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残業したから、口裂け女にスマホを持たせた。

 


繁忙期も、いよいよピークを迎えていた。


 今日も残業。


 気づけば、フロアにはほとんど人が残っていない。


 やっと仕事が片付いた。


 そう思って時計を見る。


 ……深夜十二時を回っていた。


「うわ」


 思わず声が出る。


 もうこんな時間か。


 急いで帰らないと。


 終電、ギリギリかもしれない。


 慌ててパソコンを閉じる。


 机の上を軽く片付ける。


 鞄を掴む。


 立ち上がる。


 その時だった。


「……全然終わんない……」


 近くのデスクから、小さな声が聞こえた。


 ちらっと見る。


 水谷さんだった。


 同期の女子社員。


 入社した頃は、同期がもっと沢山いた。


 だが。


 うちの会社はブラックだ。


 気づけば。


 残っているのは、


 俺と水谷さんだけになっていた。


 普通なら、

 それなりに仲良くなっていてもおかしくない。


 でも。


 水谷さんと俺は、そこまで関わりがなかった。


 飲み会で席が近かったら少し話す。


 その程度。


 別に仲が良いわけでもない。


 悪いわけでもない。


 普通。


 本当に、普通の関係。


 俺は視線を戻す。


 帰る準備を続ける。


 鞄を肩にかける。


 その時。


 また。


 小さな声が聞こえた。


 ……すすり泣く声だった。


 水谷さんの。


 デスクに向かったまま、肩が小さく揺れている。


 ……。


 しばらく立ち尽くす。


 終電。


 そして——口裂け女。


 色々頭をよぎる。


 でも。


 流石に。


 無視はできなかった。


 ……。



「——佐々木さん。今日は本当にありがとうございました」


 水谷さんが必死に頭を下げる。


「いや、いいよ。気にしないで」


 とにかく早く帰りたかった。


「また今度、絶対お礼させてください」


「いやまじでいいって。困った時はお互い様だし」


「……やっぱり、」


 水谷さんが、何か言いかけてやめる。


 首を振る。


「……なんでもありません」


「まあ、これからも一緒に頑張ろうよ」


 そう言った瞬間。


 水谷さんの目が少し見開かれる。


「……っ……はい!」


 元気に答える水谷さん。


 笑顔を向けてくる。


 目には大きな隈が張り付いている。


 それでも。

 水谷さんが、ボーッとこっちを見てくる。


 ……相当眠いんだろう。


 少しして。


「……でも」


 水谷さんが小さく言った。


「お礼は、させてくださいね」


 俺は適当に頷いた。


 とにかく眠かった。


 そのまま、水谷さんと別れ、


 やっとこさ、


 帰路に着く。


……


 外は、すっかり明るい。


 始発の電車に揺られながら、

 ぼんやり窓の外を見る。


 入社間もない頃。


 こんな時間まで会社にいたのは、

 あの時以来だった。


 ……。


 その時のことは。


 正直、もうあまり覚えていない。


 とにかく、必死だった。


 ……とりあえず。


 今は眠い。


 でも。


 家に帰ったら、数時間だけ寝て。

 また会社に行く。


 ……こればかりは仕方ない。


 電車を降りる。


 改札を抜ける。


 駅前の通りを抜けて。


 いつもの道へ入る。


 家まで、あと少し。


 その時だった。


 前の方。


 道の端に、女が立っていた。


 長い黒髪。

 白いコート。

 顔にはマスク。


 見慣れた格好。


 口裂け女だった。


 ゆっくり歩いていく。


 距離が近づく。


 口裂け女が、こちらを見る。


「私、綺麗?」


 いつもの質問。


 でも。


 心なしか。


 目が虚だった。


 迷わない。


「うん。綺麗だ——」


 言い終わる前に。


 口裂け女が飛びついてきた。


 抱きつかれる。


 突然だった。


 思わず体がよろける。


 沈黙。


 口裂け女の肩が、小さく震えている。


「……もう帰ってこないかと思いました」


 小さな声だった。


 大袈裟すぎて。


 少し笑いそうになる。


 でも、

 笑わない。


「ずっとここで待ってたの?」


「……はい」


「何時ぐらいから」


 少し間。


「……昨日の23時ぐらいからです」


 ……。


「……うわぁ、まじか」


 正直。


 ひいた。


 かなりひいた。


 でも——


 胸の奥が。


 少しだけ、温かくなる。


 そして。


 ……ちょっとだけ。


 嬉しかった。


「……馬鹿じゃん」


「馬鹿じゃない!!!!」


 即答だった。


 口裂け女は相変わらず怒りやすい。


 それが、なんだかおかしくて。


 とうとう。


 笑いが我慢できなくなった。


 思わず吹き出す。


「笑うな!!!!」


 そう言って。


 口裂け女が俺の胸元に顔をグリグリと埋めてくる。


 「いたいって」


 ますます笑いが止まらなくなる。


 口裂け女も楽しそうに続けてくる。


 ……


 ……


 ……長い。


 かれこれ。


 五分ぐらい、こうしている。


「いい加減離れてよ」


「嫌です」


「お願い」


「嫌です」


 即答。


 ——そこで。


 ふと。


 頭をよぎる。


「……顔見せてよ」


「それが嫌だから離れたくないんです!!」


 必死だった。


 急に腕に力が入る。


 離さない、という意思がはっきり伝わってくる。


 ……。


 俺は。


 なんだか、頭がおかしくなりそうだった。


 寝てないからじゃない。


 朝帰りだからでもない。


 ただ。


 もう、どうしようもないぐらい。


 離れたくなかった。


「じゃあ、くっついたまま帰ろうか」


 そう言うと。


 腕の中で。


 口裂け女が小さく動く。


「……はい」


 少し嬉しそうだった。


 そのまま。


 同じ姿勢で歩き始める。


 俺は前。


 口裂け女は胸に顔を埋めたまま。


 ゆっくり歩く。


「歩きにくいね」


「我慢してください」


「まだ離れない?」


「離れません」


「もしかして家でもこのまま?」


「このままです」


 即答。


 迷いがない。


 ……。


「……お風呂入る時だけ離れてね」


 少し間。


「……考えてあげます」


 胸元から。


 ふふっ、と小さな笑い声が聞こえた。


 口裂け女が笑っている。


 もう、離れても大丈夫だろ。


 そう言おうとした。


 でも。


 何故か。


 言いたくなかった。


 ……。


 そんなこんなで。


 やっと家に到着した。


 本当に歩きづらかった。


 口裂け女と脚が何度ももつれて、


 何回も転びそうになった。


 その度に。


 二人で笑った。


 いつもなら。


 十分で帰れる道。


 今日は二十五分かかった。


 でも。


 不思議と嫌じゃなかった。


 アパートの前。


 玄関のドアを開ける。


 口裂け女がまだくっついたまま。


 そして。


 開口一番。


「今度の休みにスマホ買いに行こう」


 沈黙。


 腕の中の口裂け女が。


 ゆっくり顔を上げる。


「……スマホって、あの光る板みたいなのですか?」


 目が合う。


 その瞬間。


 少し驚いた。


 口裂け女の目。


 驚くほど、腫れていた。


 ずっと泣いていたみたいだった。


 ……本当に。


 一晩中、待っててくれたんだ。


「そうだよ」


 俺は嬉しさを誤魔化すように返事をする。


「でもなんで突然?」


「連絡とれるように」


「へ?」


「遅くなる時は、遅くなるって連絡するから」


 口裂け女がまた胸元に顔を埋める。


 さっきより。


 少しだけ強く。


「お前用のだから、ついてきてね」


 少し間。


 口裂け女が大きく息を吸う。


「やったー!!」


 小さくガッツポーズ。


「うるさい」


「ごめんなさい!!」


 反射みたいに謝る。


 大きな声で。


「次の休みは絶対休むよ」


「約束ですよ?」


 上目遣いで見つめてくる。


 こいつは。

 困ったらいつも見つめてくる。


 心臓がはち切れそうだ。


「うん、約束」


 すると。


 口裂け女が鼻歌を歌い始めた。


 上機嫌だ。


 気がつけば。


 いつの間にか離れている。


 そのままキッチンへ向かっていく。


 朝食の準備を始めるらしい。


 ……。


 少しだけ。


 寂しかった。


「あ!」


「え、なに」


 振り返る口裂け女。


「まずは手洗ってください!」


 元気よく言う。


 指までビシッとさしている。


「お前も洗え」


「洗います!」


 元気に返事。


 そのまま洗面所へ向かう。


 ……。


 本当に。


 こいつといると。


 飽きない。


 いや。


 違うな。


 飽きる暇がない。



 休みの日。


 約束通り。


 スマホを買いに来た。


 駅前の家電量販店。


 スマホ売り場。


 口裂け女は、ショーケースの前でしゃがみこんでいる。


 目がキラキラしていた。


「どれがいいんですかね?」


 ガラス越しに並ぶスマホを覗き込む。


「うーん」


 俺も横から見る。


「安いのだと、すぐ壊れるかもしれないし」


「そうなんですか?」


 口裂け女が首を傾げる。


「多分ね」


「うーん……」


 口裂け女が腕を組む。


 真剣だ。


「同じのでいいんじゃない?」


「同じのってどれですか?」


 俺は自分のスマホを出す。


「これ」


 そして。


 ショーケースを指差し、

 値段を見せる。


 次の瞬間。


「たっっっっっっっっか!!!!!」


 売り場に声が響いた。


「ちょ、やめて……」


 周りの客がこっちを見る。


「……ごめんなさい」


 口裂け女が小さくなる。


 少し俯く。


「でも、こんな高いの悪いです……」


 遠慮している。


 珍しい。


「別にいいよ」


「お金ならあるし」


「長く使うこと考えたら、高い方が良いでしょ」


 ——その瞬間だった。


 口裂け女の表情が。


 一瞬、暗くなる。


 ほんの一瞬。


 でも、はっきりわかった。


「…………そうですね」


 声が小さい。


「ん?」


「……私、安いので良いですよ」


 ぎこちない笑顔。


「でも、壊れたら大変だよ?」


「壊さないので大丈夫です」


「壊しそうだから言ってるんだけど」


「大丈夫ですって」


「見るからに壊しそうだし」


「そんなことないです」


「いや、本当に壊しそうだから——」


「信頼しろ!!!!」


 大声で遮られる。


「ちょ、声大きいって」


 なんでこの人。


 行き詰まると声がデカくなるんだろう。


 ……ああ。


 人じゃない。


 妖怪だった。


 都市伝説って、そういう感じなのかもしれない。


 よくわからないことを考えながら。


 俺は店員に声をかけた。


「すみません。これください」


 ショーケースを指差す。


 自分と同じ機種。


 店員が「かしこまりました」と頷こうとした瞬間。


「いや、いいです……。やめてください」


 横から口裂け女が止めた。


 店員が困った顔をする。


 俺は口裂け女を見る。


「……一緒にいてくれるんじゃないの?」


「……っ!」


 口裂け女の顔が一瞬で真っ赤になる。


「俺が、買いたいの」


「でも……」


「一緒にいてくれないの?」


 沈黙。


 口裂け女の視線が泳ぐ。


 少しして。


「……仕方ないですね」


 小さく呟く。


 恥ずかしそうに背中を向ける。


 耳まで赤い。


 沈黙。


 ……。


「あの〜……色選んでもらってもいいですか?」


 店員が申し訳なさそうに言ってくる。


 俺のスマホには色があるらしい。


 全く知らなかった。


「あ、私この金色のがいいです!」


 口裂け女がすぐ振り向く。


 指をビシッとさす。


 さっきまで背中向けてたのに。


 切り替えが早い。


……


 家。


 テーブルの上。


 買ったばかりの箱が置いてある。


 口裂け女が目を輝かせている。


 ゆっくり箱を開ける。


「わー!光りました!光りました!」


 スマホの画面が点いた。


「そうだね」


「これがスマホですか!!」


「そうだよ」


「リンゴのマークがかっこいいです!」


「そうだね」


「大事にします!」


「うん」


「壊しません!」


「それは本当にお願いね」


「はい!!」


 元気よく返事。



 その後。


 器用な口裂け女は。


 驚くほど早く操作を覚えた。


 電話。


 メッセージ。


 写真。


 全部。


 あっという間だった。


 ただ。


 一つだけ問題がある。


 それは。


 仕事中。


 スマホが。


 ずっと震えること。


 画面を見る。


 通知。


 口裂け女。


 口裂け女。


 口裂け女。


 口裂け女。


 ……。


 三分で十五件。


 鬼のように連絡が来るようになったことは。


 言うまでもない。




【オマケ】


 仕事が終わってからの、

 口裂け女とのメッセージのやりとりを公開。



口裂け女:

「ねえ」


口裂け女:

「ねえ」


口裂け女:

「まだ仕事終わらないんですか」


口裂け女:

「今日は残業しないって言ってましたよね」


口裂け女:

「もう終わってる時間ですよね」


口裂け女:

「寂しいです」


口裂け女:

「返事してください」


口裂け女:

「なんで返事してくれないんですか」


口裂け女:

「何かありました?」



口裂け女:

「会社行きます」



佐々木:

「やめて」


口裂け女:

「返せるじゃないですか」


佐々木:

「ちょうど今終わった」


口裂け女:

「怪しいです」


口裂け女:

「めんどくさがってるんじゃないですか」


佐々木:

「怪しくない」


佐々木:

「めんどくさくない」


口裂け女:

「女の人と喋ってませんか?」


佐々木:

「喋ってない」


口裂け女:

「じゃあ早く帰ってきてください」


口裂け女:

「美味しい肉じゃがが待ってますよ」


佐々木:

「また肉じゃがなんだ」


口裂け女:

「肉じゃがは間違いないです」


佐々木:

「うーん、そうかな」


口裂け女:

「あと」



口裂け女:

「綺麗な女の子も待ってますよ」


佐々木:

「それは楽しみ」


口裂け女:

「私、綺麗?」


佐々木:

「いつも唐突だよね」


口裂け女:

「ノルマですから」


佐々木:

「まだそれ言ってるんだ」


口裂け女:

「事実ですから」


口裂け女:

「早く答えてください」


佐々木:

「綺麗だよ」


口裂け女:

「ふふ、そうでしょそうでしょ」


佐々木:

「うん」


佐々木:

「だから」



佐々木:

「早く会いたい」



(突然、返信が止まる)




 スマホをポケットにしまう。


「ふう……」


 会いたいって送ったら、


 10分ぐらいメッセージが止まる。


 最近得た処世術だ。


 止まってる間に、早く準備して帰ろう。


 どうせまたメッセージ地獄になる。



 ちなみに。


 口裂け女にスマホを持たせてから、


 俺は3kg痩せた。


 体重が。


 ⸻


 ある日。

 オフィスで。


 あの日の残業以降。


 俺は、水谷さんからよく話しかけられるようになった。


 ……心なしか、前より距離が近い気がする。


「佐々木さん、痩せました?」


「全然だよ……気にしないで」


「絶対痩せましたよ……働きすぎです……」


「そうかなぁ……」


 水谷さんからへんな勘違いをされた。




ここまで読んでいただきありがとうございます。


作者のジュウヨンです。


今回は、とうとう口裂け女がスマホを手に入れました。


もちろん佐々木は、

口裂け女にスマホを買い与えたら、

鬼のようにメッセージが飛んでくることを予感していました。


ですが。


ここだけの話。


正直、佐々木も満更ではありません。


なので、後悔はしていません。


体重は減ったかもしれませんが、心は満たされているでしょう。


佐々木も、それなりに重い男です。


そんな二人の今後を、見守っていただけたら嬉しいです。



……次回ですが、水谷さんがガッツリ出てきます。


果たして、佐々木の日常はどうなってしまうのか。


それでは。

次回も是非読んでいただけると嬉しいです。


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今後ともよろしくお願いします。


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