第45話 『孫に似た毛玉の飲みっぷりに目を細め、不甲斐ない弟子を森まで蹴り飛ばしに行った話』
「錆びた剣亭」のカウンターの隅。そこは俺たちの指定席だ。
エールを喉に流し込みながら、ふと隣を見ると、あの老いぼれ冒険者が、小さな仔狼にミルクを与えていた。
一生懸命に皿を舐めるその姿を見てると、どうしても遠い田舎にいる五歳の孫を思い出して、目尻が下がっちまう。
「……鼻の下が伸びてますよ、筋肉殿。締まりのない顔は、せっかくの酒を不味くします」
石頭……ゴドが、嫌なタイミングでウイスキーのグラスを置いてきやがった。
「うるせえ。俺の顔がどうなろうと勝手だろ。それより、あの毛玉……将来は立派な魔獣になるのかねぇ」
「さあねぇ。でも、人生の追い風に乗れるかどうかは、飼い主次第だろうね」
細いの……フィスが、いつもの薄笑いで果実酒を転がす。
そんな穏やかな空気をぶち壊すように、一人の若造が店に転がり込んできた。
ネイトだ。
いつもなら「修行の成果を見てください!」とかうるさい野郎だが、今日は肩を落とし、剣を杖代わりにして、今にも泣き出しそうな顔をしていやがる。
「……ガンツさん。俺、ダメです。森で『風刃の群狼』に手も足も出なくて、逃げ帰ってきました」
その言葉に、酒場が少し静まり返った。
『風刃の群狼』。一匹なら大したことはねえが、群れとなれば話は別だ。風の刃を纏って、死角から襲ってくる。
ネイトの情けない姿を見てると、さっきまでの孫への慈しみなんてどこかに飛んでいったぜ。
「情けねえツラすんじゃねえ! 筋肉ってのは、逃げるために鍛えるもんじゃねえぞ。おい、行くぞ」
「えっ、今からですか?」
「当たり前だ。筋肉の本当の使い所ってのを、その身体に叩き込んでやる」
◇
結局、過保護な石頭と細いのもついてくることになった。
森の奥。新緑の香りが立ち込める中、数匹の狼が俺たちを囲む。
「いいか、ネイト。あいつらは速い。だが、空気の流れを読みゃあ、次にどこへ跳ぶか分かる。俺たちは手を出さねえ。お前一人でやってみろ」
俺は大盾を地面に突き立てて、腕組みをした。
ネイトが震える手で剣を構える。狼が一斉に牙を剥いて飛びかかった。
「クッション防御だ! 衝撃を殺せ!」
俺の怒鳴り声に合わせて、ネイトが盾の角度を変える。
だが、狼の動きは鋭い。一匹を弾いた隙に、もう一匹の爪がネイトの喉元に迫る。
——その一瞬だった。
ゴドが足元にあった小石を、指先でピッと弾いた。
目にも止まらぬ速さで飛んだ石が、空中の狼の眉間に命中し、その姿勢がわずかに崩れる。
「おや、足元のそよ風のような手助けに救われましたな、若造」
石頭が澄ました顔で呟く。
さらに、狼が風の刃を放とうとした瞬間、フィスの周囲の空気が不自然に揺れた。
<送風>。
フィスが放ったごく微弱な風が、狼の魔力を散らし、刃の軌道をわずかに逸らした。
「おっと、危ないねぇ。今日は少し、風向きが不安定みたいだ」
チャンスだ。俺はネイトの背中に、岩のような掌を叩きつけた。
「行け! 筋肉を連動させろ!」
俺の叩いた衝撃が、ネイトの崩れかけた重心を無理やり修正し、奴の身体に爆発的な踏み込みをさせた。
ネイトの剣が、狼の首筋を深々と切り裂く。
最後の一匹が絶命した時、ネイトは膝をつきながらも、自分の手を見て震えていた。
「……やった。俺、やりましたよ、ガンツさん!」
◇
「錆びた剣亭」に戻った時には、もう月が天高く昇っていた。
ネイトは、隣の「陽だまりの樽亭」の仲間たちに自慢しに行くと見えて、足取りも軽く去っていった。
自分の力だけで勝ったと思い込んでる幸せな野郎だ。
カウンターに戻ると、ガストンが黙って三つのジョッキを並べた。
「……あんたたちも、甘いねぇ」
ミナが呆れたように笑いながら、つまみの干し肉を持ってきた。
「甘い? 俺はただ、背中を叩いただけだぜ。重力ってやつを教えてやったのさ」
俺は照れ隠しに、温くなったエールを煽った。
「私のは、ただの石ころの弾道計算です。物理学ですよ」
石頭が皮肉っぽく言い返す。
「私は空気を入れ替えただけ。掃除は魔法使いの基本だからねぇ」
細いのも肩をすくめる。
まだまだあの若造には負けられねえが、こうやって誰かに技を継承していくのも、悪くない気分だ。
俺は再びジョッキを掲げた。隣の老冒険者の膝の上で眠る仔狼と、あのお調子者の弟子に思いを馳せて。
「いつか俺たちを追い抜く新芽と、今夜の不器用な乾杯に乾杯!」




