第24話 『偽りの聖剣が輝く裏で、僕は静かに害虫を「乾燥」させた話』
たまには、安い酒の味を確かめるのも悪くない。
そうすることで、いつもの「錆びた剣亭」の静寂と、ガストンの料理がいかに至高であるかを再確認できるからね。
というわけで、私は今、この街で一番騒がしい大衆酒場「陽だまりの樽亭」の片隅にいる。
ここはまるで、熱帯のジャングルだ。
若者たちの発する熱気と、飛び交う唾と、安いエールの匂いが充満して、空気がじっとりと湿っている。
「見ろよこれ! 遺跡の奥で見つけた『聖剣エクスカリバー(仮)』だぜ!」
「すげえ! 錆びてるけど、なんかオーラが出てる気がする!」
隣のテーブルでは、駆け出しの冒険者たちがボロボロのナイフを囲んで騒いでいる。
……やれやれ。私の<鑑定>を使うまでもない、それはただの「果物ナイフ」だ。しかも、バターすら切れないほど枯れている。
彼らの希望に満ちた瞳を見ていると、こちらの心が乾いてきそうだ。
「おい、もっと酒を持ってこい! 今日はこの聖剣の発見祝いだ!」
リーダー格の剣士が、空になった酒樽をバンと叩く。
その時だった。
バキィィッ!!
木樽が内側から弾け飛び、中から無数の脚が生えた異形が飛び出した。
『擬態百足』だ。酒の匂いに釣られて樽に紛れ込む、タチの悪い害虫。
体長は2メートルほど。大人の腕ほどもある太さの節足動物が、若者たちのテーブルに鎌首をもたげる。
「う、うわあぁぁぁッ!! 魔物だぁぁ!!」
「剣! 剣を抜け! ……って、錆びてて抜けねぇ!!」
店内は阿鼻叫喚の嵐となった。
若者たちは腰を抜かし、自慢の聖剣(果物ナイフ)を構えることすらできない。
百足の顎が、リーダーの喉元へと迫る。
……まったく。
これだから、安い酒場は困るんだ。
せっかくの酔いが醒めてしまうじゃないか。
私はため息を一つつくと、手元のグラスをテーブルに置いた。
その動作は、あくまで自然に。誰にも気づかれないように。
(この場の空気は、少しばかり水気が多すぎるね)
指をパチン、と鳴らす。
それは喧騒にかき消されるほどの小さな音。
だが、私の中で練り上げられた魔力は、明確な物理現象となって解き放たれる。
――生活魔法、<除湿>。
本来はクローゼットのカビを防ぐための、ささやかな魔法。
だが、対象を限定し、出力を極限まで高めれば、それは生物にとって致命的な一撃となる。
何しろ、あの不快な虫の体積の九割は水分でできているのだから。
シュゥゥゥゥ……ッ!!
一瞬。
熱した鉄板に水を垂らしたような音が響いた。
飛びかかろうとしていた『擬態百足』の動きが空中で止まる。
その体から、凄まじい勢いで白煙、水蒸気が噴き出したかと思うと――。
サラサラサラ……。
次の瞬間、巨大な百足は灰色の砂となって崩れ落ちた。
完全に水分を奪われ、塵と化したのだ。
後には、乾いた風だけが吹き抜けた。
「……え?」
「な、なんだ!?」
若者たちが呆然と、目の前の砂山を見つめる。
そして、誰かが叫んだ。
「み、見たか!? 今の閃光!」
「ああ! こいつが……この聖剣が輝いて、魔物を消滅させたんだ!!」
「すげえぇぇ! やっぱり本物の聖剣だったんだ!!」
……うん、まあ、そういうことにしておこうか。
彼らの夢を守るのも、年長者の務めというものだ。面倒くさいから説明したくないだけともいう。
私は混乱と歓喜に包まれる店を、誰にも気づかれずに後にした。
◇
数分後。
私はいつもの場所、「錆びた剣亭」のカウンターの隅にいた。
ここには、騒がしい若者も、不快な害虫もいない。
あるのは、無愛想な店主と、極上の静寂だけだ。
「……いらっしゃい。珍しいですね、フィスさんが一度外に出て戻ってくるなんて」
看板娘のミナちゃんが、不思議そうに首を傾げる。
「ああ。少し外の空気を吸ってきたんだけどね。……やはり、僕の肌にはここの空気が一番合うよ」
私はガストンが出してくれた、年代物の赤ワインを受け取る。
グラスを傾けると、芳醇な香りが鼻腔をくすぐった。
これだよ。これこそが、人生に必要な潤いだ。
「……おや、服に砂がついてますよ?」
「ああ、気にしないでくれ。ただの……燃え尽きた夢の残骸さ」
私はニヤリと笑って、グラスを掲げた。
「錆びついたナイフに宿った、一夜限りの湿っぽい奇跡と……この最高にドライなワインに乾杯」




