第40話 『二十年前のツケを回収しに森へ入り、遅刻魔の財布を叩きつけてやった話』
年の瀬の錆びた剣亭は、大掃除の慌ただしさと活気に包まれております。
ガストン殿が厨房の煤払いをする横で、おかみのマーサ殿はカウンターに座り、古い帳簿の整理をしておりました。
エールを舐めながらその様子を眺めていた私の目に、ふと、マーサ殿の指先が止まったのが映りました。彼女が帳簿の奥から引き抜いたのは、いつ書かれたものか分からないほど黄ばんだ、一枚のツケの証文でした。
マーサ殿は短く息を吐き、それをパチパチと音を立てる暖炉の火へ放り込もうと腕を伸ばしました。
私は思わず席を立ち、その紙片を指で挟み取っておりました。
「……二十年前のものですな」
かすれて読みにくいインクの文字。たしか、大物を狩って必ず耳を揃えて払うと大見得を切って、深い森の奥へ入ったまま帰らなかった、威勢のいい若手冒険者のものでした。
マーサ殿は何も言わず、ただ静かに私を見つめました。
「借金を踏み倒させるわけにはいきませんな。……錆びた剣亭の常連として、示しがつきません」
私がそう呟くと、隣でジョッキを傾けていた筋肉殿が黙って立ち上がりました。フィス君も、薄く笑いながら杖を手に取りました。
誰に頼まれたわけでもありません。ただの、生者の勝手なケジメというやつです。
◇
凍てつくような冬の森は、気味が悪いほど静まり返っていた。
俺たちが向かったのは、人間が寄り付かねえ深い森の最奥だ。二十年前、あの大口叩きの若造が向かったとされる場所。そこには、森の主とも呼ばれる長寿の魔獣、『苔むした大蛇』がとぐろを巻いている。
落ち葉を踏む音すらしねえ。石頭が先頭で影のように索敵し、俺と細いのが続く。
大樹の入り組んだ根元、巨大な洞窟の入り口に、そいつはいた。
樹皮のように分厚く変色した鱗、濁った黄色い目。二十年間、何人もの身の程知らずを丸呑みにしてきた化け物だ。
だが、言葉はいらねえ。俺たち三人の間に、合図なんざ必要なかった。
石頭が地を這うように滑り出し、特製の潤滑油を塗り込んだワイヤーで大蛇の首を背後の大樹に縛り付ける。蛇が身を捩って悲鳴を上げようとした瞬間、俺はすでに踏み込んでいた。
大盾で巨大な毒牙ごと頭を地面に押さえつけ、腰の捻りだけで剛斧を振り下ろす。
硬い鱗ごと、頭蓋を叩き割る鈍い音だけが響いた。
あっけない幕切れだ。俺たちの連携は、何十年もかけて研ぎ澄まされた、ただ確実に命を奪うためだけの作業だ。派手な活劇なんざ、酒場の作り話の中だけで十分だぜ。
◇
無残に頭を割られた大蛇の奥、暗い巣穴には、おびただしい数の獣の骨や、消化されなかった武具のガラクタが散乱していた。
私は静かに杖を構えた。
「やれやれ、ずいぶんと散らかっているね。これでは埋もれた過去を探し出すのも一苦労だ」
ガンツと隊長が黙って僕の言葉を聞いている。
「どんなに深く沈んだ時の地層だろうと、僕たちの目から逃れられるものはない。さあ、風化した記憶のベールを剥ぎ取ろうじゃないか」
私の中で練り上げられた魔力が、杖の先で静かな旋風に変わる。
生活魔法、<大掃除>。
突風が巣穴の土埃とこびりついた腐敗臭を根こそぎ吹き飛ばし、陽の光の下にすべてを晒け出した。
その隅に、ひどく錆びついた鉄の剣と、革の紐がちぎれた小さな財布が転がっているのを見つけた。中には、黒ずんだ数枚の銀貨と銅貨が入っていた。
◇
夜の錆びた剣亭。
僕たちはカウンターに戻り、隊長がマーサのおかみの前に、泥を払った財布と硬貨を並べた。
おかみは何も言わず、硬貨を引き出しにしまい、あの黄ばんだ証文を取り出した。そして、赤いインクをつけた帳簿用の判を、ゆっくりと、力強く押し当てた。
「済」という文字が、二十年の時を経てようやく刻まれた。
ガンツが、一番安いエールがなみなみと注がれた木組みのジョッキを、誰も座っていない空の席にドンと置いた。
「……遅ぇぞ、馬鹿野郎」
ぽつりとこぼしたその声は、ひどく掠れていた。
僕たちはそれぞれのグラスを手に取り、誰からともなく掲げた。英雄の凱旋には程遠い、ただの年老いた冒険者たちの静かな夜だ。
「遅れてきた馬鹿野郎のツケと、今日を生き抜いた生存者に乾杯!」




