第50話 『英雄譚の話が食い違いすぎて、結局ただの美味いシチューの話に落ち着いた記念祭の夜』
街のあちこちで、色鮮やかな旗がはためいている。
今日は一年に一度、この辺境の街が開拓されたことを祝う記念祭だ。お祭り騒ぎに浮かれた若手冒険者や市民たちで、「錆びた剣亭」の店内もいつもよりずっと賑やかだった。
私、看板娘のミナは、両手に溢れんばかりのエールのジョッキを抱えて、テーブルの間を縫うように歩き回っていた。
「はい、お待たせしました! 追加の骨付き肉と、いつもの蒸留酒、それから果実酒ですね」
店の奥、一番落ち着くカウンターの隅。そこは、うちの常連である三人の「生ける伝説」たちの指定席だ。
私はジョッキを並べながら、ふと気になっていたことを口にしてみた。
「そういえば、ガンツさんたちは、もうずっと昔からこのお店に通ってくれてるんですよね。一番最初に来た日のことって、覚えてますか?」
その素朴な疑問は、思いがけず三者三様の記憶の扉を開く合言葉になったらしい。
ガンツさんが、骨付き肉を齧る手を止めて、豪快に笑った。
「おう、あれは何年前だったかな、いつだったかの『大ワイバーン』騒動の時だ! 空から降ってきたデカいトカゲの突進を、俺が大盾と筋肉の連動で真っ向から受け止めて、この街を救ってやったんだ。その帰りに、美味い匂いにつられてこの店に立ち寄ってやったのが始まりだぜ」
「……記憶が随分と美化されていますな、筋肉殿」
隣でウイスキーのグラスを傾けていたゴドさんが、呆れたようにため息をついた。
「あなたが無駄に斧を振り回して『大ワイバーン』を追い立てたせいで、南の街区まで被害が拡大したのでしょう。私は当時、衛兵隊長として、あなたが壊した屋根や壁の事後処理と、賠償金の算出に追われていたのですよ。その激務の最中、胃痛に耐えかねて逃げ込んだのが、この店です」
「なんだと、石頭! 俺がいなきゃ、街は火の海だったぜ!」
「結果的にあなたが一番建物を壊していましたがね」
二人がいつものようにいがみ合いを始める横で、フィスさんが薄笑いを浮かべて口を挟んだ。
「僕も偶然、あの日は街にいたんだよ。空飛ぶ大きなトカゲと、地上で暴れ回る猪の追いかけっこなんて、面白い見世物があると聞いてね。まあ、結局は大したことはなかったけど」
もう古い、昔の出来事。どうやら、3人は同じ一つの大騒動の現場にいたらしい。
ガンツさんのヒロイックな英雄譚、ゴドさんの冷静で胃が痛くなるような事後報告、フィスさんの皮肉な観察記録。
「昔の話をするのは嫌いじゃないよ。冷めきった記憶を温め直すのは、なかなか骨が折れるけどねぇ」
フィスさんが独り言のように呟く。
「だけど、こうして互いの言い分がぶつかり合って、話が沸騰していくのを見るのは愉快だ。まるで、いろんな感情がドロドロに煮詰まるみたいでさ」
キザな言い回しだけれど、なぜか厨房の方向から、ふわりと温かい空気が流れてきた気がした。
3人の話は、見事なまでに食い違っていた。
致命傷を与えたのは俺の斧だ、いや私が張った罠が効果的だった、いや僕が少し風を操って地面に落としただけだ……。
誰の言い分が正しいのか、私には判断がつかない。たぶん、全員が少しずつ正しくて、少しずつ自分に都合よく記憶を盛っているのだろう。
だけど、そんなバラバラな証言の中で、たった一つだけ完全に一致している事実があった。
「まあ、細かいことはどうでもいい。あの騒ぎの後、この店で初めて飲んだエールと、ガストンが出してきたシチュー。あれはとんでもなく美味かった」
ガンツさんがそう言うと、ゴドさんも静かに頷いた。
「ええ。あの温かいスープのおかげで、私の胃に空いた穴が塞がったような気がしたものです。あれがなければ、私は隊長職を辞する前に過労で倒れていたでしょう」
「あのシチューの味だけは、僕も認めるよ。まあ、少しばかり僕が火加減を調整してあげたかもしれないけどねぇ」
フィスさんが肩をすくめて笑う。
戦いの後、偶然にも同じ酒場に立ち寄り、偶然にも隣り合った席で、同じ鍋の料理をつついた。それが、この厄介で頼もしい常連客たちの、関係性の始まり。
なんだか、聞いてるこっちまで温かい気持ちになってくる。
その時、無言で厨房から現れた父さんが、大きなどんぶりを三つ、ドンとカウンターに置いた。
中に入っていたのは、ゴロゴロと大きな肉と野菜が煮込まれた、特製のビーフシチューだった。
湯気と一緒に、たまらなく芳醇な香りが立ち上る。
「……これは、あの時の」
ゴドさんが目を見開く。父さんは何も言わず、ただ「食え」とばかりに顎でしゃくった。
母さんがレジの奥から、「記念祭の特別サービスですよ。ツケにはしませんから、安心してお食べなさい」と、珍しく本気で笑っていた。
大昔の真実なんて、もはや藪の中だ。誰が英雄だったのかも、誰が一番建物を壊したのかも、今となってはどうでもいい。
最高のシチューがあって、それを笑い合いながら囲む仲間がいる。きっかけなんて、なんだっていいじゃないか。
私は、新しく注いだエールのジョッキを三人の前にドンと置いた。
「大昔のドタバタ劇と、変わらない最高のシチューに乾杯!」




