第27話 『火力と筋肉が街を焼こうとするので、生活魔法で丸洗いしてやった話』
グラスの中で揺れる赤ワインは、血よりもずっと美しい。私はそんな感傷に浸りながら、芳醇な香りをゆっくりと鼻腔へと滑り込ませた。
「だから貴様は三流なのだ! 魔法使いたるもの、己の肉体を極限まで鍛え上げ、魔力を筋肉に宿してこそ真の威力が発揮される!」
「馬鹿を言え、この脳筋野郎! 魔法の真髄は圧倒的な火力にある! 灰燼に帰す爆炎こそが全てを解決する正義だろうが!」
……騒がしいことだ。
背後のテーブル席では、何やら見覚えのある若者二人が、エール片手に激しい口論を繰り広げている。
一人はいつぞや下水道でスライム退治を手伝ってくれた、王都のエリート君。もう一人は以前、この店でボヤ騒ぎを起こした紅の鷹の魔導士君じゃないか。
どうやら「筋肉」と「爆炎」という、お互いの譲れない信仰が激突してしまったらしい。人間の寿命はエルフの私から見れば瞬きのようなものなのに、そんな短い時間を大声で言い争うことに費やすなんて、本当に贅沢な生き物だ。
隣の席では、ガンツが呆れたように骨付き肉を齧り、ゴドが眉間に皺を寄せてチーズを口に運んでいる。
「……騒がしいですな。論理の欠片もない神学論争は、外でやっていただきたいものです」
「放っておけよ、石頭。若えのが元気なのはいいこった」
ガンツは肉の脂を舌で舐めとりながら笑っているが、私も隊長に同意だ。静けさがないと、美味しいワインの味が落ちてしまう。
◇
「大変! みんな、広場に魔獣が出たわ!」
バンッと店の扉が開き、ミナが息を切らせて飛び込んできた。
その声に、言い争っていた若き魔法使いたちの目の色が変わった。手柄を立てて、己の理論の正しさを証明する絶好の機会だと思ったのだろう。二人は我先にと店を飛び出していく。
やれやれ、嫌な予感がするね。私もグラスを置き、ゆっくりと立ち上がった。
「ガンツ、隊長。ちょっと様子を見てくるよ」
二人に声をかけ、店の外へと歩み出る。
広場の中心には、全身からメラメラと炎を吹き出す巨大な鳥がいた。
『火喰い鳥』だ。山火事の跡などによく現れる、炎を食らう魔獣。厄介なことに、あいつ自身が動く発火装置のようなものだ。
「見ろ! 私の筋肉に宿る魔力の重撃を!」
エリート君が杖を構え、筋骨隆々のフォームで鳥に向かって突進しようとしている。あれで殴りつけたら、火の粉が四散して周囲の屋台や木造の建屋に燃え移ってしまう。
「退け! 私の爆炎魔法で、広場ごと消し炭にしてやる!」
紅の鷹君に至っては、街の中心だというのに、とんでもない質量の魔力を練り上げている。広場ごとって、君は街を焼くつもりかい?
被害を考えない若者の暴走は、まったくもって恐ろしい。これだから人間は、目を離すとすぐに世界を壊そうとする。
「二人とも、そこまでにしておきなよ」
私は軽やかに地を蹴り、熱風の吹き荒れる広場の中心、二人の魔法使いと『火喰い鳥』の間に降り立った。
「なっ、貴方は……筋肉魔法の師匠!」
「お前は、下水道の時の地味な生活魔法使い!」
驚く二人を背に、私は薄く笑って、羽ばたく魔獣を見据える。
「はあ……君たち、あんまり熱くなると息が詰まるよ」
言葉を紡ぐ。それはただの忠告ではない。私の体内に眠る膨大な魔力を、日常の言葉という鋳型に流し込んでいく作業だ。
「せっかくの若き情熱には冷や水を浴びせるようで悪いけれど」
魔力が形を成し、大気中の理を書き換える準備が整う。
「この騒ぎは僕が、綺麗に洗い流してあげる」
言葉の連鎖が完了した瞬間、私は右手の指をパチンと鳴らした。
――発動。
使用したのは、なんの変哲もない二つの生活魔法だ。
一つは、対象の周囲の空気を奪い去る<酸素遮断>。
もう一つは、汚れを水と魔力で落とす<洗浄>。
パニックを起こして逃げ惑う街の住人たちや、背後の若者二人には、何が起きたのか全く分からなかっただろう。
『火喰い鳥』の全身を覆っていた猛烈な炎は、音もなく、爆発することもなく、一瞬にしてふっと消え去った。燃えるための空気を完全に奪われたからだ。
と同時に、大量の清冽な水流が魔獣を包み込み、煤や余分な熱、そして獣特有の厄介な毒素までを瞬時に洗い流した。
「ピィ……?」
炎を失い、羽を綺麗に洗われてずぶ濡れになった『火喰い鳥』は、間抜けな鳴き声を上げてその場にバタリと倒れ込んだ。急激な環境変化による、ただの気絶だ。
焦げ跡ひとつない広場の石畳に、涼やかな風が吹き抜ける。
「な……魔法陣の展開も、詠唱すらもなく……無音で炎を?」
「しかも、街には一切の被害を出さず、対象の熱源のみを完全に無力化だと……? い、いったいどれほどの精密な魔力制御と筋肉の連動があれば、あんな神業が……!」
紅の鷹君はへたり込み、エリート君はワナワナと震えている。
「ただの害鳥駆除さ。広場を汚したらいけないからね。それに、丸焦げにしちゃったら、美味しく食べられないじゃないか」
私が愛用の杖を肩に担いで振り返ると、二人は信じられないものを見るような目でこちらを見上げていた。
「さあ、この綺麗な鳥をガストンのところに持っていこう。今日のメインディッシュは決まりだ」
気絶した鳥の足を掴んで引きずりながら、「錆びた剣亭」のカウンターへと戻る。
私が定位置に腰を下ろすと、いつの間にかエリート君と紅の鷹君はすっかり大人しくなって、店の隅のテーブル席でちびちびとエールを飲んでいた。どうやら、火力の大きさや筋肉の量だけが魔法の全てではないと、少しは学んでくれたらしい。
無言で差し出されたガストンの皿には、先ほどの鳥が見事な香草焼きとなって湯気を立てている。
私はグラスを持ち上げ、隣の二人に微笑みかけた。
「無傷の石畳と、極上の丸焼きに乾杯!」




