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夜の果てに  作者:
第五章
54/85

54.

きっとロゼンだって、気を悪くするはず。

理由はないけど、怖くて嫌いなの。

何もひどいことはされていなくても、嫌なのーーーなんてことは、自分でもおかしいと思うから。

味わったことのない感覚。

里に来てからも、はじめてだった。

はじめてと言えば、メルヴィアと最初に会ったときもとても衝撃的な心地だった。涙が止まらなくて、心が震えた。

でも、日にちが経つ中で慣れてきていた。

アビールもそうなるのだろうか。

そうなって欲しかった。そうじゃなければ、カルシィにとって里は快適とは言えなくなってしまう。

里にいれば元気でいられるから。そして、カルシィの唯一の仲間のメルヴィアに会うためにやってきたのに、まだメルヴィアと話もしていないのにアビールを避けるために、消極的になってしまって逃げることばかりを考えている。

カルシィはメルヴィアのベッドに取りすがって、メルヴィアの手を握っている。

カルシィも、ロゼンに体温が低いと言われたように高体温ではなく、メルヴィアも低い。眠っているから余計に低いのかもしれなかったけれど、カルシィがずっと握っている手の部分はそこだけ熱を持っているように温かくなっていた。

でもそれだけだった。

レネドは、メルヴィアの目覚めの切っ掛けにカルシィがなるのではと言っていたが、カルシィの前でもメルヴィアは美しい白い石の彫刻のように眠り続ける。

セランダータが去って、一人になって、もう誰にも見咎められないのでカルシィはじっくりじっくりとメルヴィアの顔を眺めた。

長い髪が夢のように綺麗で、睫が長くて、頬のラインが優雅だった。

細い鼻梁、薄めの唇は男の人のようにも女の人のようにも見えた。

目を閉じる表情は静かだった。微笑みはなかったけれど、苦悶の色も無い。

ただ昏々と眠っている。呼吸はとてもゆっくりで少なく、鼓動はーーーよくわからなかった。心臓に近いところに触れればもっと感じるかもしれないけれど、カルシィには悪いことをするみたいで触れられない。

窓も無い石の部屋で眠り続けるメルヴィア。

この人なら、ロゼンにも話せないことを話せるのだろうか。

でも目覚めなくて、話せない。

ロゼンは仲間の人たちと働いていて忙しそうだから、なるだけ変なことを言いたくないし、暗い態度も見せたくなかったから。

今だけは、少しだけ許して欲しかった。

本当はメルヴィアが目覚める気になるように力になれるようにしないといけないのだけれど、今日だけはーーー。

カルシィの瞳から涙が滲んでくる。

悲しい。怖い。苦しい。

不安が膨れあがっていた。

みんな優しくて楽しくて、今までにないことばかりが起こっていて、心は制御できないほど舞い上がっていた。

そこに投じられた小石。アビール。

地に足が付かずにふわ付いているところに、ぶん殴られるほどの勢いで吹いた風は、カルシィをもろに地面に叩きつけた。

優しくされすぎて弱くなっていたのだ。気がついた。

ロゼンに会う前は、じっと一人で耐えていた。一人でもぜったい叔父さんに負けたりしないと拳を握りしめていたけれど、ロゼンに会って助けられて、弛んでしまったのだ。

もう一回、ちゃんとしないといけない、と思った。

ロゼンにもセランダータにも、心の弱い姿をもう見せないように。

今だけ泣いて、すっきりさせようと思ったのだ。




ロゼンに見られたくなかった。

セランダータにも。

泣くところなんてみたらきっと心配させる。

メルヴィアは見ていないから。

メルヴィアのところでなら、安心して泣けると思ったけれど、そうはゆかなかった。

部屋の扉がノックされたから。

伏せて泣いていたカルシィは驚いて顔を上げた。

誰かが来ることを想定していなかった。セランダータだろうか。

袖で顔を拭いた。

呼吸を整えて返事をす返す暇はなく、扉は開けられてしまっていた。

「やあーーー」

予想は外れて、部屋の中に滑り込んできたのはレネドだった。

心配させたくないセランダータではなかったことが良かったのか、微妙なところだった。

一目見れば、カルシィが泣いていたことを男は気づいてしまい、何かを言われるだろうと身構える。セランダータより怖い感じがして、警戒のいる相手だった。

レネドと話をするという選択肢は浮かばなかったのですっかり忘れていたけれど、メルヴィアのこの部屋はレネドにとって大事な場所だろうと感じていた。

ならレネドの聖域を乱すようなことをしているカルシィの行いを、一番咎める者がいるなら、この男の他ならないのだと気がついた。

「あの・・・ごめんなさい・・・」

「ん。何が?———俺こそ、乱入して悪いとは思ったけれど、話をした方が解決出来ることがあるかもしれないと思ってね」

レネドはにっこりと笑って、椅子から跳び上がったきり、部屋の隅っこで悄然と立ち尽くすカルシィに言う。

「———きみが泣いているのは、誰かに会ったせい?」

ずばり、だった。

驚きすぎて返事が出来ないでいたけれど、レネドはその様子を正しく肯定と理解して、続けた。

「アビールって、やつだね?」

その通りだったけれど、答えていいのかわからなかった。

「アビールは、きみに乱暴な真似をした?」

「していないっ!ぜんぜん、そんなことはされていない、アビールのせいじゃない!」

アビールは、ただ話をして、そして自分のことを言うなと言ったぐらいで特別なことをしたわけでもなかった。

これだけはちゃんとレネドに言わないと駄目だと思って、説明しようとしたのだけれど、それすらも必要ないようだった。


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