第25話 『断崖絶壁を盾で滑り降り、命がけで栓を抜いた幻の一杯の話』
冒険者ってのは、二種類の人間しかいねえ。
金のために死ぬバカと、名誉のために死ぬバカだ。
だがな、俺たちみてえなベテランになると、もう一つ上のステージに行きちまうんだよ。
「……美味い酒のためなら、地獄の釜の底でも這いずり回る大バカにな」
俺は泥だらけの顔を拭いもせず、カウンターにドカッと座った。
隣の石頭も、その隣の細いのも、全身が泥と煤でコーティングされてやがる。まるで泥人形の三連星だ。
事の発端は今朝のことだ。
石頭が血相を変えて店に飛び込んできやがった。
「緊急事態ですぞ! 北の『断崖廃寺』に、あの伝説の醸造家、バッカス爺さんが隠した『竜の溜息』が眠っているという情報が入りました!」
『竜の溜息』。一口飲めば、その芳醇な香りで竜さえも夢見心地になるという、幻の熟成酒だ。
俺たちは顔を見合わせた。
報酬はゼロ。危険度はS級。
だが、三人の答えは一つだった。
「「「行くぞ」」」
……で、結果がこのザマだ。
道中は酷いもんだったぜ。
まず、廃寺までの道がない。あるのは垂直に近い崖だけだ。
俺はどうしたと思う? 愛用の大盾をソリ代わりにして、崖を一気に滑り降りてやったのさ。
摩擦で盾が真っ赤に熱せられて、ケツが焼き肉になるかと思ったぜ。
次に待ち受けていたのは、『雷雲蜂』の大群だ。一匹で牛をショック死させる電気虫どもが、黒い雲みてえに襲ってきやがった。
そこで石頭が、懐から『特製発煙筒』を取り出した。中身はなんと、三ヶ月履き潰した靴下の煮汁を濃縮したもんだ。
あの臭気は凄まじかった。蜂どもがボタボタと墜落していく中、俺たちも危うく窒息死するところだった。
そして最後は、岩盤による生き埋めだ。
だが、細いのが杖一本で、落ちてくる岩をバッティングセンターみてえに打ち砕いて道を切り開いた。あいつの腕は、絶対にヒョロガリのそれじゃねえ。
そうして手に入れたのが、この一本だ。
俺は、カウンターの上に「それ」を置いた。
琥珀色の液体が詰まった、重厚なガラス瓶。だが、その口は魔術的な鎖でガチガチに封印されている。
「……さて、ここからが一番の難関だ」
フィスが泥だらけの顔でニヤリと笑う。
「バッカス爺さんの封印魔法は強力だよ。無理に開ければ爆発して、中身が蒸発してしまう」
ガストンが無言で包丁を研ぐ手を止める。
店中の視線が、一本の酒に注がれる。
「だが、酒というのは解放されるためにある。閉じ込められたままじゃ、時が止まった化石と同じさ。……さあ、僕がその扉を開けてあげよう」
フィスが瓶の首に手を添える。
杖の先で、コン、コン、とリズミカルにガラスを叩く。
一見ふざけているようだが、俺にはわかる。あれは、魔力の共振点を探ってやがるんだ。
「……<開錠>」
パキン。
澄んだ音が響いた瞬間、魔術の鎖が光の粒子となって砕け散った。
同時に、瓶の口から、青白い煙と共に老人の幻影がボワッと浮かび上がる。
『カッカッカ! ここまで辿り着く酔狂なバカがいたか! 褒美だ、飲み干せ!』
伝説の醸造家の声を残して、幻影は消えた。
その直後、店内に広がったのは――暴力的なまでの、甘く、濃厚な果実の香りだ。
たった一瞬で、店内の空気が黄金色に染まった気がした。
「……素晴らしい」
今まで沈黙していたガストンが、低く唸った。
彼は何も言わず、厨房から一皿の料理を出してきた。
厚切りの『燻製ドラゴンの舌肉』と、熟成されたブルーチーズだ。
この強烈な酒を受け止められるのは、この強烈な肴しかねえってわけか。流石だぜ、大将。
「さあ、注いでくれ。手が震えてこぼしそうだ」
俺たちは泥だらけの手で、磨かれたグラスを持った。
トクトクトク……と、重みのある音が響く。
俺はグラスを持ち上げ、琥珀色の液体を光にかざした。
崖滑りの筋肉痛も、蜂の電気ショックの痺れも、この一杯の前では心地よいスパイスだ。
生きてて良かった。
心底、そう思う瞬間だ。
「……金にも名誉にもならねえ。だが、最高の一日だ」
「ええ。この香りを嗅ぐためなら、またあの崖を登ってもいい」
「僕は遠慮するけどね。……でも、この味は歴史に残る」
三人のグラスが重なる。
カチン、と硬質で、幸せな音が鳴った。
「それじゃあ、俺たちみたいな愛すべき酒飲みのバカどもに、乾杯!」




