11.
「大人しくしてろよ」
こんなところで暴れるなよ、と背中に念を押したロゼンはごった返す通りを歩いてゆく。
背が高く、身体は男らしくかっしりしているロゼンは荷物の布袋を肩に、もう一つの荷物とばかりカルシィを背中に背負ってもまったく負担も見えなかった。
夕方の通りは慌ただしく、人通りが多かったけれどロゼンは危なげない。人とぶつかることがあっても、ロゼンの方がふらついたりすることほとんどなかった。
もしカルシィが石畳に降りたとき、決してこうはゆかないことはわかっていた。押されて蹈鞴を踏むか、人の流れに流されていってしまうか。
それに小柄なので、視界もまるで変わってしまうだろう。人しか見えなくなりそうだった。
悩んだ末、カルシィはロゼンに甘えたままで、はじめての街の街並みを眺めることにした。
華やかな商店と商店名を主張する大きな看板がいくつも見えた。
けれど、覚え知っている地図からいくつか候補は挙がっても、実際ここがどこの街なのか、カルシィにはわからなかった。不機嫌そうに口を開かないロゼンはそういう話もほとんどしてくれなかったから。
人の多い広い石畳の通りは中央部分では馬車や荷馬車の往来が激しかった。
古くて大きな街だった。新しいお店と伝統ある古い由緒正しい名店が入り交じっている街並みは見ていて飽きさせなかった。
それでもやっぱり、気になってくる。
カルシィにとって、街のよりもロゼンだった。
ロゼンはいったい、どこに向かっているのだろうか。
足早にどんどん人の肩を縫って進むロゼンには目的地があるのだろう。
いつしかカルシィは首をねじ曲げて建ち並ぶお店一軒一軒ではなく、ロゼンが目を向けている前方を一緒になって見ていた。
見ていたって何もわかりはしないのだけれど、目を向けてなければもっとわからないはずなのだ。
あたりは夕食時もあり、いろいろな食べ物を扱うお店が多いと知れた。
通りは人の匂いの他、食べ物の匂いが溢れていた。美味しそうな匂いが鼻腔に飛び込んではロゼンの歩みのなかでで消えていった。
お肉の匂い。
シチューの匂い、焼きたてのパンの匂い。
甘い砂糖のお菓子の匂いもした気がした。
もうすぐきっと夕食だった。
ロゼンは何を食べるのだろうか。
何が一番いい匂いだったかと考えてみた。
でもそれは食べ物ではなかった。カルシィは ロゼンの背中の匂いだと、しばらく考えた末に、行き着いた。
それはロゼンの匂い。懐かしくて優しいのだ。草原と空の光景が脳裏に思い浮かぶような気がした。
不思議だった。ずっと弱い子供でカルシィには草原で遊んだ記憶なんてないというのに。
そんなことをぼんやりと考えているうち、再びカルシィの意識はロゼンの広くて温かい背中に吸い込まれていった。
再び目を覚ましたとき、カルシィが最初に目にしたのは茶色い木の天井だった。
古くて所々黒い汚れも浮かんでいて、見ていて楽しいものではなかった。
頭を動かすと、少し離れた木のベッドにロゼンが座っていた。
奥の方にお尻を置いて、後ろの壁にだらりと背を付けて、投げ出したブーツの両足は木枠をはみ出して、ベッドのシーツを汚すことなく床に着いている。
長身だから可能な姿で、カルシィは密かに格好いいと思った。
自分であれば壁を背中につけていれば、きっと足は床には届かないだろう。成長の良くない容姿にコンプレックスを抱いているカルシィにとって逐一、理想になりそうなものを持っているロゼンは羨ましかった。
見とれていて、気が付いた。いまさらでもあったけれども自分は今、ロゼンの背中ではないのだ。
どこかのお宿ってことかしら。
言葉にして尋ねるよりも先にロゼンが口を開いていた。
寝起きでぼんやりとしていたものの、ロゼンをしげしげと眺めるカルシィは何度か目が合っていたけれどそのときはロゼンも何も言わなかった。
「おまえ、弱ってるんだな」
ロゼンの男らしく低い声だ。
押し殺したような声で、声主の感情を読み取ることはできなかった。
「ずっと寝ている。よく眠れるな。走っても階段上がっても、人と話していてもまったく、起きねえのな」
呆れたように続いた。
ロゼンは思ったのだ。子供を背中に担いで、まるで子守の役目を負わされているみたいな時間だった。
それは漠然と想像していたものととても違っていた。馬鹿で考えなしだと、里の奴らによく言われたがロゼンだって、ロゼンなりに時々は考えている。
「こんなに普通、寝ろって言っても苦痛で無理だ。おまえは病気で弱っているんだ。だから眠ることができるんだ」
ロゼンが辿り着いた結論がこれだった。
もっといろいろ考えてみると、自分がカルシィに近づいてこうやって連れ出すことに成功した理由がそもそもここにある。そのときロゼンはまったく深く考えていなかったのだけれど。
ただ、見つけた!———だった。
里の奴らはいない。自分が先のようだ!。
奴らは探しているのだ、だったら自分が先に奪い取って、鼻を明かしてやろう!
そのときロゼンの脳裏に里の者たち数人の顔が思い浮かんで、ざまあみろ、とほくそ笑んでいたけれど、ロゼンの今後の想定のなかにカルシィ自身の存在は入っていなかったことに思い当たってしまった。
カルシィの方の都合———。
それはロゼンの誤算だった。
「おまえ、死ぬのか?」
「・・・っ」
ロゼンにすればとても簡単で素朴な質問だった。
けれどカルシィには喉が詰まったように返事ができなかった。
眠っていてもときどき息が苦しくなって、目を覚ますことがあるんだよ。
眠っているとき廊下から聞こえる叔父の足音は、いつも嫌いで聞こえなくなるのをいつも祈っていた。
目も覚まさないほどよく眠り、弱っているとしみじみと断言したロゼンに、誤解だよと否定しなくてはと用意した言葉は端から崩れていってしまう。「死ぬのか?」とカルシィこそが誰かに否定してもらいたい疑問を投げられては強がりはすべて脆く消えてしまう。
自分はやっぱり死ぬの?
カルシィは小さく「そんなことないよ」と首を振った。
するとロゼンは、ふんとカルシィを鼻であしらった。
「どこが違うんだよ。知ってるか、もう外真っ暗だぜ」
ロゼンの機嫌はやはり悪いのだ。自分は相手に任せっきりで、楽々と眠っていたせいなのだろう。きっと責めているのだ。
「・・・明日はちゃんと起きてるから」
「そんなこと、話してるんじゃないだろうがっ」
それまではボソボソと感情を落として喋っていたロゼンだったが、思わず怒鳴りつけていた。
いったいどうしてそんな的はずれな返事が返ってくるのか、と苛立ったくる。腹が立つ!
でもロゼンもすぐしまったと後悔した。子供っぽいカルシィは、ロゼンの悪い予想通りとベッドの上で拗ねたように毛布を引き上げた。亀のように丸くなってしまった。
ロゼンは苛々と黒い髪のなかに手を突っこんで掻き混ぜた。
わからないのだ。
理解できない。
会話一つうまく成り立たなくて、ますます腹が立ってきてしまう。
いったい自分はこれを前にして、どうしたらいいか、まったくこれっぽっちもわかりはしなかった。
「・・・ねえ、怒らないでよ」
気が付くと、いつのまにかベッドを抜け出したカルシィが不安そうな目をしてロゼンの前に立っていた。
そっとロゼンの顔色を窺って、縋るように真っ直ぐに見つめてくる。
その様子がロゼンにしたら、さらに自分を苛つかせているのだとどうしてわからないのかと、歯軋りしたい気分になる。
けれど目の前のいかにも弱そうな相手を、感情任せになぎ払うことはしないだけの理性はほんの少し残っていた。
どうしようもないのだ。
本当にどうしたらいいのか、ロゼンにはわからなかったのだから。
だからロゼンは、そのときできる限りの最善の行為を選んで、実行していた。
つまり、うまく言葉にならないほど苛つくロゼンはその扱いに困っているものから、少し離れることに。
目を覚ましたから大丈夫だろう。
ベッドもあるから平気だろう。カルシィをこのままベッドの側に、いつでも好きなように眠れるようにしておいて、自分はとりあえずこの部屋を出る。
「あ、待ってっ・・・」
扉に向かうと、後ろからすぐに追いかけてこようとする気配が伝わったが、
「来るな、そこにいろ!」
怒鳴りつけるとびくっと動きは止まった。
これぐらいの意思の疎通はできるのだと満足したロゼンは足音も荒く扉を潜ると、少々乱暴に閉めた。




