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夜の果てに  作者:
第二章
10/85

10.

 雲一つない青空が茜色に染まった頃、ロゼンの背中でむくりと動く気配がした。

くしゅんとくしゃみをした。夕方になって大気が涼しくなってきていた。

 しかめっ面でロゼンが言う。

「おい、人の背中に鼻水垂らすなよ」

「・・・うん、大丈夫。でもよだれが垂れた・・・」

 ロゼンの軽口にカルシィも軽口で返したのか、それとも真面目に言っているのか、付き合いが浅いためにわからなかったロゼンが、何とも言い難い顔になって押し黙った。

「冗談だよっ、たぶん。・・・寝てる間も、・・・うん大丈夫、染みはないもの!」

 慌ててそんなことを言われても、ロゼンは憮然となったままだった。

「人がいっぱい。降りる」

「駄目だ。おまえみたいなのは踏まれるだけだろうが」

 背中に上がったとき、辺りは草原一面だったはずだったのに眠っている間にすっかり変わっていた。

 カルシィは、自分が寝ついているなかでもロゼンはずいぶんと歩き、せっかちなロゼンなのでもしかして走って、どこかの街に着いたのだと想像するしかなかった。

 たぶんいろいろ聞いたらまた怒るだろうから自分でそう納得した。

「・・・恥ずかしいよ」

 こういうのはカルシィにとっていたたまれなかった。

「降りる」

「あのなあ、おまえっ・・・」

 ロゼンはやはり、不機嫌な声だった。

「おまえ、夕方は咳が出やすい時間だと言っていなかったか?」

 言っていたので、カルシィは返事ができなかった。

「喉、また鳴りはじめてんじゃないのか、それ」

 呼吸に合わせて、カルシィの喉は秋の木枯らしのような音を漏らしている。

「・・・でもこのくらいは、全然平気だもの。歩けるよ」

 意地っ張りは、小さな声で反論していた。

 この程度であればまだ平気なのだ。本当に苦しくなったとき、咳の発作で呼吸もできなくなって涙で視界はぼやけだしてくる。このまま死んじゃうのかもしれない、今日こそは死んでしまうのかもしれないと覚悟をするほどになる。それに比べたらだんぜん平気だった。

 そんな暗い死の想像を抱くような酷い状態が、最近は頻繁に訪れるようになっていた。だからカルシィは、自分が母の元に行くのもそう遠い日ではないだろうとも思っていた。

 一人きりで悶々と死の気配に怯える日々だったのだ。

 けれどロゼンの出現で事態はかわった。ロゼンはカルシィの咳を止めてくれる。呼吸を楽にすることができるのだ。

 理由は、同じように古代の生き物の血を引く生き残りで、ロゼンとカルシィは種族は違うけれど同じ世界の生き物同士のため、ロゼンの側らにいることで肌に合わない空気を弾くことができる。ロゼンの放つ気に包まれていれば、合わずに身体に負担となっていく世界の空気を浴びなくてよくて、そうすればこれ以上弱って死ぬこともないーーー?

 なんだか嘘みたいな話だった。

 ロゼンから教えられてもカルシィ自身、まだ半信半疑だったけれど、そこには“本当”があるのだ。

 現実に咳が止まって、呼吸が楽だった。ロゼンといることで身体が楽だった。

 その他にも叔父ブラウニーの前で、ロゼンが見せた変貌。獣のように伸びた爪と輝く目、唇が捲り上がって露わになった白い牙。普段でもカルシィにとって黒豹みたいな感じがするロゼンは、もう少し黒豹みたいに変化していた。

 それがロゼンの種族の特徴で、でもカルシィは違う種族なのでそうはならないと言うことだけれど。

 奇妙すぎて簡単には信じられなかった。ても、目の当たりにして疑いようのない真実がいくつもあるのだから、 すべてを嘘だとは否定できることではないはずだった。

 ううん、ちがう。

 もう自分でちゃんと、わかっていた。

 カルシィは信じたいと思っているのだ。

 ロゼンといれば彼が言う通り、もう少し長く生きていられると。

 生きていられる!夢のように嬉しい話だったのだから。

 だけども、話を丸ごとはやっぱり無理な気もするのだ。

 ロゼンの説明を全部、丸飲みに信じることは難しい。ロゼンの話はこんな風にまだ続くのだから。

 カルシィの種族は、女王を中心に群れる者たちである。そして今はちりじりになってしまっていて、種として成り立っていない状態になっている。

 それでも極まれに、カルシィのような生き残りは見つかったときには、種の再興させるべく、再び女王を抱くための本能、特性を備えている、と。

  つまりはこういうことだ。

 カルシィは子供で少年である。でも今はそうだけれど時期が来たとき、種の保存という組み込まれた能力が発揮され、女王を生み出すために、雌性へと存在を変える。

 ———難しい。もっと簡単に言うなら。

 ———女王を産むために、カルシィは、そのうち女にかわるーーー。

「嫁さんに捜しに来た」

 とカルシィの前に現れたロゼンは、本気でこんなことも信じられているのだろうか。理屈なら、女にかわるというならカルシィは感情論は無視するとして、ロゼンのお嫁さんにもなれるということだ。

 ———信じられないけれど・・・。

 自分のことでもカルシィには、本当なのかでたらめなのか、まったくわからなかった。

 けれどとりあえず。

 ロゼンの最初に言っていた“嫁さんを捜す”という話は忘れたふりで、カルシィはロゼンと一緒にいる。

 ロゼンとは最初に説明されて以来、この話はしていなかった。

 カルシィはもちろん気になっていたけれど、もっといろいろを聞いて知ってしまい、踏み込んでしまった深みのせいで自分が自分でいられなくなるような恐怖感があって、ずっとこのまま避けていたい気持ちも強いのだ。




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