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夜の果てに  作者:
第二章
13/85

13.

 自分が全力で走っているなか、背中ですぴすぴと眠っているという不遜な奴。

 やっと起きたと思ったら、小さくてひ弱なくせになんて存在感なんだろうか。ロゼンを威圧する。

 存在感等というものは向かい合っているロゼンの方の心の影響もあるものとは気づいていないので、ロゼンの苛立ちはカルシィにすべて向かう。

 まとわりつくようで面倒な気分だった。調子が狂うのだ。

 一人孤独に、でも気ままにやってきたロゼンにとってカルシィは異質なものだった。

 里の者たちとも違う物。なぜならカルシィはロゼンが自分で引き寄せたものだったから、誰かに無理矢理押しつけられたわけではない。

 動機は乱暴で、考えなしで自分勝手だった。

 でもそのためにロゼンにはカルシィにたいして拒絶感はなかった。だけど、重い。

 無視できないほど重くてたまらない。

 それは自分で掴まれと言い渡したのに、実際に首に触れるカルシィの体温と柔らかさには気になってならなくて苛つくような、理屈ではなかった。

 意識の中にこびりついてたえず考えさせられ疲れてしまう。だから顔を見ているのも煩わしくなって部屋を出たというのに、今度は放置していることが気になって気になって、すぐに戻らずにいられない気分になるように、だ。

 でもこれにはちゃんとした理由もあるとロゼンはカウンターで、一人胸を張った。

 折角自分が先に見つけたというのに、目を少し離している隙にかっさらわれる危険があるからだ。

 里の手練れは鮮やかな仕事をするだろう。

 彼らの手にかかれば、宿屋の二階だろうと、地下の物置だろうと子供一人連れ出すことぐらい難なくやってのける。ロゼンがそうだったのだから。

 見世物小屋の地下で動けなくなっているところで途切れた意識が回復したとき、知らない男達に囲まれて、ロゼンは馬車の上にいたのだ。小屋のオヤジが大人しくロゼンを渡したとも思えなかったし、男達は惜しげもない大枚をロゼンのために支払うとも考えられなかった。それでも馬車はロゼンを乗せ、里に運んだのだ。

 今ではロゼンにとっても普通なことになっていたが、人間と変わらなくみえようと体の作りが違うようで、金具を使うことなく爪を引っかけて猫のような身軽さに建物の屋根に登ること、飛び降りることができた。

 鍵がかかった扉を人間には不可能な力で叩き割ることも可能だった。ただし数に負ける人間に見つかると厄介なことになるし、不用意な揉め事は避けるべしという掟もあるから迂闊には動けないのだけれど。

 奪われてしまうかもしれなかった。

 奴らにこうしている間にも、連れ去られてしまうかもしれない。

 考えているとロゼンの焦燥感は恐怖感までに煮詰まってしまい、宿屋の一階の食堂で一人優雅に取ろうと思っていった遅い夕食は、味もわからなくなっていた。

 食べかけの皿に残っていたすべてをロゼンは一気に掻き込みながら、もう一人分の夕食を注文した。

 そうして遅い、と苛々しながら渡されるのを待って、一人分の夕食の載ったトレイを片手に階段を駆け上がるはめになった。

 途中で二階から降りてきた太った男にすれ違い様にぶつかって、怒声が飛んだが上背も勝ったロゼンの激しい一瞥が一瞬で黙らせた。

 ロゼンにとって、カルシィは何だろうか。

 物事をじっくり考えることが苦手なロゼンでも、もう避けては通れない気がしていた。

 道具にしては手がかかりすぎるのだ。

 そんな使えないような物なら、放り出してもいいはずだ。計画は中止とすればいいだけのことだから。

 奪われてしまうかもしれないというこの強い不安感は、強い損得勘定?

 答えは出る間もなく、ロゼンは部屋に立っていた。カルシィがちゃんといることを確認したくて、鍵を開ける。

 出るときに廊下側からロゼンが閉ざした鍵はそのまま扉を封じていて、開けようとするロゼンの大きな手は焦りのために震えていた。

 体当たりをするように、扉を開けた。

 しかして。

 ランプの灯りで部屋は明るかった。

 正面の開け放たれたままの窓には四角い夜が覗き、白っぽく剥げたカーテンが静かに揺れている。

 ロゼンは奥歯をぎりっと噛みしめた。

 小さな部屋にはベッドと備え付けの机に椅子が置かれるだけで隠れる場所などないはずなのに、見渡したなかにロゼンの求める姿がなかった。




 衝撃が強すぎてうまく言葉にならなかった。

 想像は悪い物の方がよく当たる気がするといつも思ってきたが、まさにその通りになってしまい、一歩踏み込んだきり呆然と立ち付くしたあとは、力が抜けた。

 がくんと落ちるように膝を着いたロゼンから、運んできたトレイの料理の皿が、けたたましい音を立てて床に転がっていった。

 カルシィに食べさせるための料理だったが、カルシィを失った今、もう意味がない。

 床にシチューが広がって、小皿にあった蒸かした芋がころころと床を走って部屋のあちこちに散らばったが、ロゼンは目にも留めなかった。

 腹が立つ。腹が立つ、すべてに腹が立つ!

 握りしめた両方の拳を、ロゼンは力一杯と床に叩きつけて、大きな音が部屋に響いた。

「クソっ、なんでだ、よっ・・・」

 後悔なんて穏やかなものではなかった。ただ腹が立つ!

「くだら、ねえっ・・・、なんだよこれはっーーー」

 床が抜けたって知ったことじゃない、もう一度腕を振り上げぶっ叩いてやろうとしたそのときーーーそのときだ。部屋の空気が動いた。

「・・・ねえ、・・・そんなに嘆かなくても、大丈夫だよ?・・・」

 床に額を擦りつけるほどに背を丸めていたロゼンが、がばっと頭を上げた。聞こえた声の方向に。

 ロゼンの後方だった。

 そこでロゼンに理解できない小さい生き物は、膝を抱えてさらに小さくなって座っていたのだ。ただし驚いた顔をしていた。

 入り口、扉のすぐ横の壁にくっつくようにしてロゼンが戻ってくるのをひたすら待っていたカルシィは、ロゼンと目が合うとそろそろと這いだした。

「これ・・・わたしの夕ご飯だよね、一人分だし。なら大丈夫だよ」

 にっこりと笑う。

 ロゼンには言われている意味もわからなくて呆然だった。

 皿から飛びだしたが、シチューに浸って濡れることなく無事だと、カルシィは手元に転がっていたパンを拾って手の平で大事そうに丁寧に塵を払ったのだ。

「果物も潰れてないよ」

 小さな桃は少し熟し足りないぐらいだったが、その青味が床に落ちた衝撃に耐えさせ潰れたりせずにこれも食べられそうだった。拾って手で拭ったカルシィはそこで顔を上げてロゼンを窺った。

 第一の、カルシィの姿がないと衝撃。

 でも居た・・・という、続いた第二の衝撃のただ中のロゼンは、言葉を無くしてしまっている。

「どうしたの、ロゼン・・・変だよ・・・?」

 カルシィは不思議そうに首を傾げた。

  ロゼンが変。反応が悪い。

 しかたがないので先にこっちだった。カルシィは床に目を落とすと、もう食べられはしないけれどこのままにはしておけないと、ごそごそとシチューの具や芋を集めてお皿に戻しはじめた。

「誰でも、転んだり失敗することあると思うから、ロゼンもそんなに気にしないでいいと思うよ」

 部屋に入り際に足を滑らせ転んで料理を駄目にしてしまい嘆いているとカルシィは思ったのだ。だから失敗して落ち込むロゼンへの気配り、励ましの言葉だった。

「———馬鹿っ、違うぞ!これはっ、おまえがっーーー」

 勝手なことを言われていることに気がついて憤然と立ち直ったもののロゼンはまだすんなり続けられなかった。

「わたしが?」

 上目遣いに首を傾げられていた。

 大きな目でやっぱり真剣に尋ねてくる様子を見ていると、なんだかいろいろ馬鹿らしい気分になったロゼンの肩の力が次第に抜けていった。


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