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#1-21 崩された密偵網

昼餉の後、志文は衛徳王えいとくおうがいる謁見の間へ参内した。

彼の左手に丸められた羊皮紙——玄岳国と魯国の間で交わされた密約文書の写し——が、衛国の運命を分かつ重みを伴って握られている。

衛徳王は志文の顔を一目見るなり、その張り詰めた気迫に、事態の重大さを察した。

志文は玉座の前に進み、淡々とした口調で、玄岳国の背信を告げた。

「大王、玄岳国は、長年の同盟を反故とし、魯国と手を結びました。その証拠がここにございます」

志文が差し出した文書の内容が王に伝達されると、謁見の間は戦慄に包まれた。

玄岳国国王 玄岳王牙の臆病な性格からして予想外の裏切りであり、それは衛国にとっての北方防衛線の崩壊を意味していた。

王が狼狽する中、時を同じくして、北方の国境警備隊からの急報が王都にもたらされた。

「玄岳国軍、十五万の軍勢をもって、国境より進発!総軍師は雷鋒!」

「従軍している将軍はわかるか?」 徐平が静かに聞いた。

「はっ、羅仁と文衡、それと..『玄岳四堅』の鉄豪です!」

「鉄豪だと...国防の要の将を出してくるとは....玄岳国は本気のようだな....」

衛徳王の顔は一瞬にして青ざめた。謀略文書の提出と、敵軍進発の報が同時に届くという、あまりにも手回しの良いタイミングであった。

負けない戦を体現し続け、どの将も事を構えようとしない『玄岳四堅の第二位』、天下でもその智謀から『天下三賢』と呼ばれる策士の存在が、衛徳王をより恐怖に陥れていた。

志文は冷静に状況を分析し、王に進言した。

「玄岳軍の総軍師は雷鋒。奴の目的は、衛国が魯国との国境警備に軍を割いている隙を突き、一気に北から国土を侵食することにあります。敵軍は、山岳戦の舞台である白狼山脈を越えて国境に到達する。その行程を、私は五日と推測いたします」

そして志文は、衛国軍の進発に必要な時間を計算した。

「衛国軍が王都から国境まで進発し、白狼山脈の麓に布陣するまでには二日を要します。つまり、敵が戦場に到着するまでの残りの猶予は三日です。それまでに策や編成を練らなければなりません」

「しかし、『天下三賢』と『玄岳四堅』を同時に相手にできる将軍が我が国にはおらぬ...」

「わしが参りましょう。この戦は持久戦ゆえに、この老骨にその大任、担わせてくだされ、大王」  

汪盃おうはいであった。彼は衛国でも衛国でも有数の老練な将軍で、堅実な采配と経験の豊富さで知られ、防御戦を得意としていた。

「おお、汪盃将軍。そなたが出陣してくれれば、簡単に敗れることはあるまい。だが、汪盃将軍、持久戦になるとはどういうことだ?」

「大王、この天下において、長引けば長引くほど、他国が得をするのです。我が衛国は不遜ながら、脆弱ゆえに、戦を仕掛けられても、他国より国力差が劣っている事実は変わりませぬ。されど、先の魯国との戦のように、魯国にとっては長引けば、国防に影響するばかりか、今後、例えば、景国と戦になった場合、物資や調練、徴兵に負荷がかかり、惨敗する可能性もあります。衛国を除けば、天下の各勢力は絶妙な均衡で保たれているのです。」

「しかし、景国は天下統一に最も近いのではないか?」

「ご明察です、大王。しかし、景国は位置が悪いのです。景国は天下の中央に位置します。ゆえに、すべての国が国境を侵すことが可能となります。ですから、景国は強国ゆえ、どの国の侵攻も完璧に防いでいますが、景国自体はどの国も本格的に攻めぬのです。」

「そうか...勉強になった、感謝する」

「恐れ多い御言葉、恐悦至極に存じます」

「して、汪盃将軍、軍容と規模について何か、提案はあるか?」

「今の衛国の現状を考えるに、魯国、沙嵐国、景国、それぞれの国境への配備も踏まえれば五万が限界かと...沙嵐国と玄岳国が小競り合いを起こした故、玄岳国は継戦は避けたいはず。初戦が肝要でしょう。ですから、限界の五万を賜りたく....」

「うむ、許可する!」

「軍容については、この老骨は凡将故、刃を賜りたく....」

「では俺が参ります!」元絨げんじゅうであった。

元絨は三十代半ばといったところで、機動力を生かした突撃には定評があった。

「元絨将軍なら、十二分の働きをなさるかと....」 汪盃が進言した。

「うむ、では、総大将は汪盃将軍とし、三万を授ける!副将に元絨将軍を任じ、二万を授ける!玄岳国を無事に退けてくれ!吉報を待っておる!!」

「はっ」 汪盃と元絨は片膝をつき、礼をとった。

志文は王宮を出ると、その足で情報局に向かった。 無論、胡麗に会うためである。

——デイリーミッション(保留分)一括発生————

注意:保留分を凝縮したため、ミッション難易度が大幅に上がっています

目標:雷鋒の諜報網を三日以内に破壊せよ

報酬:全基礎能力値1.0pt

(困難だな....そもそも三日で発見できるなら、とっくに見つけている....) 

衛国情報局。

情報局は、薄暗かったが、局員があせあせと書簡と共に動いていた。 

志文は最奥の個室の戸を軽くたたいた。

「開いているわ。入って」 

志文は椅子に腰掛けると、すぐに本題に入った。

「三日以内に衛国に存在する雷鋒の諜報網を破壊する必要がある。雷鋒の諜報網は巨大であろう。必ず、情報を集約し、整理する場所があるはずだ」

「目星はついているわ」

「どこだ?」 志文は内心驚いていた。不可能に近い任務だと思っていたからだ。

「王都の人気料理店、『栄粋えいすい』が、一大拠点よ」

「衛国の情報は、王都に最も集まるわ。それに、『栄粋』は天下の至る所に店を構えているわ」

「確実な情報か?」 栄粋に志文は妹たちと何度か足を運んでいた。清潔で、料理も旨い。とても密偵の本拠地のようには思えなかった。

「私を疑うの?灯台下暗しってことよ、間違いないわ」

「そうか...疑ってすまなかった」

胡麗は軽く微笑んだ。

「で、どうするの?そもそも栄粋に押し入るのは、王都だけでなく、天下の民の心象を悪くするわ。なにせ、人気店だからね。どうするつもり?確実な証拠がなければ、情報局も動けないわ」

「そこから先は任せろ。衛国に存在する『栄粋』すべてに明日、押し入って、全員捕えろ。王都のは俺がやる」

「それと一つ頼みがある、ネリハモメの解毒薬をくれ」

胡麗が怪訝そうな顔をする。

「ネリハモメ?いいけど....」

志文は胡麗から解毒薬丹を受け取ると、屋敷に戻った。 

陽はとっくに落ちて月が宵闇を鮮やかに映し出していた。

「おにいさまぁ、おかえりぃ〜」 雪華が勢いよく、抱きついてくる。

「お兄様、お帰りなさいませ。夕餉の用意はできております」 月華が居間から少し顔を出していた。

「今日は一段と豪華だな。月華、ありがとう」

月華は朗らかに笑った。

「私にはこれくらいのことしかできませんから....」

「お姉さまはね、いろんなことができるんだよっ」 雪華が声をあげた。

「そうだぞ、月華。そなたたちが思っている以上に、そなたたちは俺の支えとなっている」

月華は嬉しそうに笑った。 雪華も、その隣で楽しそうに笑っていた。

志文は妹たちを床につかせると、屋敷の外に出た。

「夜叉、羅清を今すぐ、呼べ」

「承知」 夜叉は音もなく消えた。

半刻後、羅清が夜叉に連れられて、姿を見せた。

志文の前に現れた羅清は、志文の策を冷静に聞き入れた。

「羅清。お前には、単身で栄粋に向かい、食事をしてもらう。奴らはそなたの顔を知っているだろう。きっとそなたを殺そうとするはずだ」

「清羅氏は、十年前、伯明様が連合軍と戦われたときに、参軍していた雷鋒の戦術を詳細に記録しております。記録は袁興によって燃やされましたが、私の記憶にございます。私が清羅氏の本家の三男であることはすでに雷鋒も知っているでしょう」

羅清はそこで言葉を区切り、少し考え込んだ。 志文は黙っていた。

静寂はすぐに破られた。

「遅効性の毒を盛られたうえで、栄粋の中で倒れればよろしいでしょうか?」

(流石だな...やはり羅清は頭がキレる...)

志文は、志文は、胡麗にあらかじめ用意させていた遅効性の毒の解毒薬を羅清に手渡した。

「命に代えても、果たして御覧に入れます」 羅清は一礼をして、夜に消えていった。

「夜叉、不測の事態の際は、羅清の命を優先しろ。死なせてはならぬ、それと『栄粋』の近くに林業の部隊を潜ませろ。羅清の合図で栄粋に乗り込み、全員捕えさせろ。宋燕に『栄粋』のすべての出入り口を塞ぐよう、伝えろ」

「委細承知」 夜叉もまた夜に溶け込んでいった。

かくして陽が昇り、志文の屋敷に、陽光が気持ちよさそうに差しこんでいた。

陽が高く昇るころ、羅清は「栄粋」を訪れた。

栄粋の面々は、羅清の顔を見るなり、目配せを交わした。

彼らにとって、雷鋒を唯一知る可能性のある羅清は、生かしておけない存在であった。

彼らが用意したのは、数日かけて徐々に体を蝕む、遅効性の毒薬。

証拠を残さず、誰も栄粋を疑わないはずだった。

志文の策を彼らは知らなかった。

羅清は料理を頼み終えると、静かに目を閉じた。

(殿のためなら、苦痛など恐るるに足らず)

羅清の前に次々と、料理が運ばれてきた。

「『山菜のつけ合わせ』でございます。温かいうちが華でございます」

(毒はこれに含まれているな...)

「承知した、お気遣い感謝する」

羅清は山菜を口にした。

直後、彼は激しい苦悶と共に倒れ込んだ。

羅清はあらかじめ、毒の性質を変化させる薬を、「栄粋」に到着する前に飲んでいた。

すなわち遅効性の毒は即効性の毒へと変わったのである。

「なぜ、毒をいれた!」 羅清は大声で叫んだ。

栄粋の面々の行動は速かった。

裏口から逃げようとする者。奥の部屋で証拠を隠滅しようとする者。

しかし、林業より迅速な者はいなかった。

林業は羅清の声を聞くとすぐに、押し入った。宋燕に合図を送り、すべての出入り口を封鎖させ、自身の隊は、音もなく、押し入り、瞬く間に、全員を捕縛した。

「大丈夫か?」 林業の声は、志文と同じように、感情が読めない冷徹な声だった。

「ああ、少し、息苦しそうだが、大方問題はない」 夜叉が羅清に解毒薬を飲ませながら、答えた。

「おまえたちは玄岳国の密偵だな」

「ふざけたことを言うな、証拠はあるのか!」 捕縛された一人が喚いた。

「林業隊長、ありました!」

栄粋の面々は顔面蒼白になった。

それは証拠文書であった。

「馬鹿な...ここにあるはずが...」

「牢に連れていけ」 林業は冷徹に言った。

証拠文書は、志文が、夜叉に事前に用意させておいた偽の証拠文書(玄岳国の謀略将軍・文衡との内通を示す手紙や、衛国の軍事情報を記した文書など)であった。

これにより、栄粋の面々を内通者として捕縛し、牢に入れる正当な理由が成立したのであった。

「栄粋」の前で、志文は笑みをこぼしていた。

———デイリーミッション(保留分)一括達成———

目標:雷鋒の諜報網を三日以内に破壊せよ

報酬:全基礎能力値1.0pt

「志文!」 胡麗が志文に声を掛けた。

「貴方の言う通り、衛国のすべての『栄粋』のすべての関係者を捕縛して、牢にいれたわ。貴方の策にはいつも驚かされるわ」

「皮肉か?」  

胡麗は軽く笑って、去っていった。

雷鋒が衛国内に張り巡らせた諜報網は、その一大拠点である「栄粋」の崩壊と共に、完全に破壊されたのであった。

「夜叉、各長を半刻後に軍舎に集めろ」

夜叉は軽く頷いた。

半刻を過ぎると、最奥の軍舎は静寂に包まれていた。

「我らの隊の初陣だ」 志文は淡々と話しだした。

「敵は手強い。だが、我らはいつも通り、やるだけだ。生きて戻るぞ」

「御意」 七人は静かに武人の礼をとった。

「まず、我らの隊だが、元絨将軍の第三部隊長、諏態しゅたい五千人将のところに組み込まれる。諏態五千人将は冷静沈着な指揮官だと聞く。が、実力のほどは知らぬ。我らはあまり、目立たず、与えられた任務をこなすことに努める、よいな?」

七人は小さく頷いた。

魯国との国境を警戒する任務のため、芳蘭や韓忠、劉勇、張勇、陳豪ら、衛国の志文を理解している将軍・将校たちは、今回の北伐軍に参加できない状態であった。

(慎重を期さねば....軍として動く以上、勝手は許されぬ。龍牙関とはまた違うのだから...)

「今回は山岳戦だ。ゆえに我が隊は騎馬隊で編成する。李岳、羅清、姜雷、衛射、宋燕、林業、夜叉の七名を隊長とし、李岳、羅清はそれぞれ七十五騎、姜雷、衛射、宋燕、林業、夜叉はそれぞれ五十騎を率いよ。百騎は俺が率いる」

「拝命しました」 七人は再び武人の礼をとった。

準備は整った。

志文は、妹たちとの別れを済ませ、五万の軍勢と共に、玄岳国との国境、白狼山脈へと向かうべく、王都を進発した。

存亡をかけた大戦が、静かに始まりの鐘を鳴らしていた。


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