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#1-14 慎重を喰らう

鉄牙平野を切り裂くように、韓忠かんちゅうの長槍が、魯国軍総大将、魏鉄山ぎてつざんの本陣へと一直線に猛進していた。

韓忠の武は、凡庸ながらも、志文の策への絶対的な忠誠心と衛国を守り抜くという鋼鉄の信念が、その槍に比類なき重さを与えていた。

彼の武は、情熱や技術ではなく、魂の業であった。

「魏鉄山!衛国の忠義、受けてみよ!」

魏鉄山は、馬徳の突出と劉勇の突撃による混乱の中で、韓忠の突進を許したことに戦慄を覚えていた。

彼は大刀を構え、親衛隊を盾としながらも、武人としての本能が韓忠の殺意の純粋さを警告していた。

韓忠は自身の隊の奮戦により、魏鉄山に自身の牙が届く一瞬を見逃さなかった。

轟音と共に韓忠の槍と魏鉄山の大刀が衝突する。

魏鉄山は体勢を崩し、長槍の穂先が彼の左肩を浅く、しかし確実に切り裂いた。

鮮血が、魏鉄山の鎧に朱色の染みを作った。

魯国軍の総大将が負傷したという事実は、五万の鉄塊の士気を根底から揺るがした。

魏鉄山は、公孫穆を魯国軍の智の象徴とすれば、武の象徴であった。

彼の負傷はすなわち魯国の負傷に他ならなかった。

その時、混乱の中、衛国軍本陣の影から、黒い仮面を纏った志文は、馬を駆り、一騎で突出した。

彼の目標は、劉勇を討ち取るために包囲網から感情的に突出していた魯国軍第一将、馬徳ばとくであった。

馬徳の剛直な思惑は、目の前の敵を武で粉砕することに集中していた。彼は志文の存在すら意識していなかった。

「弱兵が!武を侮るな!」馬徳は、劉勇の部隊を蹂躙することに熱中していた。

志文の武は、策の道具として鍛えられた非情な刃であった。

彼は長槍ではなく、一閃に全てを懸ける短刀を抜いた。

「馬徳。貴様の武は魯国の支柱であった。だが、熱情は策の前では盲目だ」

志文は、馬徳の左側面から馬を並走させ、馬徳が劉勇に気を取られている隙を見逃さなかった。

短刀は一閃し、馬徳の鎧の隙間を正確に貫いた。

馬徳は、何が起きたのか理解できぬまま、血を吐き出し、馬から崩れ落ちた。

彼の剛直な魂は、志文の非情な策の前で、無残に打ち砕かれた。

魯国軍第一将、馬徳、戦死。

魏鉄山の負傷、そして馬徳の戦死という二つの事実は、魯国軍の包囲網を根底から揺るがした。この致命的な混乱こそ、志文が芳蘭に託した最後の布石であった。

衛国軍左翼に陣取る芳蘭ほうらんは、陳堅の弓隊の隙を鋭い眼光で見極めていた。魏鉄山の悲鳴と馬徳の落馬の報は、魯国の指揮系統に一時的な麻痺を生じさせた。

「今だ!袁凱の首を獲れ!」

芳蘭は、鉄壁の防御から一転し、長槍を低く構えて陳堅の弓隊の側面へと騎馬で猛進した。彼女の武は、冷静かつ緻密であり、混乱に乗じて最大の効果を発揮する。

芳蘭は陳堅の部隊に迅速に近づいた。

陳堅の部隊は弓部隊を下げ、歩兵部隊で受け止めようとしたが、陳堅の予想以上に芳蘭の進軍は速かった。

芳蘭を含む、七十騎は刃を軽く交わすだけで、残りの二百騎が懸命に陳堅の包囲を突き抜ける道を創り出していた。

果たして、無傷で、七十騎が陳堅の包囲を疾風のごとく、駆けていった。

魯国軍参謀、荀清じゅんせいと副将、袁凱えんがいは、魏鉄山の負傷に気を取られ、芳蘭の奇襲に対応できなかった。

芳蘭は迅速に、混乱している袁凱に近づいた。

芳蘭の一撃は、副将、袁凱の胸部を正確に貫いた。袁凱は、呻きを上げる間もなく絶命し、馬から転げ落ちた。

魯国軍の指揮系統は、さらに大きな動揺に見舞われた。

「くそっ!伯志文の策か!」荀清は憤怒の表情で芳蘭を睨みつけるが、芳蘭は追撃を躊躇しなかった。

荀清は自身の剣をすっと抜き、構えた。周りの魯国兵を芳蘭の部隊は一時的に荀清に寄せつけないようにしていた。

その時を逃さず、芳蘭の長槍は、袁凱を討ち取った勢いそのままに、荀清の左腕を浅く切り裂いた。荀清は馬から落ちることはなかったが、激しい負傷を負い、戦線を離脱せざるを得なくなった。

「李百人将、そろそろ陳堅の部隊がここに到着します!」

「退くぞ!十分な戦果はいただいた!総員、離脱!」 芳蘭の部隊は霧のように魯国軍本陣を後にした。

魯国軍は、総大将の負傷、第一将の戦死、副将の戦死、そして参謀の負傷という、致命的な四重苦を一瞬にして背負った。

魯国軍軍師、公孫穆こうそんぼくは、魏鉄山の負傷に続き、志文による馬徳の戦死、芳蘭による袁凱と荀清への攻撃という情報を、冷たい視線で分析していた。

(馬徳の戦死…袁凱の戦死…荀清の負傷…なにより魏将軍の負傷。伯志文は、我々の中の柱を一瞬で打ち砕いた。殲滅どころか、魯国軍の指揮系統が崩壊寸前だ)

公孫穆の思索の全てが崩壊した。

魯国が衛国に致命的な出血を強要され、天下の均衡が大きく揺るがされ始めていた。

志文の頭の中に、システムメッセージが凍てつくような無機質な声で響き渡った。

―――【デイリーミッション】(保留分)一括達成―――

目標 1(武功):魯国兵を五〇〇人、討ち取る。 (志文・陳豪・芳蘭・韓忠・劉勇の合算戦果により)

目標 2(戦果):魯国軍参謀 荀清じゅんせいまたは魯国軍副将 袁凱(えんがい)を討ち取る。 (袁凱の戦死、荀清の負傷により目標条件を大幅に充足)

目標 3(戦果):魯国軍第一将 馬徳ばとくを討ち取る。

目標 4(統率):劉勇の臆病さを完全に克服させる。

目標 5(戦果):総大将 魏鉄山ぎてつざんを負傷させるまたは討ち取る。 達成!(魏鉄山、負傷)

デイリーミッション(保留分)全て達成!

達成報酬:基礎能力値(全項目)1.0pt上昇。

志文の非情な策が、魯国軍の五万の鉄塊を退却へと追い込んだ。

「撤退…総員、撤退せよ!」公孫穆は、魏鉄山に代わり、断腸の思いで撤退を命じた。もはや、殲滅どころか全滅の危機にあった。

魯国軍は、指揮系統の麻痺により統制を失いながらも、鉄牙平野に、地響きを立てながら、引き揚げていく。

衛国軍の四千は、魯国軍の撤退という奇跡的な勝利に、狂気の歓喜を上げた。

志文は、馬徳の亡骸を冷たい視線で見下ろした後、韓忠、芳蘭、劉勇、陳豪らを集めた。

「韓将軍、芳百人将、劉百人将、陳百人将。貴殿らの忠義と武に感謝する。貴殿らが、衛国の存亡の危機を救った。諸君らもよくここまで、俺についてきてくれた!よくここまで、戦ってくれた!この伯志文、感謝する!」  志文は深く武人の礼をとった。

「志文殿の策こそ、神の業であった!」韓忠は深々と頭を下げた。

「韓将軍。衛国軍は龍牙関へ帰還する。魯国軍に追撃の意志はない。公孫穆は、玄岳国の不確定性に縛られたため、これ以上の損耗を避けるだろう」

衛国軍の四千は、魯国軍の五万を打ち破ったという熱気を冷たい風に晒しながら、龍牙関へと静かに引き揚げていった。

(張勇の策が成就する瞬間が近い。玄岳国と沙嵐国の戦火が発生すれば、魯国は攻撃の的を絞れず、身動きが取れなくなる。次の戦場は、情報と思惑の交錯する龍牙関の内側だ)

志文の黒い仮面の下で、冷たい思索が新たな血の計算を開始していた。

魯国軍の五万の鉄塊は、公孫穆こうそんぼくの苦渋の思索により撤退を命じられ、黒龍河こくりゅうがへと向かっていた。

総大将、魏鉄山ぎてつざんと参謀、荀清じゅんせいは手負いの体であり、魏鉄山の旗下の猛者で、「魏虎五将」と天下を震撼させていた、第一虎の馬徳が戦死し、魯国軍の精神的支柱であった副将 袁凱も戦死していた。

必勝の戦であり、相手は弱国であり、この一戦を皮切りに滅亡の一途をたどる運命であった。

しかし、蓋を開ければ、圧倒的な兵力差を覆えされ、もはや魯国軍の方が、極度の疲労と恐怖に支配され、撤退を余儀なくされていた。

軍全体に動揺が広がる中での撤退は、魯国の威厳を著しく損なうものであった。

公孫穆の思惑は、一刻も早く、黒龍河を渡り、武威城ぶいじょうという魯国の牙城に逃げ込むことだけに集中していた。

しかし、公孫穆は冷静であった。彼は志文という異物の存在を知悉している。常識では寡兵が追撃をかけることはないが、志文の策は常識の外にある。

公孫穆は、最前線の情報を冷静に分析した。衛国軍が龍牙関へ引き揚げず、魯国軍の後方を一定の速度で追尾しているという情報が彼の思索を修正させた。

(伯志文…貴様は寡兵にもかかわらず、追撃をかけるという狂気の策を実行するつもりか。我々の損耗を知っての追撃…魏将軍、荀参謀という柱を守るため、殿を置かざるを得ない...だが、我らは手負いなれど、衛国軍の疲労も相当なはずだ。それに我らは兵力としてはいまだに衛国軍の兵力の五倍以上ある....やはり、伯 志文、あれは狂気そのものだな....慎重を期さねば...)

公孫穆の思惑は、衛国軍の追撃という絶望的な可能性を組み込み、魯国の柱である魏鉄山と荀清を確実に守り抜くことに切り替わった。

「宋良!宋良に殿しんがりを命じる!八千を率いて反転し、衛国軍の追撃を食い止めろ!一刻の猶予を稼げ!魏将軍らを武威城に送り届けるまで奴らを渡河させないことが貴様の使命だ!」

公孫穆は、最も負傷率が低く、慎重な性格と確実な戦術に定評がある魯国軍第四将、宋良そうりょうを殿に選んだ。

彼の思惑は、損耗を最小限に抑え、撤退を完遂させることただ一つであった。

「公孫軍師、承知いたしました。わが命を懸けて、殿を務めてみせましょう」

宋良は深く頭を下げ、部隊を率いて反転した。

八千の宋良隊は、黒龍河の手前で横一列に広がり、防陣を組んで衛国軍の寡兵を待ち受けた。

宋良の思策は冷静であった。

衛国軍は二千五百の寡兵。この兵力で八千に突っ込む狂気はない。

宋良は一刻の猶予を稼ぎ、本隊が黒龍河を渡り終えた瞬間、自身も撤退するつもりであった。

志文の手元に残った兵力は、芳蘭と陳豪を含めて二千五百騎。彼は負傷兵と共に、龍牙関への帰還を命じた韓忠や劉勇と分かれ、宋良の八千と対峙した。

志文の思惑は、宋良の慎重さという性格を策の道具として使い、宋良の隊を殲滅させることにあった。

志文は、宋良の防陣から見えるような形で、陳豪と芳蘭を呼び寄せた。

「陳豪百人将、芳蘭百人将。貴殿らに一千騎ずつを与える」 志文の声は冷たい。

陳豪は荒々しい武を持ち、芳蘭は冷静で緻密な武を持つ。

この二人の将を用いた策は、宋良の思索を破綻させるための布石であった。

「陳豪。貴様は左翼の林へ進軍せよ。芳蘭。貴様は右翼の林へ進軍せよ。宋良から見えるように、堂々と進め」

「承知!荒武者のごとく参りましょう!お任せあれ!」 陳豪の隊は荒々しく馬を進めた。

「わかったわ!」 芳蘭は軽くうなずいて、部隊を率いて、迅速にそして優雅に進軍した。

陳豪と芳蘭の一千騎ずつの部隊は、宋良から見えるように横に広がる林の中へと入っていき、やがて姿が見えなくなった。

志文の手元には、五百騎の寡兵だけが残された。

志文は一歩も動かなかった。

宋良は横列に広がる防陣の中央で、志文の狂気とも言える行動に冷たい汗を流していた。

(伯志文は何を考えている。二千の兵を林に潜ませ、寡兵の五百で我々に対峙するのか?この兵力で何ができる?潜ませたところで、数的不利は変わらん。こちらが動かなければ、一刻はすぐに経つ....それとも他に狙いがあるのか.....??)

宋良の慎重な性格ゆえに、最悪の可能性を計算し始めた。

黒龍河は急流ゆえに渡河できる箇所は限られている。

(雨が降り始めている。水かさが少しずつ、増しているはずだ。さらに伯 志文は控えめに言っても、衛国の逸材であろう。こんなところで無駄死にはさせまい...十中八九何かの罠であろう.....そもそも渡河できる箇所は我が軍が渡河している場所しかないはずだ。しかし、志文は鉄牙平野で常識を覆し、狂気の策を用いた.....)

(まさか、左右の林から渡河し、撤退中の本隊を急襲するつもりか?急流の中でも、安全に渡河できる場所を把握しているのか?陳豪と芳蘭は千騎の部隊と言えど、その威は実質三千の部隊と変わらぬ....渡河できる場所があるとすれば、我が軍が帰還できぬばかりか、極度の混乱と動揺による士気の低下、そして伯 志文の狂気の策による恐怖に侵されている魯国軍自体が全滅するかもしれん....)

宋良は疑心暗鬼に陥った。

志文の策は、宋良の慎重さという防衛本能を逆手に取った心理戦の牙を剥き始めていた。

宋良の思惑は、林の中に消えた二千の衛国軍が、自分の隊を無視して黒龍河を渡り、手負いの魏鉄山や荀清らを急襲する可能性があることに戦慄していた。

志文は、宋良の揺らぎを黒い仮面の下で冷徹に見据えていた。

宋良の思惑が破綻する瞬間(とき)が音もなく近づいていた。


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