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第39話 『水没遺跡の巨大カビを乾燥させたら、仲間までミイラ一歩手前になった話』

 芳醇な葡萄の香りが、グラスの底で静かに揺れている。


 錆びた剣亭の隅の席。 (ボク)は上質な赤ワインの滑らかな舌触りを堪能しながら、目の前の惨状に薄く笑いを漏らした。


 ガンツと隊長(たいちょー)、そして見慣れない若手冒険者たちが三人。彼らは皆、目を血走らせて大きなジョッキに注がれた水と薄いエールを、まるで砂漠を何日も彷徨った亡者のように胃袋へと流し込んでいる。


「ぷはぁっ! 死ぬ……干からびて死ぬところだったぜ……!」


 ガンツの唇はひび割れ、普段は岩のように艶のある筋肉も心なしか萎びているように見える。


「まったくです……。内臓の水分まで根こそぎ奪われる感覚など、拷問でも味わいたくありませんぞ」


 隊長(たいちょー)も髭の先までパサパサになっており、恨めしそうな目で (ボク)を睨みつけてきた。


 やれやれ、命を救ってあげたというのに、ずいぶんな言い草だね。(ボク)としては、最も効率的で被害の少ない解決策を選んだつもりだったのだけれど。


 ◇


 事の起こりは、水没した地下遺跡での探索任務だった。


 足首まで冷たい水に浸かりながら、苔むした石畳を歩くのはひどく骨が折れる。僕たちは慎重に奥へと進んでいたのだけれど、ふと前方から若者たちの悲鳴が聞こえてきた。


 駆けつけると、そこには街の斡旋所で見かけたことのある若手パーティが、壁一面を覆う緑色の巨大なゼリー状の魔獣に飲み込まれかけていた。


 『巨大カビ粘菌』。


 じめじめとした環境を好み、獲物を捕らえてはゆっくりと消化していく厄介な生き物だ。


 ガンツが即座に大斧を振り下ろしたが、刃は粘菌の体をすり抜けるだけで、すぐに再生してしまう。若手の一人が放った火の魔法も、周囲の湿気と魔獣自身の水分のせいで、ただの湯気を立てただけで消えてしまった。


 物理も炎も通じない。まさに絶体絶命の窮地だね。


「ちきしょう、斬れねえ! 細いの(もやし)、何とかならねえのか!」


 ガンツの悲痛な叫びに、僕は小さくため息をついて前に出た。


 魔法というものは、力任せに放てばいいというものではない。(ボク)が編み出すのは、世界の理をほんの少しだけ書き換える芸術だ。


  (ボク)は愛用の杖を構え、もがき苦しむ若者たちに向かって優しく語りかけた。


「やれやれ、ずいぶんと湿っぽい歓迎だね。まるで泥水に沈んだ落ち葉みたいだ。もっと軽やかに、秋風に吹かれる枯れ葉の舞のように踊ろうじゃないか」


 言葉を紡ぐ。それはただの会話ではない。魔力を編み上げるための設計図だ。


「ほら、君たちも声を出してごらん。恐怖で声も出ないかい? まるで砂漠を三日三晩歩き続けた後の、ひび割れて乾いた喉のようだね」


 (ボク)の体内に蓄積された魔力が、言葉という器に注ぎ込まれ、周囲の空間に干渉し始める。空気中の水分が微かに震え、僕の杖の先へと集束していく。


「さあ、じめじめした陰鬱な時間は終わりだ。冷たい泥を払い落とし、全てを焼き尽くすような、情熱的な太陽の抱擁を受け入れよう」


 十分だ。枯れ葉、乾いた喉、太陽。これだけ極限まで水気を嫌う概念を重ね合わせれば、術式は完璧に構築される。


 対象は眼前の魔獣と、この空間の余剰水分すべて。


 僕は静かに杖の石突きを石畳に打ち鳴らした。


 生活魔法、<強力除湿>。


 ◇


 その瞬間の光景は、なかなか滑稽だったね。


 パァン、という乾いた破裂音と共に、遺跡内の空気が一瞬にして限界まで奪い去られた。


 膨大な水分で構成されていた『巨大カビ粘菌』は、悲鳴を上げる間もなくその体積を十分の一以下に収縮させ、パリパリに乾燥した緑色の粉末となって崩れ落ちたのだから。


「けほっ、ごほっ……な、なんだこれ……!」


 カビの粉塵の中から這い出してきた若手たちは、確かに助かった。物理法則を無視した圧倒的な乾燥能力の前に、水生魔獣など無力に等しい。


 ただ、少々効果範囲を広げすぎたかもしれないね。


「お、おい……喉が……肌が、ガサガサだぜ……」


 ガンツが己の腕をさすりながら呻き声を上げた。見れば、彼も隊長(たいちょー)も、そして助け出された若者たちも、全員の唇がひび割れ、肌は粉を吹き、まるでミイラの一歩手前のような無惨な姿になっていた。


 生物から水分を奪う。それは、どんな鋭い刃よりも静かで、そしてえげつない暴力だ。


 (ボク)は自身の肌の潤いを保つための魔力結界を張っていたから無傷だったけれど、彼らにそこまで気を配る余裕はなかったからね。


 ◇


「……というわけで、彼らは今に至るというわけさ」


  (ボク)はワイングラスを傾けながら、喉を鳴らして水分を補給し続ける男たちを眺めた。


「笑い事じゃねえぞ、細いの(もやし)……。あと少しであのカビと一緒に粉末になるところだったんだからな」


「全くだ。君の魔法は、時として魔獣よりも質が悪い」


 ガンツと隊長(たいちょー)の文句も、干からびた声ではいまいち迫力に欠ける。


「ふふ、ご不満のようだけれど、水分のありがたみが身に染みて分かっただろう? 生かされていることに感謝することだね」


 僕が潤った肌を見せつけるように微笑むと、彼らは恨めしそうに僕から目をそらし、再びジョッキへと顔を突っ込んだ。


 今夜の酒場は、いつもよりずっと水の消費量が多そうだ。


「カサカサに乾いた哀れな男たちと、命を繋ぐ一杯の潤いに乾杯!」


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