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夜の果てに  作者:
第二章
16/85

16.

「ロゼンって気むずかしい。怒りん坊!」

と、カルシィは頬を膨らませるが、ロゼンにだって言い分がある。

 そんな、ベタベタくっつくな、信じられねえ奴———ありえねえ、である。

 ありえないのは、自分にまさかそんな、通りで見かけるようなぬるい光景の一端になるなんてことが、ありえないと考えていた。

 いや、考えてもみなかった。自分は普通ではないので、誰かとそんな関係になること自体、諦めていたのかもしれない。

 ありえない、こっ恥ずかしかった。

 嘘のよう、現実味がもてないのだ。

 カルシィは、自分もロゼンとは違うけれど、そうした意味でその辺にあふれている普通の人間とは外れた存在なので、ロゼンを特別怖がったり、異質感とも言うような『なんとなく嫌』という気分は湧き起こらないのだろうか。ロゼンにはわからなかったので聞いてみた。すると。

「あ。だったら、ロゼンもわたしのこと、なんとなく嫌とか思ったりするの?」

 真顔で、そのうえ細い眉根をぎゅっと顰めるようにして反対に尋ね返されていた。

「・・・そんなことはねえ・・・」

 ロゼンの本心だった。ひ弱そうで扱いに困るところがあるけど、嫌悪感みたいなものはないのだ。

 ぱあと雲の切れ間の太陽のようだった。げんきんに周りの色彩を変えて世界は一変するのだ。

「わたしもだよ!それにね、わたし、べつにね、黒豹見たときも、嫌いとは思わなかったしね、あまり怖いとも思わなかったよ、棒持って小突いたりするのだって、考えられなかったもの!」

 カルシィが見た黒豹は檻の中にいた状態だとは聞いていたが、その上で棒でいびられていたとは初耳だったロゼンは皮肉屋っぽく口の端を吊り上げた。

「それはそれは嬉しい話だな」

「どこが嬉しいの?」

 皮肉に不思議そうに尋ねられると返答に困るけれど。

 カルシィの話はまだ終わってはいなかった。

「それでね、その棒を持っていた相手がね、わたしより小さな子供だったし、棒は他にも転がっていたのでわたしも手にとって、振り上げてやったの」

 得意そうだったが、目的語が話されていない。・・・いったい誰に?

「そうしたら逃げていった!」

 食事をしながらの会話だったのだけれど、得意そうに胸を張っているカルシィにロゼンの乾し肉を咀嚼する奥歯の動きが止まった。

「そのあと、近くの桶の中に置いてあったお肉があったから、黒豹さんの檻のなかに運んであげたの。親切でしょ。でもね、檻に体当たりしはじめたり、大変だった。わたしのこと、手を出して引っ掻こうとするし、びっくりしてちょっと離れたら、もうじっと睨んで呻りっぱなしになっちゃってさ。見世物小屋のおじさんが出てきちゃったからもう見ていられなくなっちゃった。ねえ、ロゼンもそれって、あまり可愛い態度じゃないと思わない?」

「棒など、人に振り上げるんじゃねえ。檻の生きものに勝手に餌やるんじゃねえっ」

 背筋が寒くなったロゼンが口にしたのは、まるで良識家の発言で、そうだ、それはその黒豹が可愛くないと頷いて欲しかったカルシィは途端に不満げに口を閉ざしてしまったが、ロゼンにしてみれば、肝を潰すってのはこんなところだと思った。

 背格好は同じぐらいでもその辺のクソ餓鬼の方がカルシィよりずっと力があって強いだろうし、黒豹が何を思ったか知らないが、爪に引っかけられたら普通でもただではすまない。檻に閉じこめられている獣は苛ついているのだから。

「黒くてきれいで格好良かったもん。それに可哀想だった。ご飯ぐらいいっぱい食べたいだろうなあって・・・」

 真面目な顔で言うこいつは、小さく可愛らしい、というだけでなくもしかすると精神面では生きてゆくために重要な何かを欠かしているのだろうかとロゼンには思えてくるのだ。

 もしくは、危機に対して感覚が鈍い、馬鹿なのか。

 他人のことだけれど、考えているとロゼンが陰鬱になってくるほど、なっていないと思った。

「む。そのため息は何?」

「・・・深い嘆き」

「嘆き?なぜ?」

「理解できねえ。・・・やっぱり、レムは・・・」

 やめた方がいいんじゃないかとロゼンは不安になってきていた。

 人が多いところで、見失ったりしたとき、カルシィは人混みに埋もれない高みに登るとか、門に戻ってみるとか基本的なことがちゃんとできるのか心配だった。

 それどころか、小柄で目立たないことをいいことに、見世物小屋や曲芸団の裏口から侵入して檻の生き物にちょっかいを出しているような光景が想像されるのだ。

 でも。

  カルシィは大型な肉食獣だろうと、獣を恐れていないようだがそれを駄目だと否定することは、ロゼンにはできないと思った。

“獣”であるロゼンだから。

  カルシィはそんなんだから、ロゼンのこともちっとも嫌がりもしないし恐れていないのではと感じたのだ。

 いろいろ難しいと、ロゼンはため息だ。

 その横でカルシィは明るかった。

「もうすぐレムだね!嬉しいなあ。昨日、いいって言ったもんね。今更、駄目だと言い出すのは男らしくないよね、格好悪いものだもんねえ!」

 危険回避能力は乏しそうでも、多少の勘が働くようで、それは予防線。ロゼンにさせまいと耳障りな言葉が耳元に届けられる。

 ロゼンの背中からだ。カルシィは大人しく言うことを聞いて、背中にいるので。

「おまえのこと考えて、言ってるんだぞ、わかってんのか!」

「わたしのこと考えてるのなら、レムの街、行きたい、行ったことない!ロゼンは行ったことあってつまらないのかもしれないけれど、わたしは一度もない、行きたい、行きたいなあ!」

 そのうちにはロゼンの背中でふんぞり返って訴えだして、街はもうすぐ目の前だった。

 周辺の村からの荷馬車や街から出てきた人たちの姿も目立つようになり、折しもすれ違おうとしていた荷馬車の老夫婦に、騒がしい状況をくすっと笑われてしまったロゼンは急変した。自分が背中に背負っている小さいものに、あっさりと負けてもいいと思った。

「・・・わ、かったから・・頼むっ、静まれっ・・・」

「うん、わかった!」

 大きいことは強いことで、強ことは生きやすいということだと、これまでの人生をかけて学んできたことことだったけれど、すべてがその通りにはならない、理不尽なことがあるのだとロゼンは知った。

 ため息が込み上げることだったが、その後味は意外に悪くなく、長く尾を引かなかった。



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