14.
「・・・おまえが、さ。いなくなったと思ったから、驚いて落としたんだ。転んだんじゃねえ、おまえと一緒にすんな・・・」
えっと、小さく驚いたあと
「いなくなったと思って、驚いた?ショックだった?」
カルシィは嬉しそうに訊いたが、ロゼンは意図がわからなかった。
自分の肯定がカルシィにとってどんな気持ちに繋がるか、わかっていたらひねくれ者は首肯しなかっただろうが、動揺が残るロゼンは、ああ、と素直に頷いていた。
カルシィは笑顔だった。
屋敷を出てからはじめてなほど、嬉しそうに表情を綻ばせていたが、いつもにこついている奴と思っているロゼンはわかっていない。
ただしそうして、正面に向き合っていることがかなり気恥ずかしい心地にさせられて、目を逸らそうとしたがカルシィはさせなかった。
「大丈夫だよ。わたしは、そんな風に消えたりしないよ。いくらロゼンががみがみ屋でも、心が広いもの!」
聞いて眉根を潜めたロゼンがすかさず、すぺんとカルシィの額を指先ではたいていた。もちろん、力の加減は気をつけて。
「おまえの心配じゃねえ。おまえは寝ていても消えてしまうことはある。そっちを俺は心配してんだ、馬鹿者め!」
「わたしは、夢遊病じゃあないよ?」
大きな目をさらに大きくしたカルシィは真面目な顔でそんなことを言って、げんなりとロゼンの脱力を誘った。
巫山戯ているわけではなさそうだが。思いつつ、ああ、とロゼンは一つ気が付いていた。
「・・・なんも知らないからか・・・」
「何が?」
「だから、さ・・・」
「だから?」
オウム返しに即答するのも悪巫山戯でなくて、気にしているのだとも察しが付いた。
「おまえ、聞きたいのか?」
「もちろん、だよ!せっついて聞くのは品がないだろうし、ロゼンはずっと不機嫌でとりつく島無しって感じだし、もうどうしようかって困っていたんだよっ!」
ロゼンからもたらされたはじめての取っかかりを、不意にしたくないカルシィは意気込んで答えたが、ロゼンはつれない。
「嘘付け、ずっと寝ていたくせに」
「・・・だから、それは・・・」
少しだけ進んだ思われた会話が、また振り出しに戻ったところで途切れてしまった。
ロゼンは、はあっと大きくため息を吐いていた。
「だからそれは、おまえは弱っているからだな」
さっきはその結論にいたって、ロゼンは不機嫌になっていたのだけれど今回は違うのだ。さらに先を見つけられたから。
「弱っているんなら、どんどん食え。食わねえから小さいし、ガキみたいなんだ!」
「・・・子供、嫌いなの?」
気になったので、聞かずにはいられないこれは、カルシィの性格だった。
「嫌いだ。わかんねえからな。んで、どうでもいいことにすぐ泣いて、泣くと俺が悪モンになる」
「なんで、べつにそんなことないと思うよ?」
「いや、大きいから俺が悪者になるんだよ。チビのおまえにゃあわからんだろうが、な」
釘を押されて、うーんと悩んでいる小柄なカルシィの横で、よっこらしょと黒い山が動いた。
「どこいくのっ!」
再び扉に向かおうとする相手に驚いて、しがみついた。
「・・・おい。おまえみたい軽いのは振り払われるだけだぞ」
振り払う前に、そのまま足にしがみつかせたままでも歩けそうだとロゼンは顔を顰めたが、カルシィは真剣だった。
「今度はどこ行くの、今返ってきたばかりなのにっ」
「飯を貰ってくるんじゃないか。おまえ、台無しにしたから。チビを大きくするための方法だろ」
「あ。・・・これでいいよ」
ちらっとカルシィが目を向けたのは再び床に転がった憐れな食料だった。
「それじゃあ栄養が足りないだろ。大きくならない」
「でも、今日はいいよっ、これで」
食い下がるカルシィに「頑固だ」と、口をへの字に曲げたロゼンは足を大きく動かして振り落とすことに決めた。
「うわっ、乱暴反対だよおっ」
小動物相手と侮り過ぎたようだった。すかさず細い指をロゼンの腰のベルト紐に伸ばして細い隙間に引っかけてしまった。そうなると軽い体重なのでひょろい腕でも十分耐えられるようで、振り回すことになるだけで離れないのだ。
「おい、こら、てめえ。なにガキみたいなことしてやがるっ」
目を細めるようにして人相悪くロゼンはカルシィを見下ろしたが、なかなかどうしてーーー窮地に陥ったネズミの前ではネコも噛みつかれるというではないか。
「だって、そう言うならロゼンも部屋で一人待っててみるといいよ。そうだ、今度はわたしが自分で取ってこればいいんだ。その間、じっと待っているの。そうすればわかるよ!知らないところだし怖いんだよっ、とっても!」
「おまえに取りに行かせられるんなら、鍵掛けて置いてかねえっ、本末転倒だろうが!」
目を剥いたロゼンが反論したが、なんだか少しわかった気がした。
それ以上は言わないけれど、俯いて不満そうに唇を尖らせている理由と、人形のように長い睫に縁い取られた灰青色の瞳は気のせいでなく、少し濡れていることも。
「下に降りて皿に貰ってくるだけだ。もうだいぶ、客は空いていたから待たずにすぐに貰えるだろう」
だから、すぐだからちょっと待ってろ。というロゼンの声は普段よりも小さく優しい声だった。
「うん。・・・わかった」
こっくりと頷いたカルシィはロゼンの下肢に絡めていた指を外すと、膝立ちの姿勢からぺたんとお尻を床に落とした。
「あ、そうだ。お金・・・」
ごろごそと懐から革袋を取り出すと紐を緩めて、中から宝石を手の平に取り出した。
父が残してくれた物を教えられていたダイヤルを回し金庫から持ってきたものだ。
赤い石を一つ白い指が無造作に摘んでロゼンに差し出していた。
振り向いたロゼンは唇を少し歪ませてみせる。
「おまえ、それで飯を買おうとするとまず換金に古道具屋を探さにゃならない。時間かかるぞ?」
「あ。じゃあこれは今度。あとでまとめて払うから、ロゼン、貸しておいてくれるかな?」
「ああ、いいぞ」
「優しいね、ロゼンって!」
にこりっと笑ったカルシィを、ロゼンはちらりと視線を送ったようだがすぐに戻して廊下に出て行った。
扉を閉めるとき
「おい、鍵だが。中から掛けるか?その方が安心だろ。その代わり俺以外にほいほい開けるんじゃねえぞ。わかったな」
こっくりと頷いたカルシィは、そのあと慣れないうえ滑りの悪くなった錠に悪戦苦闘だった。
「おっかしいなあ、これでいいはずなのに動かない・・・」などと取り組んでやっとカチャッと音がしたときには、扉から離れる暇もない。「開けろ、俺だ」と扉は高飛車に命令した。
「おい、早く開けろよ」
「うん、・・・ちょっと待ってね、今やってるとこなんだけど、ね・・・」
「遅えぞ!」
言葉通り、すぐに戻ってきてくれたロゼンに、カルシィの表情は気が短く、口の悪い男にどやしつけられても明るかった。




