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第4話 『王都の天才が詠唱してる間に、<洗浄>と物理で仕事を終わらせた話』

「月が綺麗だねぇ。ああいう夜は、ワインのコルクを抜く音が、まるで天使の囁きのように聞こえるものさ」


 僕はグラスを照明にかざし、揺らめく真紅の液体を眺めて目を細める。

 ここ「錆びた剣亭」のワインは、管理が行き届いている。温度、湿度、そして注ぎ方。どれをとっても一級品だ。

 隣では、脂ぎった肉を貪るオーク……じゃなくてガンツと、ちびちびとナッツを齧るリス……じゃなくてゴドが、相変わらず騒がしいけれど。


「おい細いの(もやし)、さっきからニヤニヤして気味悪いぞ。また変な薬草でもキメたか?」


「失敬な。僕は勝利の余韻に浸っているだけさ。君たちみたいに、汗と血の臭いを撒き散らして帰ってくるのとはわけが違うんだよ」


 (ボク)はフォークで白身魚のポワレを突き、優雅に口へ運ぶ。

 淡白な魚の身に、香草のソースが絡み合う。実にエレガントだ。

 今日の仕事――下水道に住み着いた『廃油スライム』の群れの中から、貴族の奥方が落とした指輪を探し出す――という、想像するだけで鼻が曲がりそうな依頼を完遂した後だとは思えないだろう?


 カラン、コロン。

 ドアベルが鳴り、一人の若者が店に入ってきた。

 仕立ての良いローブは泥と油でドロドロに汚れ、顔色は土気色。肩で息をしていて、今にも倒れそうだ。

 おや、あれは今日の「相棒」じゃないか。


「こ、ここは……? み、水……水をくれ……」


 彼は王都の魔法学院を首席で卒業したとかいう、エリート魔法使い君だ。

 確か名前は……忘れたな。まあ「エリート君」でいいか。

 彼は僕の姿を見つけると、信じられないものを見るような目で指を差した。


「な、なぜだ……! なぜ貴様がここにいる!? 私が必死で『廃油スライム』と交戦している間に、逃げ出したのではなかったのか!?」


 店中の視線が集まる中、僕は優雅にワインを一口飲み、微笑んで答えた。


「人聞きが悪いねぇ。僕は言ったはずだよ。『お先に失礼』って。君の詠唱は荘厳すぎて、僕のような凡人は霧のように存在感を消すしかなかったのさ」


 そう。

 今日、彼は張り切っていた。

 薄暗く、異臭漂う下水道で、彼は杖を掲げて高らかに詠唱を始めたのだ。


『偉大なる炎の精霊よ、我が呼びかけに応え、不浄なる粘液を焼き尽くせ……<火球>!』


 長い。あまりにも長い。

 彼が美しい発音で古代語を紡いでいる間に、スライムたちはにじり寄ってくる。

 ようやく発動した<火球>は、確かに明るく燃え上がったけれど、水分と油分をたっぷり含んだスライムには「ちょっと熱いお風呂」程度。逆に熱で活性化して、飛び跳ねた油で彼自身が火傷しそうになっていた。


 嘆かわしいね。魔法というのは、もっとスマートであるべきだ。

 僕は彼の後ろで、指先を軽く振った。


 <洗浄>。


 ただの生活魔法だ。主婦が皿洗いに使うやつさ。

 だけど、対象を「スライムの体を構成する汚水と油」に限定して、全力で発動すればどうなると思う?

 

 シュボッ。

 音もなく、スライムの体積の九割が一瞬で消滅する。

 残るのは、地面に転がる小さな核だけ。

 僕はエリート君が「くそっ、なぜ燃え尽きないんだ!」と叫んで杖を振り回している隙に、闇に紛れてその核に近づき――。


 ゴンッ。


 持っていた杖で、ほんの少し強めに「撫でて」あげた。

 もちろん、エルフ特有のインナーマッスルと、遠心力を乗せてね。

 核は粉々に砕け、スライムは沈黙。まるで水が流れるようにスムーズな作業だったよ。

 その中から転がり出た指輪を拾い上げ、僕は<洗浄>できれいにして、そのまま出口へと向かったというわけさ。


「……信じられん。あの大群を、貴様はどうやって倒したんだ? <爆裂>か? それとも<連鎖雷撃>か?」


 エリート君が、僕のテーブルに詰め寄ってくる。

 僕は肩をすくめた。


「まさか。そんな野蛮な魔法は使わないよ。僕はただ、彼らと対話し、自然に還ってもらっただけさ。魔法とは、激流に逆らうのではなく、波に乗るようなものだからね」


「た、対話だと……? 波に乗る……?」


「そう。魔法とは心。力でねじ伏せるのではなく、(ことわり)を解くのさ」


 僕がもっともらしい嘘をつくと、エリート君はポカンと口を開け、それから悔しそうに拳を握りしめた。


「くっ……これが、辺境の古き魔法使いの実力……! 私は、魔法の真髄をまだ理解していなかったというのか……!」


 彼はガックリと肩を落とし、ミナちゃんに水を貰って、トボトボと店を出て行った。

 素直でいい子だねぇ。いつか大成するかもしれないよ。


「……おい細いの(もやし)。お前、またやったな?」


 ガンツがジト目で僕を見てくる。


「何のことだい?」


「『対話』ねぇ。お前の杖の先端、ちょっと凹んでねえか? あと、さっきから微かに『核が砕ける硬い音』が耳に残ってる気がするんだが」


「おやおや、ガンツ。耳鳴りじゃないのかい? 年のせいだねぇ」


「……フィス君。君の<洗浄>の使い方は独特ですが、それ以上に君の『物理的対話』は洗練されていますからな。まあ、あの若者が余計な自信を喪失し、代わりに間違った魔法理論を信じ込んでしまったのは同情しますが」


 ゴドが呆れたようにワインを注ぎ足してくれる。

 僕は笑ってグラスを掲げた。


「結果が全てさ。指輪は戻り、若者は学び、僕はこうして美味いワインにありついている。誰も損をしていないじゃないか」


「まあ、そうだな。お前が杖で殴ろうが魔法で消そうが、俺たちの酒が美味けりゃそれでいい」

「違いない」


 僕たちは顔を見合わせ、声を合わせて笑った。


 魔法使いは非力? 詠唱が必要?

 そんな常識に縛られているうちは、この辺境じゃ三日と持たないよ。

 本当に必要なのは、どんな手段を使ってでも生き残り、こうして美酒に酔うこと。

 それが、僕の魔法なのさ。


「……スマートな『対話』と、汚れなき一級品のワインに乾杯」

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