって、里にとって平穏だろう・・・」
最後にレネドは、
「アビールにはなるべく近づかないよう気をつけてくれ。セランたちにも言っておくけど、きみも彼には十分注意をして欲しい」
真剣な表情で言った後、腰を上げてメルヴィアの枕元に移動した。
やっぱり、レネドのメルヴィアを見つめる目差しは特別だった。顔つきも代わるのだ。
レネドは、メルヴィアの顔をのぞき込んで、囁くように語りかせた。
「メルヴィ・・・無粋な話を聞かせてごめんね」
そして、レネドはメルヴィアの上に身を屈めると、白い額に口づけた。
まるで恋人の光景だと思った。見ていけないものを見てしまった気がしたカルシィは非常に居心地が悪かったけれど、レネドはあまり気にも留めないようで平然としていた。
再びカルシィに目を向けると「仕事を抜け出してきたから戻るよ」と言い置いて、部屋を出て行った。
カルシィはレネドが出て行ったあと、目にした光景を冷静に思い出し、次第にに頬も額も首までも真っ赤になっていった。




