第2話 『剣を折った若造に、筋肉という名の物理法則を叩き込んでやった話』
「うう……腰が痛え……」
俺は呻きながら、カウンターに肘をついた。
五十を過ぎると、冒険の翌日に来る筋肉痛が二日遅れでやってきやがる。昔は一晩寝れば全快だったってのに、今は寝起きが一番しんどいときたもんだ。
「はい、お疲れ様ガンツさん。いつものエールね」
看板娘のミナちゃんが、ドンとジョッキを置いてくれる。この笑顔とエールの泡を見るために、俺は今日も生きて帰ってきたと言っても過言じゃねえ。
「おう、ありがとよ。……ん? なんだあいつは」
俺がエールで喉を潤していると、入り口のドアベルが弱々しく鳴った。
入ってきたのは、まだ十代そこそこの若造だ。身なりはいい革鎧を着て、腰にはピカピカの長剣……の、鞘だけを下げてやがる。
顔色は真っ青で、今にも泣き出しそうだ。あいつ、確か大通りの「陽だまりの樽亭」を根城にしてる新人の冒険者だろ。あっちの華やかな空気に馴染めなくて、こんな場末の店に流れてきたって顔だ。
「くそっ……あんなの、斬れるわけない……」
若造はカウンターの端、俺たちの席から二つほど離れた席に座り込むと、頭を抱えた。
どうやら、ひどい目に遭ったらしいな。
「おい若いの。景気が悪いな。何があった?」
俺が声をかけると、若造はビクッと肩を震わせてこちらを見た。俺の顔の古傷と、丸太みたいな腕を見て少し怯えたが、誰かに愚痴りたかったんだろう。ポツリポツリと話し始めた。
「……『鉄甲アルマジロ』です。西の街道に出たって依頼を受けて……全力で挑んだんです。俺の剣技、道場では一番だったのに……渾身の力を込めた一撃が、弾かれて……剣が、折れました」
なるほどな。『鉄甲アルマジロ』か。
あいつの甲羅は鉄より硬い。生半可な刃物じゃ刃こぼれどころか、へし折られるのがオチだ。
「ほう。で、逃げ帰ってきたってわけか」
「……仲間が囮になってくれて、なんとか。でも、あんな化け物、どうやって倒せばいいんですか! 魔法使いの<爆炎>でもなきゃ無理だ!」
若造がバンとテーブルを叩く。
俺はニヤリと笑って、ジョッキの中身を飲み干した。
「<爆炎>なんぞいらねえよ。俺は今日、そいつを二匹始末してきたところだ」
「は、はい!?」
若造が目を丸くして、俺の背負っている斧を見る。
手入れはしているが、長年使い込んだボロボロの古斧だ。名剣の輝きなんて欠片もねえ。
「嘘だ! そんな錆びたような斧で、あの甲羅が斬れるわけない!」
「ああ、斬れねえよ。だから斬るんじゃねえんだ」
俺は席を立ち、自分の腹筋を軽く叩いた。ボフッ、と分厚い音がする。
「いいか若いの。お前さん、『渾身の力』って言ったな? その時、肩に力が入ってなかったか? 足の指で地面を掴んでいたか?」
「え……? いや、思い切り剣を振りかぶって……」
「それがダメなんだよ。お前さんの剣は腕だけで振ってる。だから軽い。硬いもんに軽いもんをぶつけりゃ、弱いほうが壊れる。道理だろ?」
俺はミナちゃんに頼んで、空になった木製のジョッキを一つ借りた。それをカウンターに置く。
「俺の倒し方はこうだ。斧を甲羅に当てる。そして、インパクトの瞬間に……こうだ!」
俺はデコピンをするような仕草で、指先をジョッキに弾いた。
ただし、全身のバネを使って。
足の裏から腰、背中、肩、そして指先へと、筋肉の収縮を波のように伝播させる。
パァン!!
乾いた音が響き、木製の頑丈なジョッキが粉々に砕け散った。
若造が悲鳴を上げてのけぞる。
「なっ……!? ゆ、指先だけで!?」
「指先じゃねえ。足の親指から前腕まで、全ての筋肉を一瞬で連動させたんだ。俺は斧で斬ったんじゃねえ。斧という鉄塊を通じて、俺の体重と筋力の全てを叩き込んだんだよ」
俺は満足げに鼻を鳴らす。
隣で飲んでいたゴドが、呆れたように口を挟んだ。
「やれやれ。要するに、君は運動エネルギーの伝達効率の話をしているのです。打撃点に重心を乗せ、内部破壊を引き起こしたに過ぎません。それを君はいつも……」
「うるせえな石頭! 難しい理屈はいいんだよ! いいか若いの、必要なのは筋肉だ! それも、ただデカいだけじゃねえ。意のままに操れる、しなやかな筋肉だ!」
俺が力説すると、若造の目が輝き始めた。
さっきまでの絶望した顔が嘘のように、熱っぽい視線を俺の筋肉に向けている。
「筋肉……! そうか、俺に足りなかったのは、剣の鋭さじゃなくて、筋肉の連動……!」
「そうだ! 鋼の筋肉は裏切らねえ! 魔法が使えなくても、剣が折れても、拳という武器は残る! 体を鍛えろ、そうすれば『鉄甲アルマジロ』なんぞ、ただのボール遊びだぜ!」
「師匠……! 俺、明日から筋トレします!」
若造は感動した様子で、何度も俺に頭を下げて店を出て行った。
あいつの足取りは軽い。未来の筋肉戦士の誕生だな。ガハハ!
「……ガンツさん、また罪深いことを」
反対隣でワインを飲んでいたフィスが、クスクスと笑っている。
「なんだよ細いの。いいこと教えてやっただろ」
「あのねぇ。戦士様が『鉄甲アルマジロ』を倒せたのは、君が長年の勘で『装甲の継ぎ目』を正確に叩いたからだろう? ただ闇雲に筋肉で叩いても、普通の人間なら手首を痛めて終わりさ」
「ん? そうだったか? 覚えてねえな。体が勝手に動いたんだよ」
俺はとぼけて、新しいエールをあおった。
まあ、嘘は言っちゃいねえ。技術なんてのは、何千回も振った筋肉が勝手に覚え込むもんだ。頭で考えてるうちは半人前よ。
「ま、あの子がいつか気づけばいい話さ。それまでは、せいぜい筋肉痛と付き合うことだね」
「違いない」
ゴドとフィスが顔を見合わせて笑う。
俺は砕けたジョッキの破片を片付けに来たミナちゃんに、少しばつの悪い顔で謝った。
「わりいミナちゃん。弁償するよ」
「いいえ、ツケておくから大丈夫よ。……『授業料』として、あの子の分も合わせてね?」
ミナちゃんの目が、チャリンと音を立てて光った気がした。
……やっぱり、この店の女将たちには、どんな筋肉も敵わねえな。
俺は苦笑いしながら、残ったエールを高々と掲げた。
「手痛い授業料と、最強の看板娘に乾杯!」




