疲れてたから、口裂け女を家に迎えた。
「おじゃまします」
口裂け女が家に上がりこんできた。
部屋の中をキョロキョロ見回す。
恥ずかしいからあまり見ないでほしい。
だが。
ある場所で、口裂け女の視線が止まる。
シンクだ。
シンクの中にある大量の食器を見て、
「……ふう。」
小さく息を吐き、
そのまま洗い始める。
……
口裂け女の要領は結構良かった。
結構どころじゃない。
だいぶ良かった。
「お前……意外に器用なんだな……」
「いやー普通ですよ、普通ー」
口裂け女は素早く、だが丁寧に皿を洗いながら言う。
水の音が静かに流れる。
もう既に五分以上は経っていた。
俺は特に何も言わない。
ふと冷蔵庫を開ける。
中を見る。
食材が多く余っている。
「はあ……」
思わず溜息が出た。
(癖で溜め込んじゃうんだよな……)
最近、俺は彼女と同棲を解消した。
以前は分担していた家事も、今は一人。
量は減ったはずなのに、不慣れで最初は手こずっている。
なんとなく視線を向ける。
口裂け女。
妖怪なのに、真剣に皿洗いをしている。
……。
「おい、お前」
口裂け女がビクンと反応した。
「な、なんですか……?」
「飯作ってくれるってマジ?」
「え、はい。作るつもりですけど……」
キョトンとしている。
「ソファーで寝てて良い?」
「良いですよ全然」
口裂け女は手を拭きながら答えた。
「変なもの入れんなよ」
一応言っておく。
「入れませんよ!!」
「失礼な!!!」
口裂け女が怒る。
(思うだろ……)
内心そう思いながら、俺はソファーに横になった。
瞼が重い。
身体が沈む。
意識が遠のく。
……
……
良い匂いがする。
懐かしい匂いだ。
温かい。
優しい匂い。
(……懐かしいな)
彼女と別れてから、こんなの久々だ。
瞼を開ける。
ぼやけた視界。
台所から湯気が立っている。
口裂け女が料理を運んでいた。
「おはようございます」
マスク越しだが、少し笑っているのがわかる。
「おはよ……」
俺は身体を起こす。
テーブルを見る。
味噌汁。
肉じゃが。
卵焼き。
ご飯。
「……」
少し黙る。
「どうですか?」
口裂け女が聞いてくる。
「……」
俺は箸を取る。
卵焼きを食べる。
甘い。
優しい味。
次に味噌汁。
あったかい。
胃に染みる。
しばらく黙って食べる。
口裂け女はそわそわしていた。
そして俺は言う。
「……うまい」
口裂け女の目が大きくなった。
「ほんとですか?」
「うん」
「ほんとに?」
「ほんと」
沈黙。
数秒後。
口裂け女は、ちょっとだけ胸を張った。
「まあ普通ですけどね、普通」
「普通じゃない」
「え?」
「普通じゃない」
俺は味噌汁を飲みながら言う。
「……久しぶりにちゃんとした飯食った」
口裂け女は少し黙った。
それから、ぽつりと言う。
「……また、作りに来ましょうか?」
俺は一瞬だけ止まる。
そして言う。
「……好きにすれば」
口裂け女は少し嬉しそうに笑った。
マスク越しでも、それはわかった。
ぐ〜。
静かな部屋に、妙に間の抜けた音が響いた。
口裂け女のお腹の音だ。
俺は味噌汁を飲む手を止める。
視線を上げる。
口裂け女が固まっていた。
そして少しして、恥ずかしそうに視線を逸らす。
「……」
「……」
「……」
また。
ぐ〜。
俺は少し感心してしまった。
「妖怪の類もお腹減るんだね……」
口裂け女は頬をかきながら言う。
「食べなくても大丈夫なんですけどね……」
照れくさそうだった。
妙にチラチラこっちを見てくる。
「……食べれば良いじゃん」
俺が言う。
口裂け女がぱっと顔を上げた。
「え、良いんですか?」
「うん」
「でも……」
「作ってもらったし」
俺は箸で肉じゃがをつつきながら言う。
「一緒に食べようよ、どうせなら」
数秒の沈黙。
そして——
「やったーー!!」
口裂け女がガッツポーズをした。
「実はそれ待ちでした!!」
「だろうな」
「バレてました?」
「わかる」
俺は少し笑ってしまう。
口裂け女は慌てて台所へ行き、もう一膳の茶碗を持ってくる。
席に座る。
手を合わせる。
「いただきます!」
妙に元気だった。
俺も箸を持つ。
「いただきます」
しばらく二人で食べる。
静かだ。
でも、なんとなく落ち着く。
口裂け女は肉じゃがを食べて目を輝かせた。
「うわ、自分で作ったのにうまい」
「自画自賛かよ」
「だってうまいですもん」
「まあ、うまいけどね」
口裂け女はちょっと得意そうな顔をした。
それからふと聞いてくる。
「……毎日こんな感じなんですか?」
「何が」
「一人でご飯」
俺は少し考える。
「まあ……そうだね」
「寂しくないですか?」
俺は味噌汁を飲む。
「……慣れる」
口裂け女は少し黙った。
それからぽつりと言う。
「じゃあ……」
「?」
「私がたまに来ます」
俺は肉じゃがを口に入れる。
「勝手にすれば」
「来ますよ?」
「どうぞ」
「料理しますよ?」
「ありがたい」
口裂け女は少し笑った。
マスクの下で。
そのとき。
また。
ぐ〜。
沈黙。
俺は言った。
「まだ腹減ってんのか」
口裂け女が顔を真っ赤にした。
「食べてもいいですか肉じゃがもうちょっと」
「食え」
「ご飯もおかわりしても良いですか」
「食え食え」
俺はまた笑ってしまった。
……
口裂け女は満足したようだった。
「食べました〜」
お腹をポンポンと叩く。
テーブルの上は綺麗に片付いている。
「風呂入ってくるわ……」
俺は立ち上がり、そのまま風呂場へ向かう。
その背中に声が飛んできた。
「背中流しますよ……」
振り向くと、口裂け女が少し照れながら言っている。
「いや……いい……」
俺は無表情で答える。
「なんで!」
口裂け女が少し怒る。
「……とにかく入ってくるから……」
それだけ言って、風呂場のドアを開けた。
「はい……」
口裂け女が気まずそうに答える。
風呂の湯を出す。
シャワーの音が浴室に響く。
(なんで背中流そうとするんだよ……)
ため息をつく。
服を脱いでシャワーを浴びる。
温かい湯が肩に当たる。
「はあ……」
思わず声が出る。
今日も疲れた。
仕事。
家。
色々。
でも今日は——
なぜか家に妖怪がいる。
シャワーを止める。
湯船に浸かる。
静かだ。
……と思ったら。
コンコン。
ドアをノックする音。
「……なんだ」
「お湯の温度どうですか?」
口裂け女だった。
「普通」
「タオル置いときました」
「……ありがとう」
「あがったら髪の毛も乾かしてあげますよ」
「いらない」
即答。
ドア越しに会話する。
なんだこれ。
妙に生活感がある。
しばらくして。
「……」
湯船の中でぼんやりする。
なんとなく思う。
(……なんか)
(久しぶりだな)
家に誰かいるの。
湯気の中で目を閉じる。
少しだけ、気が抜けた。
風呂から上がる。
リビングへ戻る。
口裂け女がテーブルを拭いていた。
「おかえりなさい」
マスク越しに少し笑っている。
「……ただいま」
俺はなんとなくそう答えてしまった。
「じゃあ私帰りますね……」
口裂け女がそう言った。
「うん」
俺は何の気も無しに答える。
パジャマを出して、寝る準備をしようとする。
「どこに帰ると思います?」
口裂け女が聞いてくる。
「知らん」
俺はそう答えた。
「知ろうとしろ!!!」
口裂け女がまた怒ってくる。
俺は少し考える。
「……土管の中?」
「失礼な!!!!」
口裂け女がまたまた怒る。
「路地裏です!!」
胸を張って言った。
(変わらないよ……)
俺は心の中で思う。
「じゃあね……」
そう言って見送ろうとする。
その瞬間。
「止めてよ!!!!」
口裂け女が言った。
俺は振り向く。
「ん?」
「なんで普通に帰そうとするんですか!!」
「帰るって言ったのそっちだろ」
「それは……」
口裂け女は言葉に詰まる。
もじもじしている。
しばらく沈黙。
そして小さい声で言う。
「……寒いんですよ」
俺は窓の外を見る。
確かに夜は冷えていた。
「でもコート着てるじゃん」
「路地裏寒いんですよ」
「知らんがな」
「夏は風通し良いんですけどね」
「知らんがな」
口裂け女は少し俯いた。
「……あと」
「?」
「野良猫に場所取られるんです」
口裂け女の表情が少し暗くなった。
「弱いな」
「猫強いんですよ」
マスク越しに、消え入りそうな声が漏れる。
「どけたら可哀想ですし」
俺は頭を掻いた。
「……」
数秒考える。
それから言う。
「……ソファーで寝る?」
口裂け女の顔がぱっと上がった。
「え」
「毛布あるし」
「……」
数秒。
「え」
「嫌なら帰れ」
「寝ます!!!!」
即答だった。
「声でかい」
「すみません!!!!」
また声がでかい。
俺はため息をつく。
「風呂入る?」
「入っていいんですか!?」
「入るなら」
「入ります!!!!」
「声でかい」
口裂け女はぺこぺこ頭を下げる。
「ありがとうございます!!」
「はいはい」
俺はソファーに座って一息つく。
口裂け女が小さく言った。
「……優しいですね」
俺はぼーっと天井を見上げる。
「疲れてるだけ」
そう答えた。
すると口裂け女が言う。
「その理屈ずるいです」
俺は少しだけ笑った。
◇
口裂け女が風呂に入っていった。
ドアが閉まる。
シャワーの音。
俺はソファーに座ってスマホをいじる。
なんかもう、色々どうでもよくなってきていた。
妖怪が家で風呂入ってる状況とか、普通なら驚くはずなのに。
慣れって怖い。
約二十分後。
風呂場のドアが開いた。
「久々のお風呂でした〜」
髪をタオルでわしゃわしゃ拭きながら、口裂け女が出てくる。
「汚してない?」
俺が一応聞く。
「あんた失礼だな!!!!」
「汚してないわ!!!」
口裂け女は、失礼だと思うと大きい声を出すらしい。
「でも久しぶりって……」
俺が言う。
口裂け女は腕を組んだ。
「妖怪だからそこら辺はなんとかなるんだよ!!!!」
「考えろ!!!!」
「……」
俺は少し黙る。
そして一言。
「……めんどくさい」
そのまま立ち上がる。
「寝る」
「え、もうですか?」
「うん」
「まだ十時ですよ」
「疲れてる」
「またそれ!!!!」
口裂け女が叫ぶ。
俺は寝室へ向かう。
布団に潜る。
数秒後。
ドアが少し開いた。
「……あの」
口裂け女が覗いている。
「なんだ」
「リビングの電気どこで消すんですか」
「スイッチ」
「それはわかりますよ!!」
「じゃあ聞くな」
「どこって聞いてるんです!!」
俺はリビングの方を指差す。
「右」
「右ってどっちですか」
「お前の右」
「イマイチわからないです」
俺は布団の中で目を閉じた。
「……」
数秒。
「……自分で探せ」
「えええええ」
口裂け女が不満そうな声を出す。
しばらくガチャガチャ音がした。
そして。
パチ。
電気が消える。
「消えました!」
暗闇の中で口裂け女が言う。
「よかったね」
「よかったです!」
沈黙。
しばらくして。
リビングから声が聞こえた。
「……おやすみなさい」
俺は目を閉じたまま答える。
「……おやすみ」
……
暗闇。
静かな部屋。
俺は布団の中でぼんやりしていた。
眠い。
でも完全には寝ていない。
そのとき。
……ガサ。
何かが動く音。
……ガサガサ。
俺は目を開けた。
そして。
布団の中に何か入ってくる感触。
ぬくい。
柔らかい。
「……」
俺は横を見る。
暗闇の中。
口裂け女が布団に潜り込んでいた。
顔だけ出している。
「入っちゃいました……」
小声で言う。
「……」
俺は無言。
口裂け女も無言。
数秒。
十秒。
俺は言った。
「……なんで」
口裂け女は少しだけもじもじする。
「……寒かったので」
「毛布あるだろ」
「それよりこっちの方があったかいので」
「……」
俺は天井を見る。
沈黙。
しばらくしてまた聞く。
「俺がソファーで寝ようか?」
「こっちにいてください」
「気まずくない?」
「気まずくないです」
また、沈黙。
口裂け女が静かに口を開く。
「……一人って寂しいじゃないですか」
「せっかく毛布用意したのに」
「細かいこと気にしたら負けです」
また沈黙。
口裂け女は布団の端をちょっと掴んでいる。
「……」
俺は目を閉じた。
「……蹴ったらごめん」
「蹴らないでください」
「……」
「……」
静か。
数秒後。
口裂け女が小さく言う。
「……あったかい」
「……そうだね」
さらに数秒。
「……」
「……」
口裂け女がまた小声で言う。
「……おやすみなさい」
俺は少し間を置いて答える。
「……おやすみ」
そのまま。
なんとなく。
その夜は二人で寝た。
◇
朝。
目が覚めた。
ぼんやりと天井を見る。
知らない天井ではない。
いつもの天井。
でも、なんとなく違和感があった。
布団の横を見る。
口裂け女はいない。
「……」
夢だったのか。
少しそう思う。
身体を起こす。
そのとき。
キッチンの方から、いい匂いがした。
味噌の匂い。
焼ける音。
ジュウ……。
俺はゆっくり立ち上がる。
リビングへ向かう。
キッチンを見る。
そこには——
エプロンをつけた口裂け女がいた。
フライパンを振っている。
「……」
俺はしばらく黙って見ていた。
口裂け女が振り向く。
「あ、おはようございます」
マスク越しに笑っているのがわかる。
「おはよ……」
俺は少しぼーっとしながら言う。
テーブルを見る。
既に料理が並んでいた。
味噌汁。
焼き魚。
卵焼き。
ご飯。
「……」
俺は少し黙る。
「朝ごはん作ってみました」
口裂け女が言う。
「昨日食材余ってたので」
俺は椅子に座る。
「……」
数秒。
「へんなもんいれてない?」
「入れてない!!」
「まあいいけど」
「入れてないって言ってるのに!!」
口裂け女は、怒りつつも楽しそうだった。
俺は味噌汁を飲む。
「……やっぱうまい」
「ほんとですか?」
「うん」
口裂け女がちょっと胸を張る。
「普通ですけどね」
「それ昨日も聞いた」
口裂け女は少し笑った。
俺はふと思う。
「……」
それから聞いた。
「今日も来る?」
口裂け女は少し考える。
そして言った。
「呼ばれたら来ます」
俺は味噌汁を飲む。
「……じゃあ来いよ」
口裂け女は一瞬固まった。
それから。
少しだけ、嬉しそうに笑った。




