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第3話 『古代遺跡で「逃げるが勝ち」を実践し、学者の悲鳴をBGMにした話』

「嘆かわしいことです。まったくもって、嘆かわしい」


 私はグラスの中で揺れる琥珀色の液体を透かし見ながら、深いため息をつきました。

 ここ「錆びた剣亭」のカウンターは、今日も素晴らしい静寂と、燻製肉の良い香りに満ちています。

 ですが、私の心は乱れているのです。今日という一日が、あまりにも非効率的だったがゆえに。


「どうしたんだよ、石頭(おやじ)。せっかく高い依頼料が入ったってのに、眉間のシワがすげえぞ」


 隣で骨付き肉にかぶりついているのは、筋肉殿(ガンツ)だ。

 口の周りを脂だらけにして、野蛮極まりない。


「そうだよぉ。今日の依頼主の学者先生、追加報酬まで弾んでくれたじゃないか。『二度と顔も見たくない』って捨て台詞付きでさ」


 反対隣で優雅にワインを回しているのは、魔法使い殿(フィス)だ。

 相変わらず人を小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべています。


「それが不服なのです。あの学者は、私の完璧な仕事ぶりを『臆病風に吹かれた』と罵ったのですよ。信じられませんな、プロの仕事を理解できない素人というのは」


 私は強いピートの香りがする蒸留酒を、舌の上で転がしました。

 喉を焼く熱さが、少しだけイライラを鎮めてくれます。


 本日の依頼は、王都から来たという考古学者の護衛でした。

 目的は、森の奥深くにある古代遺跡の調査。戦闘能力を持たない彼の安全を確保し、遺跡の奥へ導くのが私の役目です。

 筋肉殿(ガンツ)魔法使い殿(フィス)は入り口での待機要員。遺跡内部のような狭い場所では、大斧や魔法は崩落の危険があるため、私一人で十分と判断したのです。


 遺跡の入り口をくぐった時点で、私は気づいていました。

 床の石畳に微細な擦れ跡。空気の流れに違和感。そして、カビ臭さに混じる油の臭い。


「『鉄騎士の像』が三体、起動待機状態でした。それに、通路には<感知>を阻害する結界と、連動式の落とし穴。あそこは調査する場所ではありません。死にに行く場所です」


「へぇ、あそこの遺跡、そんなに生きてたのか。で、石頭(おやじ)はどうしたんだ?」


 筋肉殿(ガンツ)がエールを飲み干し、興味なさそうに尋ねます。


「当然でしょう。私は学者に『撤退』を進言しました。ですが、彼は聞く耳を持たなかった。『歴史的発見が目の前にあるのだ!』と喚き散らし、あろうことか、私が解除を警告した床のタイルを踏もうとしたのです」


 思い出すだけで悪寒が走ります。

 あのタイルを踏めば、天井から硫酸の雨が降り注ぐ仕掛けになっていました。私の<罠探知>のスキルがなければ、今頃彼はドロドロの有機物になっていたことでしょう。


「だから、私は実力行使に出たのです」


「実力行使って……お前、まさか依頼人を殴ったのか?」


「人聞きの悪いことを言わないでいただきたい。鳩尾に軽く、呼吸を整えさせるための一撃を入れただけです」


 私は気絶して膝から崩れ落ちる学者を担ぎ上げ、全力で駆け出しました。

 その瞬間、背後で『鉄騎士の像』が動き出す重低音が響き渡りましたが、私の逃げ足は風よりも速い。

 遺跡の入り口まで走り抜け、待機していた二人に「ずらかるぞ!」と合図を送ったのです。


「あれは傑作だったねぇ。ゴドが小脇に抱えたおっさんが、目を覚まして『私の栄光がぁ!』って叫びながら運ばれていくんだもの」


 フィス君がクスクスと笑います。


「逃げる、というのは恥ではありません。最も高度な戦術なのです。死んでしまえば、酒も飲めない。金も使えない。次の一手を打つ機会すら失われる。生きて帰る、それこそが冒険者の唯一絶対の勝利条件だというのに……」


 私はグラスを強く握りしめました。

 若手の冒険者たちは、すぐに剣を抜きたがります。魔獣を見れば倒そうとし、宝箱を見れば開けようとする。

 ですが、真のプロフェッショナルとは「戦わないこと」を選ぶ勇気を持つ者のことを言うのです。

 罠を解除し、危険なルートを回避し、敵の感知範囲外をすり抜ける。

 誰も傷つかず、誰も死なず、ただ目的だけを達して帰還する。それが私の美学。


「ま、俺としちゃあ、その鉄人形とやらと一戦やりたかったけどな。錆びついた関節を斧で叩き割る感触、悪くねえし」


「これだから脳まで筋肉の男は困ります。あの狭い通路であなたが暴れれば、生き埋めは確定でしたよ」


「はっ! 埋まったら掘り出せばいいだろ、筋肉で!」


「……議論になりませんな」


 私は呆れて、店主のガストンに目配せをしました。

 無言の巨漢店主が、スッと新しい皿を差し出します。

 『森キノコと木の実のオイル漬け』。

 森の香りが凝縮された、保存食としても優秀な一品です。


「……いい仕事だ」


 私は一つを口に放り込み、咀嚼します。

 素朴ながらも深い味わい。計算された塩加減。

 派手さはないが、確かな技術に裏打ちされたプロの味。

 

 やはり、この店はいい。

 私の仕事を理解してくれるのは、この静かな空間と、美味い酒だけなのかもしれません。


「まあまあ、ゴドさん。その学者さんも、街に戻って酔が覚めたら感謝してたわよ? 『あのドワーフがいなきゃ死んでいた』って、震えながら追加の金貨を置いていったんだから」


 ミナさんが、私の空いたグラスに新しい氷を入れながら笑いかけてくれました。


「ふん。当然です。私の計算に間違いはないのですから」


 私は少しだけ口元を緩め、新しい琥珀色の液体を注ぎ入れました。

 カラン、と氷が鳴る。

 今日も私たちは生きている。

 愚かな依頼人も、五体満足で家族の元へ帰した。

 

 完璧な仕事の後の酒は、やはり格別ですな。


「……計算された『撤退』と、生きて味わう美酒に乾杯」

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