40.
背中を押されるようにカルシィは近づいてーーー。
苦しくなって、自分が呼吸をしていないからだと気づいて、空気を吸った。
冷たい空気が喉から肺に流れ込んできた。
冷たくて、澄んだ空気、清んだ空気。清涼な空気、静謐な空気ーーー。
意味のないことを必死に考えていることにも気がついて、カルシィは自分の足でもう一歩、近寄ってみた。
手が震えた。
けれど精一杯抑えて、手を伸ばしてそっと触れてみた。
白い手だった。
カルシィよりも大きいけれど、細い。とても繊細な指。
その手がひどく冷たくて、カルシィは弾かれるように後ろのレネドを振り仰いだ。
「———死んでるの?」
レネドがカルシィを脇に押しのけるように迫って、すぐに大きく息を吐いた。
「やめてくれ、カルシィくん・・・呼吸をしているし、心臓も動いている」
「だって、冷たいっーーー」
「眠っているだけだ。・・・少し長めに、ね。紹介するよ、彼の名前は、メルヴィド・キリア・ユーヴィルク。名は血脈を表して言うらしい、まあもっと長くも言えるけれど、キリアはメルヴィアを産んだ母体の名前、最後のユーヴィルクはその当時に戴いた一族の女王の名の略称だということらしいね。・・・俺たちはメルヴィアと呼んでいる」
「メルヴィア・・・」
「ロゼンごともっとこっちに寄ればいい」
レネドに言われて、はじめて自分がロゼンに縋りついていることに気がついた。
セランダータが、ぽんとロゼンの背中を叩いて
「大丈夫さ、捕って喰ったりはしないよ」
「喰うのか?」
青ざめたロゼンの顔がはっきりと引き攣った。
ロゼンも圧倒されているのだ、メルヴィアに。
「ああ、違うって。レネドの方さ。さすがにおまえが不用意に触ったからと言って、襲われたりはしない」
苦笑を浮かべて伝わらなかった冗談を説明したが、そのあと、独り言に「そう願いたい」と呟いたのは誰にも届かなかった。
ロゼンとカルシィはベッドのすぐ横まで近づいた。
レネドが広い寝台の端に腰を下ろして、番人のように二人を見つめている。
眠る男。
白い男。
でも男には見えなかった。女にも見えない。
ただ、メルヴィアーーーとして存在しているのだろう。
とても白い。圧倒的だった。
カルシィなど及びもしないほどに。
細く身体に、長い髪。緩く一つに束ねられてシーツの上を流れていた。白よりも冷たい色で、銀色だった。
掛布からのぞく細い首筋、白い貌。
意を決したカルシィが近づいて、貌をのぞきこむ。
細い鼻梁、形のよい唇、長い睫が伏せられる両目。
誰もが持っているものなのにどうして、ここまで違うのだろうか。
綺麗、とか美しいとかじゃ言い表せるものではなかった。
見ていて、心が締め付けられるように痛くなって、涙だった。
ぼとぼとと床に落ちるくらいに涙が溢れて、溢れて、止まらない。
悲しいわけではないのに、涙が止まらなくて、ロゼンが困り果てている。それでもカルシィは止められない。
セランダータが優しく取りなしてくれた。
「もう今日はおしまいにしよう。部屋に戻って、ゆっくり休もう。いろいろと疲れちゃったね」
そしてドスのきいた低い声になって
「いいよな、レネドアード。連れて行くからな」
「ああ。よろしく頼むーーー」
セランダータに促されて、カルシィとロゼンは部屋を出た。
レネドはそのまま残っていた。閉じられる扉の隙間から、じっとメルヴィアを見つめるレネドの静かな横顔が見えた。
バタンと扉が閉まったとき、カルシィの視界が暗転した。
ロゼンが慌てた声でカルシィの名を呼んでいるのが聞こえた。だから安心して目を閉じることができたのだ。
ぼちぼち、進んできました。
メルヴィア登場です。いかがでしょうか?
いろいろ雰囲気が変わってきました。
ご感想など、ありましたら聞かせてくださいね。




