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#0-2 妹たちの膝枕争奪戦と、バレちゃいけない兄の最強能力

翌朝、僕、天草怜士は、早朝の光を浴びながら、少しだけ違和感のある目覚めを迎えた。身体は昨日までと何も変わらないのに、感覚が、五感が、研ぎ澄まされているような、微かな興奮を感じていた。

(夢で神様と会う、か。冗談がきついぜ)

昨日見た「無限級チュートリアル」の夢。頬をつねれば痛かった。

現実感はないけれど、あの時に身体に刻み込まれたであろう、固有スキル『天恵』の感覚は、確かに残っている。

枕元に置いていた剣術の教本を手に取ると、脳がそれに反応するような、熱が満ちるような、奇妙な感覚があった。まるで、教本の情報がダイレクトに脳に流れ込み、整理整頓されているような……。

「まあ、気にしても仕方ないか」

たかが夢だ。そんなことより、今日の朝食は彩花特製のフレンチトーストだ。昨夜の肉じゃがの余韻に浸っている暇はない。

リビングへ降りると、既に朱里が待ち構えていた。エプロン姿だが、その表情は少し不満そうだ。ポニーテールをきゅっと結んだ彼女の姿は、今日も精一杯のツンデレを表明している。

「お兄、遅い!もう彩花がフレンチトースト焼いちゃったよ!せっかくアツアツのうちに食べようと、皆待ってたのに!」

朱里が腕を組み、ぷりぷり怒っている。もちろん、ツンデレの彼女は「私が」待っていたなんて、絶対に言わない。

「はいはい、ごめんって。ツンデレ朱里ちゃん。朝から可愛いね」

「ツ、ツンデレじゃない!ただ、彩花がせっかく作ってくれたんだから、早く食べるのが礼儀だって言ってるだけ!私の集中が乱れるから、さっさと座りなさいよ!」

この妹は本当に分かりやすい。僕が一番美味いところを逃すんじゃないかと心配しているのが、表情と口調で丸分かりだ。

「お兄ちゃん、座って。熱いうちにどうぞ」

長女の彩花は、既に席についている祖父と雫の分を配り終え、僕の前にフレンチトーストの皿をそっと置いた。トーストの上には、彼女が庭で育てているミントの葉がさりげなく乗っている。この完璧な気遣いと、その優しさ。この家が温かいのは、間違いなく彩花のおかげだ。

「いただきます!うまっ!彩花のフレンチトーストは世界一!もう一生、彩花についていく!」

僕が目をつぶって感動を表現すると、彩花は嬉しそうに笑う。隣で辰三が新聞を読みながら、「甘やかしすぎだ」とぼそっと呟いた。

「お兄、彩花ばかり褒めないで!私もサラダ作ったんだからね!ドレッシングだって、彩花と二人で選んだんだから!」

朱里が拗ねたように、自分の皿のサラダを押し付ける。

「もちろん朱里もすごいよ。彩花が太陽なら、朱里は……嵐だね。家が盛り上がるのは、朱里の元気が一番だからさ」

「な、何それ!?」と朱里は一瞬顔を赤らめ、すぐに「ふん」とそっぽを向いたが、僕のお皿に自分のサラダの具材を一つ、こっそり移した。これが朱里流の愛情表現だ。

その時、食卓の椅子が軋む音がした。末っ子のしずくが、テーブルに倒れ込むようにして現れた。

「ふにゃ…… おにーちゃ、たまごやき、おいし……」

口の端に卵焼きの欠片をつけて、フォークを握ったまま、船を漕いでいる。

髪はぼさぼさで、パジャマの上からカーディガンを羽織っただけの、典型的な甘えん坊でぐうたらした姿だ。

「雫、寝るなら部屋で寝なさい。テーブルで寝たら、ぐうたらが加速するぞ」

「だってー、おにーちゃのひざまくらがなーい」

雫は僕に抱きついて甘えてくる。

「まったく、だらしない。ご飯なんだから、ちゃんと目を覚ましなさい!」と朱里は呆れた顔をするが、朱里のフォークは、雫のために作られた熱々のオムライスに誰かの手が伸びていないか、今日も、しっかり見張っている。

「よし、雫、食べ終わったら、一緒にゲームセンターでも行くか?」

「いくぅ!おにーちゃ、UFOキャッチャーで、あの限定ぬいぐるみを絶対取って!」

途端に、雫の目がキラキラと輝き、眠気がどこかに吹き飛んだ。この切り替えの早さも、彼女の才能の一つだろう。

妹たち三人を眺めながら、僕は心の中で強く誓った。

(どんなことがあっても、この日常だけは守る。僕のせいでこの笑顔が曇るなんてことはさせない)

その決意を強めるたびに、武術の鍛錬を適当に流している現状が、チクチクと胸を刺す。

朝食後、辰三は僕を庭に呼び出した。いつものように武術の鍛錬が始まると思いきや、辰三は僕に刀を渡さなかった。

「怜士」

「なんだ、爺ちゃん。今日は口頭での説教タイムか?それなら早くしてくれ、雫とゲームセンターに行く約束があるんだ」

辰三は僕の顔を真っすぐに見据えた。そこにあったのは、怒りや苛立ちではなく、悲しみと歯痒さ、そして深い諦念が混じった、複雑な目だ。

「お主は『役立たず』になるのを恐れているわけではなかろう。お主の才能は、この天草家の歴史の中でも比類なきものだ。だが、お主はそれを意図的に殺している」

辰三は、僕が言い訳をするのを遮った。

「嘘をつけ!お主は、誰かに拒絶されることを恐れておる。特に、あの事以来、『お主の才能が、妹たちの笑顔を奪うのではないか』と怯えておるのではないか」

祖父の言葉が、図星すぎて心臓が跳ねた。

僕がずっと隠し通してきた、心の傷の核を、この老人は正面から突いてきたのだ。

「あの事は、お主のせいではない。両親は、お主の剣の才能を見た後、『化け物』などと言ったが、それは未熟な者が見る、『未知なる力への畏怖』じゃ。愛あっての言葉じゃ。お主は、その力を恐れず、磨き、『誰かを守るための剣』とせねばならん!」

「...俺には、護身術程度で十分だよ。大金持ちの爺ちゃんがいるんだ。俺が武術を極めなくても、金で優秀な警備員を雇えばいい。それが、今の時代で家族を守る、一番現実的な方法だ」

僕がそう言って、祖父の資産を盾に取ると、辰三の顔には怒りが戻ってきた。

「馬鹿者!金は、人を変えることはできても、人の命を救うことはできん!もし、本当に緊急の事態が起こり、護衛が間に合わなかったら、どうする!?」

「その『緊急事態』ってなんだよ?爺ちゃんがそんなに心配するような世界が来るのか?」

僕は辰三の目から逃げるように、その場を立ち去ろうとした。

辰三は何も言わなかった。

ただ、背中に突き刺さるような、諦めにも似た熱い視線だけが残った。

祖父の言葉は、僕の心を深くえぐった。

僕は、力を磨き続けないといけないと、心のどこかで分かっている。

妹たちの笑顔を守るためには、この力がいつか必要になるだろうという予感も、強く持っている。

しかし、僕には両親に言われた言葉の重さが、あまりにも重すぎた。

「お兄、どこ行くの!?」

朱里の声に振り返ると、妹たちはもう出かける準備を終えていた。

「ああ、すまん。今行く」

僕は祖父の視線から逃れるように、妹たちの明るい声が満ちる玄関へと急いだ。

ゲームセンターは、賑わっていた。雫は、宣言通りUFOキャッチャーの前を陣取る。

「おにーちゃ、これ!これ取って!」

雫が指さすのは、人気のキャラクターの限定ぬいぐるみ。非常にアームが弱く設定されている、鬼畜台だ。

「よし、任せろ、雫。お兄ちゃんの観察眼と身体能力をもってすれば、こんなものは…」

僕は、昨日女神に褒められた「観察眼」と「身体能力」を無意識に意識しながら、コインを入れた。

普段の僕なら、妹に嫌われないように、三回くらい失敗してから取る、という調整をする。しかし、昨日見た夢のせいで、僕の心の中には、「もしもの時のために力を試したい」という強い衝動が芽生えていた。

(観察眼… アームの強度、ぬいぐるみの重心、落下地点のシミュレーション)

僕の脳は、驚くほど冷静に、三次元的な軌道予測を始めた。これは、昨日の僕にはなかった能力だ。いや、あったのかもしれないが、ここまで鮮明ではなかった。

ガチャリ。

アームが降りる。僕は、一瞬だけアームの動きのブレを計算し、右側のボタンを絶妙なタイミングで叩いた。

カチッ。

アームは予測通りにブレ、ぬいぐるみのわずか数ミリ外側の生地に引っかかった。

「あー!お兄ちゃん、惜しい!」雫が悔しがる。 「くっそ、あと一歩…」と僕は悔しがるフリをした。

(違う。これは、わざと外したんじゃない。能力が暴走しそうになったのを、寸前で止めた結果だ)

もし、昨日までの僕が操作していたなら、一発で完璧に重心を捉えていたはずだ。しかし、『天恵』の片鱗に触れた今の僕の観察眼は、あまりに精密になりすぎて、通常のアームのブレや、機械的な誤差まで計算に入れてしまった。それによって、逆に動きが遅れてしまったのだ。

「フン、所詮、お兄なんてこんなもんよ」と朱里が皮肉る。しかし、僕の横顔を見た彩花は、どこか訝しげな目をしていた。彩花は、僕の些細な行動の変化にも気づく、繊細な妹だ。

「もう一回!お兄ちゃん、今度は頑張って!」雫が僕の腕を揺する。

僕は、改めてコインを投入した。

(わかった。この能力を素直に使うと、人間離れしすぎる。あくまで、普通の高校生が「ちょっと上手い」レベルに調整しないと、妹たちが離れていく)

僕は、観察眼の精密さを意図的に半減させ、そして、身体の反射速度も鈍らせるという、二重の制御を行った。これは、天才が凡人のフリをするという、最も難しい作業だ。

カチッ。

今度は完璧だった。アームは狙い通りの位置で止まり、ぬいぐるみを持ち上げる。そして、落とし口へ無事に落下した。

「やったー!!お兄ちゃん、流石!」雫が飛び跳ねて喜ぶ。

「ま、まあ、一回失敗したけど、やればできるじゃない」と朱里も、少しだけ満足そうだ。

妹たちの笑顔。これこそが、僕の原動力だ。

(この力が、僕が「化け物」ではない、「妹たちのヒーロー」である証明になるのなら、僕は躊躇しない)

僕が武術の才能を隠し続けたのは、妹たちを遠ざけるのが怖かったからだ。

しかし、この「無限級の天恵」が、いつか妹たちを守るための盾になると分かった以上、僕はもう力を恐れることはしない。ただ、隠し続けるだけだ。

夕食は、彩花特製の手作りハンバーグだった。辰三と、武術の話で口論することもなく、平和な時間が流れる。

夜になり、僕は自室のベッドに横たわった。

地球が変貌するまで、あと2日。

僕がその日から、本格的に武術の鍛錬に力を入れ始めることになるとは、この時の妹たちは知る由もなかった。


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