第36話 『巨大な岩石をフリスビーにして、地形と私の胃袋を破壊した二人の話』
芳醇なピートの香りが鼻腔をくすぐります。実に素晴らしい薬草リキュールですな、これは。胃の痛みを散らすには、これくらい強烈な風味と度数でなければいけないのです。
ええ、飲まずにはいられないのですよ。今日の私の胃袋は、それほどまでに荒れ果てているのですから。あの二人が荒らした、北の採石場への道程と同じように。
事の発端は、斡旋所長のバーン殿からの依頼でした。
街の防壁を補強するため、近隣の採石場から巨大な切り出し岩を運んでほしい、というものでしたな。馬車など通れぬ悪路ゆえ、屈強な荷運び人が必要だったのでしょう。
「無理はいかんぞ、お歴々! 腰を痛めぬよう、休み休み行くのだぞ!」
出発前、あの熱血漢は我々を労わるつもりで大声で叫んでおりました。我々を庇護すべき老人と勘違いしている彼の優しさは、時に鬱陶しくもありますが、無下にもできません。
「ご安心を。私が現場監督として、彼らの手綱をしっかり握っておきますゆえ」
そう応えた時の自分を、今の私は小一時間ほど問い詰めたい気分です。手綱など、初めから存在しなかったのですから。
◇
道中、巨大な岩を背負って歩く筋肉殿の姿は、さながら歩く岩山のようでした。
「おう、石頭。この程度の岩、俺の筋肉にかかれば羽毛みたいなもんだぜ。なぁ、細いの」
「ふふ、そうだね。良い散歩日和だよ」
その横で、細身のフィス君もまた、筋肉殿と同サイズの巨岩を平然と担いでおりました。溜め込んだ魔力を肉体に還元しているから、と言われても納得がいかない業ですが。
問題が起きたのは、街道の半ばを過ぎた岩場でのこと。
突如として地面が隆起し、我々の行く手を塞いだのです。現れたのは『岩石ヤドカリ』の群れ。硬い岩を背負い、鋭い鋏で獲物を狙う厄介な魔獣です。
「おや、伏兵ですか。ここは私の特製罠で足止めを……」
私が背嚢からワイヤーを取り出そうとした、その時でした。
「邪魔だぜ、虫ケラどもが。俺の筋肉が道を開けてやる!」
筋肉殿が背中の巨岩を放り投げ、最前列の『岩石ヤドカリ』の殻を鷲掴みにしたのです。そしてあろうことか、その巨体ごと持ち上げ、後続の群れに向かって全力で投げつけました。
轟音と共にひしゃげる魔獣の殻。飛び散る岩の破片。
呆然とする私の横で、フィス君が楽しそうに笑いました。
「やれやれ、ずいぶんと浮き足立った魔獣だね。少しばかり重圧を与えてあげようか。どうだい、空を飛ぶ気分は。地に根を張ることを忘れた罰だよ」
その言葉と共に、フィス君は足元の岩盤を蹴り砕き、手頃な……といっても馬車ほどの大きさの岩を拾い上げました。彼が日々の言葉遊びで練り上げた魔力が、杖ではなくその細腕に極限まで圧縮されているのが、私にはわかりました。
彼もまた、その巨岩を、まるで子供が円盤を投げるかのように軽々と放り投げたのです。
「おいおい、細いの。俺の獲物を横取りすんじゃねえぞ。そっちがその気なら、どっちが遠くまで飛ばせるか勝負だろ!」
「ふふ、君の筋肉と僕の技術、どちらが理にかなっているか証明してあげるよ」
もはや、止める言葉も出ませんでした。
巨大な岩石と、それに巻き込まれた哀れなヤドカリたちが、次々と宙を舞っては地面にクレーターを作っていきます。彼らの投擲競争によって、かつての悪路は更地となり、周囲の地形すら変わっていくのを、私はただ無表情で見つめるしかありませんでした。
◇
「……というわけです、マーサ殿。彼らの功績で道は開拓されましたが、採石場の地形図は書き直しになるでしょうな」
「まあ。防壁の石材が無事に届いたのなら、とりあえずは良しとしましょうか。それにしても、呆れた体力ですね」
おかみであるマーサ殿が、冷ややかに笑いながら空のグラスを下膳していきます。
カウンターの隅では、筋肉殿とフィス君が、どちらの投げた岩がより美しい放物線を描いていたかで言い争いながら、エールとワインを煽っておりました。
本当に、彼らが私の部下でなくて良かったと、心から安堵しております。あのような規格外の馬鹿者どもを御すなど、かつての私でも不可能に近いのですから。
さて、グラスが空になりました。ガストン殿、同じ薬草リキュールをもう一杯頼みます。
「地形を変える馬鹿者二人と、私の可哀想な胃袋に乾杯!」




