第47話 『裏稼業に落ちた旧友が、俺のボロボロの銅貨を見ただけで勝手に更生した話』
俺は今日、最高に上機嫌だ。なぜかって?
昼間、市場を歩いてたら、信じられねえ顔を見つけたからだ。
ジーク。俺が若い頃に組んでいた、腕利きの斥候だ。もうとっくに引退して、遠くの街で隠居してると思ってたが、まさかこんな辺境で会えるとはな。
「ガストン! エールだ、一番でかい樽で持ってきてくれ! 今日は俺の奢りだ!」
「錆びた剣亭」の指定席で、俺はジークの肩を力いっぱい叩いた。
六十を過ぎたジークの体は昔より一回り細くなっていたが、斥候特有の筋張った体つきは健在だった。
「痛えよ、ガンツ。お前、その馬鹿力は全然老いぼれてねえな」
ジークが苦笑いしながらジョッキを傾ける。旧友との酒だ、不味いわけがねえ。俺はひたすら黄金の液体を喉に流し込んだ。
◇
今日の飲み会は、なんだか妙に活気がある。
いつもなら皮肉ばかり言っている石頭……ゴドの野郎が、やけに愛想がいいのだ。
「いやあ、冷えますな。少し席を詰めましょう」
ゴドはわざわざ自分の丸椅子を移動させ、ジークの隣にピタリと座り直した。ジークが店の裏口のほうを眺めようとするたびに、ゴドが「さあ、相棒殿に一杯!」とジョッキを突き出して視線を遮る。マーサの女将さんが立つレジのほうを見ようとすれば、わざとらしく立ち上がって背伸びをする。
なんだ、あのおやじ。ジークのことがそんなに気に入ったのか? 愛想のいいドワーフなんて気味が悪いが、俺のダチを歓迎してくれるのは悪い気はしねえ。
その時、ジークの指先から硬貨がポロリとこぼれ落ちた。
だが、硬貨が床に落ちるより早く、ジークの手が蛇のように動き、手元を一切見ずに指の間に挟み取ったのだ。
「おおっ! すげえなジーク! その反射神経、全く鈍ってねえじゃねえか!」
俺が手を叩いて褒めると、ジークは少し引きつった顔で「あ、ああ、昔の癖だよ」と笑った。
ふと見ると、ゴドと、隣に座る細いの……フィスが、顔を見合わせて無言で頷き合っていた。二人とも、ジークの身のこなしに感心しているに違いねえ。
◇
「ところで、この店の窓の鍵は……」
ジークが窓枠の金具に目を細めた瞬間、フィスが手元のワイングラスをスッと持ち上げた。
「昔の思い出ってのは、時に強烈な輝きを放つものさ」
フィスが独り言のように呟く。グラスの表面が、暖炉の炎を反射してキラリと光った。
「でも、あまりに過去を見つめすぎると、目が眩むこともある。本当に大切なものだけを照らす光があれば、道に迷うことはないんだけどねぇ」
直後、グラスから放たれた鋭い光の筋が、ドンピシャの角度でジークの目を直撃した。
「うわっ、眩しっ!」
ジークが目をしばたかせ、窓枠から視線を外す。
「悪いねぇ。グラスを磨きすぎたみたいだ。光の反射だよ」
フィスが薄笑いを浮かべる。相変わらずキザな野郎だが、店が明るいのは良いことだ。
「なあ二人とも、聞いてくれよ」
俺はジョッキを置き、胸を張って言った。
「こいつは最高なんだ。どんな窮地でも、絶対に仲間を裏切らねえ。俺が一番背中を預けられる男だ。こいつの斥候の腕があれば、どんな罠だって素通りできるぜ」
俺が自慢すると、ジークはなぜか顔を青ざめさせ、俯いてしまった。
「よせよ、ガンツ。俺はもう、昔の俺じゃない。今は……ただの、みすぼらしい年寄りだ」
「何言ってやがる! これを見ろ!」
俺は首から下げていた革紐を引きちぎらんばかりの勢いで引っ張り出した。
紐の先についているのは、ボロボロになった安物の銅貨だ。
「お前が俺たちの最初のデカい仕事の時に、『生きて帰るお守りだ』ってくれた銅貨だ。俺はあの日から、これを肌身離さず持ってる。どんなに強い魔獣の攻撃を受けても、このお守りとお前の背中があったから、俺は筋肉に力を込められたんだ。お前は今でも、俺の最高の相棒だぜ」
傷だらけの銅貨を見つめるジークの肩が、小刻みに震え始めた。
あいつは両手で顔を覆い、しばらくの間、深く息を吐き出していた。
「……お前は、本当に変わらねえな、ガンツ」
やがて顔を上げたジークの表情は、さっきまでの妙な落ち着きのなさが消え、なんだか憑き物が落ちたようにスッキリしていた。
「どうした、具合でも悪いのか?」
「いや……ただ、目が覚めただけだ。俺は遠くの村で畑を持ってるんだがな。手入れをサボってたせいで、雑草が酷くてよ。今から帰って、死ぬ気で土を耕すことにするわ」
ジークは立ち上がると、俺の肩をドンと小突いた。
「美味い酒だった。この街にはもう来ないが……その銅貨、大事にしてくれよな」
「おう! 畑仕事なら、腰に気をつけろよ!」
足早に去っていくジークの背中を、俺は笑顔で見送った。
急に帰っちまったが、元気が出たならエールのおかげだな。
俺が残った酒をあおっていると、隣でゴドとフィスが何やらこそこそと話し始めた。
「……いやはや。無自覚で真っ直ぐな信頼ほど、恐ろしい防犯対策はありませんな」
「本当だねぇ。あの硬貨を拾う手つき、王都の裏路地でもなかなか見ないレベルだったのに。わざわざ目を潰さなくて済んで良かったよ」
「おい、お前ら。何をごちゃごちゃ言ってんだ?」
俺が尋ねると、ゴドはすまし顔でグラスを掲げた。
「いえ。あまりにエールが美味いもので、感心していたのですよ」
「だろ!? ガストンの酒は世界一だ!」
俺は空になったジョッキをテーブルに叩きつけ、ガストンにおかわりを要求した。
旧友が元気を取り戻し、仲間と美味い酒を飲む。筋肉が喜ぶ、最高の夜だ。
「変わらねえ相棒と、ボロボロのお守りに乾杯!」




