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#1-47 最後の舞台

中央戦線の戦況は、佳境を迎えていた。

飛砂関の関門は、今や、全ての血と鉄の重さがのしかかる死闘の中心であった。

魏鉄山軍は、武威、誇り、希望、怨念、責務といった自軍の全てを賭け、関門の突破を図っていた。

巨大な破城槌。それは、何百人もの兵士たちが、その体をぶつけ、獣の唸りのように、前後させる巨大な暴力の塊であった。

破城槌が、木と鉄の塊である関門に、重く鈍い音を立てて、何度も何度も叩きつけられる。その都度、関門は、つんざくような悲鳴を上げた。

魏鉄山軍は、この破城槌に群がる志文の軍から、破城槌を囲うように、必死に護っていた。

今や、それが彼らに与えられた、最大の使命であった。

破城槌が止まることは、すなわち、この中央での敗北を意味していた。

すなわち、魏鉄山軍もまた、衛国軍中央の深くに押し入り、もはや退路は、飛砂関の関門を開ける以外に残されていなかった。

破城槌には、志文の隊が猛烈に襲いかかっていた。

志文の軍は、狂気に満ちた形相で、魏鉄山軍を地に沈めていった。

血の匂いは、戦場全体を覆い尽くし、両軍の五感を麻痺させていた。

志文は、その最前線に立ち、魏鉄山・孟武・陳堅から距離をとり、魏鉄山の兵を、正確に、そして無慈悲に斬り捨て続けていた。

破城槌が、関門を破る前に、どれだけ多くの魏鉄山軍を討てるか、そこに志文の策はかかっていた。

志文の隊は、皆、極度の疲労状態であり、大小さまざまな傷を負っていたが、刃を振るい続けていた。

地に伏すことは、許されなかった。この最終局面において、地に伏す意味はとてつもなく重かった。

(まだ、飛砂関が、混乱に陥ったような様子はない....だが、厳冰が必ず来るだろう...)

志文の策は、飛砂関を開き、厳冰の読みの裏をかくものではあったが、関門を開くとはいえ、敵軍に、寡兵で突撃するという構図は変わっていなかった。

「破城槌を護るのだ!近づく者は叩き斬れ!」

魏鉄山の叫び声が、戦場に響く。

彼らは、破城槌に群がる衛国軍兵をすべて、斬り捨てていた。魏鉄山、孟武、陳堅が前列で武を振るう姿は、衛国軍にとっては、死神そのもののように思えた。なにより、彼らが前列で、その武を振るうことで、関門の破城槌は、その動きをさらに加速させていた。

関門が開く前に、両翼の大崩と聞閉を討つ必要があった。関門が開き、張江らの隊を通した後、志文の隊は、関門に押し寄せる敵を殲滅する役であった。

破城槌を護る武隊は、魏鉄山、孟武、陳堅の精鋭部隊であったが、その数は一千騎ほどであった。

すなわち、志文たちは、飛砂関の開門後、関門を突破させずに、迫りくる九千余騎を一千余騎で殲滅しなければならなかった。

そのためには、どうしても両翼の要、大崩と聞閉は討たなければならなかった。

関門は、もはやいつ破られてもおかしくなかった。

(姜雷....林業....)

志文の隊が生き残れるかどうかは、いまや、二将の働きにかかっていた。

その頃、中央戦線の両翼では、二つの大きな波が生まれ、衝突しあっていた。

姜雷は、凄まじい乱戦の渦中にいた。彼は、必死に馬を駆り、大崩を目指していた。

彼の隊は、既に、その多くが傷つき、血を流していたが、誰一人倒れることはなかった。

皆が分かっていた。ここで果てることが、どれだけ姜雷の負担になるかを。彼らには誇りをもっていた。いまや、天下にその名を知らしめていた、志文配下『伯七狼』の第一将姜雷の隊である誇り、そしてなにより、志文が最も、その武に信を置く隊であるという誇り。

それは、彼らをこの地に留め、どれだけ刃に貫かれようと、地に倒れることを許さない、最後の楔のようなものであった。

姜雷は、ついにその目に、大崩の姿をとらえていた。

「大崩!!」 姜雷は吠えた。彼の薙刀は、さらにその重さを増し、迫りくる大崩隊を、次々と宙に飛ばしていた。

彼の矛は血に飢えているかのように、すでに朱色に染まりながらも、その矛先は、『魏五虎』が誇る、猛将大崩へと一直線に向かっていた。

大崩は姜雷を見て、豪快に笑っていた。彼は、死戦をくぐり抜けてきた者のみが放つ殺気を肌で感じ取っていた。

彼の心は、自身の武を捧げるにふさわしい相手に恵まれたことで、大きく昂ぶっていた。

「殿にお仕えして、久しく感じていなかった...!...衛国との戦など、退屈なものだと思っていたが、俺の本気を出せる相手に出会えるとは....!!」

そしてもう一方では、静かに、なにより、着実に林業が、聞閉の姿をとらえに馬を進めていた。

彼の動きは、姜雷の豪快な突撃とは対照的であった。

水面下を滑るように静かに敵陣へと潜り込んでいく。それは、正確に、聞閉の堅陣を崩していた。

聞閉は、馬上で迫りくる林業に唸っていた。

「林業、あれは傑物だな...あの冷徹さと智謀は、伯志文と同等か....厄介な将だ...」

林業は、聞閉の隊の士気が低い部隊を迅速に殲滅しつつ、自身の隊を、至る所に突撃させ、隊列を千々に乱していた。

聞閉は、自身が討たれる意味をわかっていた。ゆえに、堅陣を固めていたが、それがいともたやすく、林業に崩されていく様をみて、恐怖すら覚えていた。

しかし、中央の関門で、包囲されながらも奮戦する魏鉄山から、これ以上離れれば、万一の時に、救援に向かうことが困難であった。

彼は、冷静に指示を出した。

「さらに、堅陣を固めよ。林業の隊は、精強といえど寡兵だ。あえて、少しずつ堅陣の中に入れ、殲滅せよ」

彼は、林業に対して、智謀で勝負を仕掛けようとしたのであった。

「そうくるか....」 林業は、楽しそうに見えた。その口元は、微かに笑ったように見えた。

二つの戦いが、両翼で苛烈に始まっていた。それは衛国の命運をかけた狂気の門を開くための死の舞踏であった。

姜雷と大崩の激戦は、すでに終わりが近づこうとしていた。

姜雷が、すでに大崩に馬を走らせ、大崩もまた、姜雷を迎え撃つために、馬を駆っていた。

鉄棍と薙刀が交差する。両隊の兵は、皆、戦闘をやめ、遠巻きに、馬上の二将の戦いを見つめていた。

彼らの武威は戦場の空気を切り裂き、周囲の兵士たちは彼らの戦いに近づくことすらできなかった。

大崩は、鉄棍を振り回す。その一撃は山をも砕くような絶大な威力をもっていた。

姜雷は自らの全力を乗せた矛でそれを受け止める。

金属が衝突する凄まじい音が戦場全体に響き渡る。凄まじい力と力のぶつかりあいであった。

二将の武は、均衡していた。

姜雷の薙刀が大崩の横腹を捉えれば、その次の瞬間には、大崩の鉄棍が、姜雷の左肩を捉えていた。

お互い、既に傷ついていたが、一向に、彼らの武は衰えを見せなかった。

「見事だ!姜雷よ!貴様ほどの漢は見たことがない!」

大崩は、全身を血に濡らしながらも豪快に笑った。

彼の顔もまた、血に塗れていたが、その目は生き生きと輝いていた。

大崩は、武人として、生涯で最高ともいえる喜びを、この瞬間に感じていた。

そして、姜雷もまた大崩との戦いを楽しんでいた。

「認めよう。貴様は強い。実に心地よい!貴様と刃を交わすのは!」

姜雷の薙刀は、大崩の鉄棍を受け流し、わずかにできた隙を正確に狙う。

姜雷の薙刀が、大崩の左胸に届くその瞬間、大崩は、鉄棍を回転させ、姜雷の薙刀を跳ね上げる。

わずかに仰け反る姜雷めがけて、大崩は、すぐさま、鉄棍を振り下ろす。

姜雷は、わずかに体を捻る。しかし、完全に避けきることはできなかった。姜雷の左腕が砕かれる。

しかし、姜雷は、自身が仰け反った時点で、自身の薙刀を、右手一本で横にはらっていた。

「ふっ....見事だ....俺の負けだ...打ち下ろしで決めるつもりであったが....楽しかったぞ....」

微かに笑みを浮かべながら、大崩は馬上から崩れ落ちた。

(殿....申し訳ありませぬ....しかし、この大崩、武人としては悔いはありませぬ...)

「大崩様の仇をとるのだ!」姜雷に、大崩の残党が襲い掛かる。

「させるか!殿を護れ!」姜雷の隊もまた、姜雷を護るように立ち塞がる。

姜雷は、地に静かに横たわる大崩を見つめていた。姜雷の体は、まったく動かなかった。

血を流しすぎた。視界が霞んでゆく。立っているのがやっとであった。

大崩を討つため、乱戦の奥深くまで入ったことは、いまや、完全に裏目に出ていた。

大崩を討たれたことにより、大崩の隊は、その士気を飛躍的に、そして狂気的に高めていた。

姜雷の隊は、大崩の隊の前に、次々と地に伏していった。

「姜雷様!あなただけでも離脱してください!我らの代わりはいても、あなたの代わりはおりませぬ!」 副将が叫ぶ。

姜雷は微かに首を振る。 「もう、指一つ動かぬ」

「殿、何を弱気なことを!ここまで来たのです!諦めてはなりませぬ!」

「諦めてはおらぬ。時を稼いでくれ。俺は、もはや、まったく動けぬ。ゆえに、そなたたちだけで時を稼いでくれ...すまぬ...」

「承知!」副将は、ただそれだけ叫ぶと、姜雷を背にし、刃を振り続けた。

時を稼ぐ。その意味に、確証はなかった。どれだけ稼げばよいのかも、どう稼げばよいのかも、わからなかった。ただ、時を稼げば、援軍が来る、そんな予感が、姜雷の胸中にはあった。

一方、その頃、林業と聞閉の戦いも、着実に終焉へと近づいていた。

林業は、最前線に立ち、薙刀を振るっていた。

彼は、無駄な犠牲を嫌い、無理を決してしなかった。しかし、その彼が、血を流し、乱戦の中を突如として、突っ切り、聞閉を目指し始めた。

林業隊の兵たちは、皆、林業の行動の意味を理解していなかった。

しかし、彼らは、普段、最小の犠牲で、無理をせず、着実に勝利を呼び込む林業が、先陣を切り、ひたすらに馬を駆ける、その重さを知っていた。

彼らは、わからないながらも、林業の策を崩すほどの重大ななにかが起きたに違いないと思っていた。

林業の武は凄まじかった。重いわけでも、速いわけでもなかった。ただ、正確に、そして確実に眼前の敵を屠っていく。

そこに、感情はなく、ただ、無駄のない洗練された刃であった。

聞閉は、無駄な犠牲を好まない、慎重であるはずの林業が突如として、犠牲を顧みず、自身めがけて、突進してくる理由を考えていた。

関門が開いた気配は、まだなかった。彼は、大崩の戦場でなにかが起こったと思った。

彼は、大崩の武を信じていた。無条件に信じていた。ゆえに、彼は、大崩の援軍が来る前に、自身を討つために、林業が突進してきたと考えた。

「大崩がじきに来る。時を稼げ。隊列をあえて乱すのだ。その隙間を奴らが埋めるはずだ。隙間を突きに来た林業の隊を、乱戦でからめとり、分断せよ」

しかし、林業が策を変えた理由は、まったく異なるものであった。

それは、林業の予感であった。姜雷の戦場から、ひときわ大きな歓声が聞こえた後、その歓声は、さらに大きな喚声に、一瞬にしてかき消された。

姜雷の性格からして、すでに大崩のもとへ辿り着いていると、林業は読んでいた。

すなわち、大崩が討たれたか、姜雷が討たれたか、のいずれかであった。

そして、姜雷が大崩を討ったとすれば、歓声がすぐに消えたことは、姜雷が討たれたか、姜雷が危険な状態であることを示唆していた。

ゆえに、彼は、聞閉を、迅速に討つ策に変えたのであった。

林業は、自身の副将に合図を送ると、聞閉とぶつかるであろうその瞬間、唐突に、後方へと馬首を返した。

それは、迅速かつ洗練された無駄のない動きであった。

聞閉の隊が、乱戦の中で、林業の隊を分断する寸前に、林業の隊は、皆、一様に馬首を後方へと返し、そのまま、聞閉の堅陣の前を通り過ぎていった。

「すぐに追撃せよ!大崩が危ない!」 聞閉は、林業の策を、一瞬のうちに、見抜いた。

林業がある程度、聞閉の隊の兵数を減らした後、聞閉のもとに向かってくる大崩を急襲する、そう聞閉は読んでいた。

聞閉の隊は、林業の追撃態勢に入った。その、わずかに堅陣を崩した瞬間であった。

聞閉の隊の後方から、数百騎が突撃する。それは、小規模な突撃だったが、精神的にも、肉体的にも疲弊していた聞閉の隊を混乱に陥れるには、十分な威力であった。

「隊列を立て直せ!堅陣を組みなおすのだ!」聞閉は、必死に叫んだが、それは戦場の喧騒の中に埋もれていった。

すでに、林業が、聞閉へと迫っていた。

聞閉は、自身の薙刀を構えた。

二つの刃が、金属音を鳴らして交差する。 聞閉は、『魏五虎』の一人であったが、彼は智謀に長けている将であり、武は、他の五将には遠く及ばなかった。

「傑物め....」聞閉の首筋を、林業の刃が、静かに過ぎ去る。

聞閉は、ゆっくりと馬上から崩れ落ちた。

聞閉の残兵の殲滅を配下に任せると、林業は、数百騎を連れて、姜雷の戦場へと向かった。

林業は、姜雷の戦場へと姿を現した時、前方で、かすかに砂塵が舞っていた。

林業の隊は、迷わず突撃した。

後方からの突撃に、大崩の隊は大いに混乱し、次々と討たれていった。

林業は、大崩の残兵を討ちながら、静かに馬上で瞳を閉じる、姜雷を見る。

まだ息はあった。気を失っているようだった。

大崩の残兵を殲滅すると、姜雷の残兵を連れ、林業は、飛砂関のはずれへと移動した、幕舎へ護送するように、自身の配下に命じた。

その時であった。後方から、ただ一騎、かけてくる者がいた。

衛国軍ではないようだった。林業は、静かに身構えた。

見目麗しい女だった。彼女は、林業を見ると、腰に下げている剣を地に投げた。

ゆっくりと林業に近づいてくる。

「隊長!殺りますか?」 林業は、静かに首を横に振る。

「何者だ?」林業は、警戒を緩めずに尋ねた。

「軍旗をみるに、伯志文殿の隊の方だと、お見受けいたしますが...」

「そうだ。隊長の林業だ」 彼女は、少し驚いたようだった。

「貴方様が...「伯七狼」のお一人だとは....」

「申し遅れました。白麗といいます」彼女はそう言うと、馬上から丁寧に会釈した。

「あることを志文様にお伝えしたく、参りました。沙嵐国のものですが、沙嵐国に戻るつもりはありません。志文様とは顔見知りです。どうか、私を志文様のもとに連れて行っていただけませんでしょうか?」彼女の口調は、落ち着いていて、丁寧なものであった。

「殿への伝言は、この戦にかかわることか?」林業は、冷静に聞いた。

彼女は首を横に振る。

「では、幕舎へ案内しよう。私の配下を数名、つけてもよいか?完全にそなたを信用はできぬ、が、否定もできぬ」

彼女が首を縦に振るのを確認すると、林業は、彼女を自身の配下に預け、自身は、残りを率いて、志文のもとへと向かった。

陽はまだ、燦然と輝いていたが、戦場をたゆたう風は冷気を帯びていた。

時は少し戻り、魏鉄山軍が、破城槌で、飛砂関の正面の関門を叩き始めたとき。

霜華の隊は、白狼山脈を越えて、城壁から侵入し、猛烈な勢いで、朱威率いる飛砂関の兵と交戦していた。

霜華の隊と朱威ら飛砂関の兵は、一進一退の攻防を呈していた。

霜華の隊が、朱威の城壁の防御の隙を、迅速に突くが、その隙を、朱威の指示は、迅速に埋めていた。

朱威は城壁の上で薙刀を振るい続けていた。彼の体は既に限界を超えていた。

もう何日もまともに休息を取っていなかった。しかし、ここで倒れるわけにはいかなかった。戦が終結へと向かっていることを、朱威は戦場の空気から感じ取っていた。

関門を破城槌が叩く音が、この飛砂関内部にも、重々しく響いていた。

ここが、まさに正念場であった。

「皆の者!この飛砂関は衛国の最後の砦である!我らはそこの護りを託された。担っているのではない!託されたのだ!関泰をはじめ、この飛砂関に散った者、そしてこの戦で散って逝った者、なにより、この衛国を、古来から護り、星に還っていった者たち、皆が、我らにここを託したのだ!退いてはならぬ!沈んではならぬ!下を向くな!前を見よ!飛砂関は落ちぬ!我らがいるからだ!我らは強い!その双肩に、背負う重みが奴らとは、違うのだ!皆、死力を尽くすのだ!ここでの一刻の粘りは、一刻以上の価値があるのだ!忠を示せ!武を示せ!そしてなにより、我らの誇りを、生き様を示すのだ!」

朱威の叫びが兵士たちを鼓舞する。彼らは血を吐きながらも、霜華の隊に必死に抗っていた。

しかし、霜華の隊は精強であった。撃退した魏鉄山軍の比ではなかった。まるで影を纏った死神の集団の如く、彼らは、的確に、そして無慈悲に、朱威の隊を崩していった。

朱威は敵の強さを肌で感じていた。彼の意識は、霜華の隊の猛攻を凌ぐことに全力を注いでいた。

しかし、背後から音もなく、脅威は迫っていた。

天狼山脈側。城壁の眼下には深い森が、複雑な隘路を伴って、広がっていた。

厳冰の精鋭部隊、一千騎がすでに城壁を登り始めていた。

彼らの動きは完全に無音であり、鍵縄が城壁に食い込む、わずかな音すら聞こえなかった。

城壁を登りきった隊は二手に分かれた。

一つは城門を制圧するため下へと向かった。

もう一つは城壁上の兵を背後から襲うため、そのまま、朱威の背後を急襲した。

朱威の隊は完全に霜華の猛攻に意識を集中させていた。

背後に迫る死神の存在に気づく者はいなかった。

朱威は薙刀を薙ぎ払う。眼前の数人が地に果てる。その時であった。背後から冷たい金属音がわずかに響いた。

「朱威様!背後に敵が!」

兵士の悲鳴が朱威の耳に届いた。朱威は驚愕して振り返った。

一千騎。前方から、その数を減らしたとはいえ、一千余騎。後方から、一千余騎。

(まさか....魏鉄山軍は、我らの兵数を減らすための囮だったのか....)

すでに多くが凶刃の前に、地に伏し、一千余騎であった朱威ら、飛砂関の衛国軍にとって、この挟撃は、もはや生還を絶望的なものへと変えていた。

霜華の隊は、この機を逃さず、その攻勢は、さらに激しくなり、いまや霜華の隊のほとんどが城壁を登り切り、飛砂関にその根を下ろしていた。

城壁上の衛国兵は前後の敵に挟まれ大混乱に陥っていた。

「退いてはならぬ!」突如として、朱威の声が響いた。その声は、恐怖に駆られているわけでも、動揺し、上ずっているわけでもなかった。

それは、混乱を呈す飛砂関の衛国兵に、そして押し寄せる厳冰・霜華の隊に、静かに、そして重々しく響いた。

「皆、刃を振るい続けろ。私の言葉を耳にしながら、刃を振るうのだ」

朱威は、眼前の敵を斬り捨てながらも、冷静に、静かに告げた。

飛砂関は、ある種の独特な緊張感に包まれていた。

「私には妻がいる。二人の息子がいる。娘が三人もいる。娘たちはまだ幼く、私が戦場に向かうたびに、行くな、とせがんでくる。息子二人は、私のように戦場を駆けめぐりたいと目を輝かせている。彼らは、まだ知らない。戦場の恐ろしさを。戦が生む本当の悲劇を。多くの友が散っても、ただ見つめることしかできない虚しさを。そして最後の一兵になっても、決して倒れてはいけないことを。この戦場に立つ意味を、彼らはまだ知らないのだ。だが、そんなものは知らなくてよいのだ!むしろ、知ってはならぬのだ!戦場を知るのは、我らだけでよい!我らが知ってさえいれば、それでよいのだ!皆、思い出せ!我らがこの地に立つ意味を!我らがこの地に留まる意味を!そして我らが敵を排する意味を!!倒れてはならぬ!この蒼い空を見よ!あの果てしなく続く大地を見よ!何も変わってなどおらぬ!何一つ変わらぬのだ!衛国を護るのではない!この悠久の空を、あの平和な地を護っているのだ!剣を振れ!ただ振るい続けるのだ!我らに、もはや先はない!だが、それがなんだ!彼らに先を残せるのならば、私は喜んで、この命を捧げよう!皆、大儀であった!!」

最後の方の言葉は、もはや、叫びに近かった。

「俺もこの命、いまここに捧げます!」「命果てようとも、衛国のために!」「私も朱威将軍と共に!」

「着実に狩れ」厳冰の冷徹な声が響く。

朱威たちを包囲するように、彼らは距離を狭め始めた。

朱威は、厳冰の精鋭隊に薙刀を構えた。皆、傷ついていたが、その士気は異様なまでに高かった。

何刻経ったであろうか。すでに多くの同胞が、無数の刃に貫かれ、数多の敵兵の上に折り重なるように倒れていた。

朱威は、向かってくる敵兵を斬り続けた。彼の動きは、すでに疲労で、鈍くなっていたが、その一撃は重かった。敵兵の鎧を打ち砕く音だけが彼の耳に残り続けていた。

「霜華、しばし援護しろ。朱威を討つ」厳冰はそう言うと、乱戦の中に、静かに入っていった。

霜華は、突進した。双剣が鮮やかに舞い、瞬く間に、衛国兵が倒れていく。それは、華やかであり、迅速であった。

(あの女将を討たねば、我らは半刻すら耐えられまい...)

朱威は、乱戦の中で、猛威を振るう、霜華に突進した。

「朱威様!」それは一瞬の出来事であった。

彼が、その声に振り向いた瞬間、薙刀は振り下ろされた。

「厳冰....!」 朱威は、わずかに後方に跳ぶことで、致命傷を回避していた。

しかし、厳冰の薙刀は、彼を確実に斬り裂いていた。彼は、もう、動くことすら叶わなかった。

「仕留めるつもりであったが....これが忠義の成す業か....」

厳冰は、微かに笑っていた。

彼は、動けない朱威を包囲すると、声を響かせた。

「衛国兵よ、その場を動くな。そなたらの「朱威様」は我らの手にある。武器を捨てよ。投降するのだ。そなたたちは「敗北」したのだ」

衛国兵は、皆、一様に、彼らの刃から手を放していった。

「敗北」。その言葉が、今、飛砂関に重くのしかかっていた。

「私は負けた。だが私が負けただけだ。そなたらが護るべき者は私ではないであろう。そなたらをこの地に留めていたものはなんだ」

「そのようにそなたが気を吐いても、何も変わらぬ。すでに戦は終わったのだ。そなたが我らの手に落ちた時点で、そなたらの「敗北」は決まったのだ」

厳冰は、冷淡に告げた。今まで衛国兵が、この地に捧げてきた熱情が、まるで、作り物であったように、急速に冷めていった。

「ふっ」朱威は笑っていた。

「何がおかしいのだ」厳冰は、不快そうに聞いた。

「戦が終わった?それは違う。我らが諦めぬ限り、この戦は終わらぬのだ!」

(張江、あとは託したぞ....)

朱威は、厳冰へと突進した。 気づけば、厳冰は、反射的に薙刀を振り下ろした。

朱威の体から、鮮血がほとばしる。 

「使命を....護るべき者を....忘れるでない...!!」

朱威が、厳冰の刃の前に、地に伏した瞬間であった。

彼らは、彼らの刃を再び手にしていた。

「厳冰様を御護りせよ!」 霜華の声が響き渡る。

朱威の隊の武は、凄まじかった。到底、武威が成す業であった。

(妻よ....息子よ....娘よ...すまない....父は......父は..そなたたちに会えぬようだ...だが、心配はいらぬ....そなたたちのそばに、いつもいるのだ....もう、戦場に出ることもない...どんな時も...そばにいるのだ...)

厳冰の瞳が静かに閉じられた。 その瞳は、涙にぬれていた。

厳冰たちは、多くの犠牲を出しながら、朱威の残党を殲滅していた。

「死兵にさせたか...朱威...逝っても、なお勇将であったか...」厳冰は、息を一つ吐いた。

陽は、少しずつ落ち始めていた。

「関門を封鎖するように、急ぎ、魏鉄山に伝えろ!我らは、ここに残り、関門の中から、援護する」

バァン。 大きな地響きと唸りを伴った轟音は、厳冰達のいる飛砂関の城壁上をも、揺らした。

「遅かったか...まあ、よい。寡兵を、挟撃できることに変わりはない」

「衛国軍を殲滅せよ」 厳冰の合図とともに、最後の激戦は、その火蓋を切った。

戦場を映し出すように、夕焼けが、大地を鮮やかな朱色に染め抜いていた。


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